リプロダクティブ・ヘルスと環境[詳細]
女性が「環境」を語るのは、なにも女性が「産む性」だからではない。
女性が男性に比べて「自然」に近いからでもない。
男を「文化」に、女を「自然」に押しつける従来の発想は、
もはやだれにも許されない。
ミースが言うように、
「女と自然環境を《資源》としてしか扱わない市場経済から独立する道」を
男女ともに模索すべき瀬戸際にきているのだ。
上野千鶴子(序より)
■目次より |
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「環境」/「平和」/家父長制の暴力
グリーティング 「女性の声は社会を動かす声」 土井たか子
I リプロダクディブ・ヘルスと地球生命系
第1章 リプロダクティブ・ヘルスの思想と環境 綿貫礼子1 はじめに
2 いま、なぜリプロダクティブ・ヘルスが注目されるのか
3 リプロダクティブ・ヘルスの概念をめぐって
4 リプロダクティブ・ライツをめぐる女性NGO活動
5 リプロダクティブ・ヘルスの思想的背景
6 リプロダクティブ・ヘルスからみた環境汚染 ヒロシマ・ナガサキからチェルノブイリまで
7 継世代的影響をめぐって
8 リプロダクティブ・ライツをうばう暴力について
9 「共生」に価値づけられた社会に向けて
結び
第2章 チェルノブイリ災害から人類の未来を考える M・ミハイレンコ(品川信良訳)
はじめに/ポスト・チェルノブイリの健康状態:成人・子ども・妊婦/
チェルノブイリ災害の遺伝の影響/免疫系の異常/
自然は人間に対して受身のままではない/結び:人類の未来を問う
第3章 ポーランドの環境汚染と女性と子どもたちの健康 M・グミンスカ(山口妙訳)
世界文化遺産の破壊が告げるもの/女性と子どもたちへの影響/結び
II リプロダクティブ・ヘルス/ライツと南北問題
第4章 南の女・北の女と生殖技術 長沖暁子1 人口政策と女の自己決定権
2 生殖技術と女のからだ 避妊/不妊治療/胎児診断
3 生殖技術の思想 生命のモノ化/新たな生命観の創造に向けて
第5章 人間なのか人口なのか M・ミース(青海恵子訳)
神話と矛盾/「人口」対「環境」/発展に追いつくという神話/
「発展に追いつく」ことはのぞましくない/人口転換の神話/
犯人、犠牲者、救い主としての女/世界銀行と女性/構造調整をこえて
III フェミニズムとエコロジーの新展開
第6章 リプロダクティブ・ライツ/ヘルスと日本のフェミニズム 上野千鶴子1 フェミニズムと「中絶の権利」
2 リブと「産む自由・産まない自由」
3 フェミニズムと「生殖の自己決定権」
4 「選択の自由」と優生思想
5 出生率抑制と家族政策
6 ピルの解禁と日本のフェミニズム
7 「リプロダクティブ・ライツ」から「ヘルス」へ
第7章 環境としての女性 C・v・ヴェールホフ
近代化という分割支配の歴史/家父長制の真実/環境は女性の世界
第8章 フェミニズムとエコロジー M・メラー
自然も社会も見つめながら/フェミニズム思想における女性と自然/
女性の本質的なものとは?/分割して調停させる社会/家父長制か家子長制か/
エコ・フェミニズム:調停者の立場/結論
IV 共生を求めて
第9章 平和と共生の戦略 鶴見和子過去・現在・未来をつなぐために/基本的人権/
価値としての共生/最後に
後記 チェルノブイリから十年:ベラルーシの女性たちはいま 綿貫礼子
■関連図書(表示価格は税別) |
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■書評 |
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◎増田れい子氏(『北海道新聞』1997年3月9日)
「地球の毒物化を許してはならない、そのためにこの半世紀続けてきた資本主義体制、核体制を見直せ、私たちが具体的にとるべき最優先の行動は遺伝子あるいはリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)を傷つけるような有害物質を可能な限り「生み出さない」「使わない」「廃棄しない」システムだ、と提言する。火のように熱い刃を見る思いだ。これは1994年に開かれた日欧女性交流事業「女性・環境・平和」シンポジウムの総括の書でもあるのだが、なかんずく綿貫氏の第1章「リプロダクティブ・ヘルスと地球生命系」の、氷と火の二面をあわせ持った刃の切れ味が快い。氏は最後に、生命系に対して人間の介入が最小限におさえられるような生きあい方、“共生”をキーワードとしてあげ、それを求めているのは「将来世代」、未来の生命なのだとしめくくっている。
◎江原由美子氏(『週刊金曜日』1997年7月11日)
「本書のなかで特に興味深かったのは、マリア・ミースの「人間なのか、人口なのか」という論文である。ミースは、人口問題に関する私たちの「常識」に強いゆさぶりをかける。……「古代から現在に至るまでどこの女たちも産児制限の方法と技術をもっていた」。その方法と技術の伝授を破壊し19世紀の人口爆発をまねいたのは、「ヨーロッパ近代資本主義国家の意図的な出産至上主義の人口政策」なのだという。近代資本主義に伴う医療技術の進歩が死亡率の低下をもたらし、「自然にまかせた生殖」に苦しんでいた女性たちを多産の苦しみから解放したわけではないのだと。ミースが示すような視点の転換の背後には、この20年間において積み重ねられてきたフェミニズム視点にたつ社会史の蓄積がある。フェミニズムとエコロジーの二つの思想を真に結び合わせるためには、歴史そのものの把握のしかたを転換する視点が必要とされているのだろう。