田中泯 海やまのあひだ[詳細]
私は地を這う前衛である。
言語ある肉である。
肉体の機能に言語は共棲する。
肉体と肉体の間に舞が成立し、
思考の努力の結果が舞を立ち上がらせる。 -----田中泯
暗箱の闇に対峙する田中泯の身体は光を乱反射させて、
こちらの目撃を混乱させる。
視覚の限界を乗り越え、知覚の拡大がうながされる。
なにやら「原初的な感じ」がむき出しにされているのだ。
-----岡田正人
■目次より |
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■関連情報 |
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NHKの人気番組「課外授業〜ようこそ先輩」に、田中泯さんが出演し、反響を呼びました。
課外授業〜ようこそ先輩
NHK総合テレビ 2008.5.4 日曜 13:05〜1:34
再放送 BS2 火曜日 15:30〜15:59
再放送 教育テレビ 翌週月曜日 13:05〜1:34
●コニカミノルタプラザ・岡田正人写真展が「風の旅人」で紹介
2/23〜3/3、新宿・コニカミノルタプラザにて開催された岡田正人写真展「田中泯 地を這う前衛」。早くも「風の旅人」サイトで紹介いただきました。
「…二人の舞台は、経済発展の真っただ中の時代の東京湾の埋め立て地「夢の島」から始まり。熊野の森の中へと入っていく。
「何となくクリスタル」とかが世の中に出て、浮かれた気分が蔓延してくる頃、故日野啓三さんが「夢の島」という小説を書き、その小説を、時代錯誤甚だしいと、ワインの格付けの最低ランクで評価した最低の評論家がいましたが、同じ時代に、田中さんと岡田さんも、「夢の島」を心眼で見つめていました。
1970年代の後半から80年代の前半、時代は賑々しいまでの活況を呈していましたが、その時代の底深いまでの闇と荒涼とした魂を凝視していた表現者が人知れず存在していたのです。
全文は風の旅人webサイトへ
●新宿コニカミノルタプラザにて岡田正人写真展「田中泯 地を這う前衛」開催
『田中泯 海やまのあひだ』に続き、岡田正人の写真展が、新宿・コニカミノルタプラザで開催。大好評を博しました。特に初日2日のイベントは大盛況。その様子はこちら >>>
岡田正人写真展「田中泯 地を這う前衛」
会期:2月23日(土)〜3月3日(月)
イベント:2月23日(土)14:00〜田中泯/舞い
2月24日(日)14:00〜田中泯/語り(*ゲスト杉浦康平)
●2007.10.21 〜2008.2.4 ニューヨーク・現代アートギャラリーP.S.1にて写真展
ニューヨークのMoMA関連のP.S.1現代アートギャラリーにて田中泯写真展開催。本書からの作品を展示した大規模な展覧会です。その様子はこちら >>>
なお、P.S.1では11月16、17、18日の3日間、田中泯さん公演。
Min Tanaka: Photos by Masato Okada 1975-2005
会場:P.S.1
会期:2007.10.21〜2008.2.4
●2007.6.23 山梨日日新聞連載「海やまのあひだ」スタート
田中泯の文章と、岡田正人の写真のコラボレート連載「海やまのあひだ」が6/23から始まりました( 毎週土曜日連載)。写真はすべて『田中泯 海やまのあひだ』の作品になります。
無意識のおどり
…写真家・岡田正人と私・田中泯の二人は、写真展「海やまのあひだ」の開催直後、岡田が亡くなるまで、三十年のあいだ、無垢と矛盾の間を行き来しながら「踊る・撮る」関係を続けた。二人の間では結果や証拠を他に問いかけたり、意味を求めることをして来なかった。「踊り・撮る」この状態にすべてがあったように思う。赤ちゃんのように夢中に全身で世界に向きあい、同時に刻々の営みの矛盾、我の矛盾に向きあうことが「踊り・撮る」時刻の内容のすべてであった。…
●2007.5.30〜6.4 神戸・海文堂書店にて写真展& サイン会
6/3、田中泯さんの神戸・須磨海岸場踊りにあわせて、海文堂書店<Sea Space>にて、「田中泯 海やまのあひだ」写真展と田中泯サイン会を開催しました。その模様はこちら >>>
「田中泯 海やまのあひだ」写真展 2007.5.30(水)〜6.4(月)
海文堂書店 2F<Sea Space>
田中泯サイン会 2007.6.2(土) 19:00〜20:00
海文堂書店
神戸公演 田中泯 独舞 場踊り
in 須磨海岸
2007.6.3 18:00開演(雨天決行) 料金2500円
主催:神戸芝居カーニバル実行委員会
●『田中泯 海やまのあひだ』[先行発売]
2007.3.29 東京・中野 plan Bにて田中泯 場踊り
2007.3.30 甲府・桜座にて田中泯 人影舞
2007.3.30〜青山BC六本木店、青山BC本店
●2007.3.30〜4月中旬 青山BC六本木店 ミニ写真展
カメラマンの手になるヴィンテージプリント4点を展示。 写真展の様子
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●2007.4.5〜4.18 刊行記念写真展
舞踏関係では定評のある青山BC本店(青山)の壁面ギャラリーにて、写真展を開催。写真集より選りすぐりの20点を壁面ギャラリーにて展示。 写真展の様子 >>>
■書評 |
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●風の旅人 vol.33(2008.8発売) 「夢の島」掲載
グラフ文化誌「風の旅人 vol.33」に「夢の島」が18ページにわたり掲載。2月のコニカミノルタプラザでの写真展「岡田正人写真展:田中泯
地を這う前衛」を観た編集長・佐伯剛さんの目にとまったことがきっかけとなった。詳しくは[8/19更新今週の1枚へ]
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●クロワッサン2008.2.25号 田中泯インタビュー
「この間、四国の吉野川で踊ったんです。すごくきれいな川でした。『そこ』へ行けば『その場所』を大事にしている人がいる。そんな場所で踊りたいと思って。」
*泯さんの拠点、桃花村で行われたインタビューでは、自然の中で農作物を作り続けながら、場踊り、映画出演などのエピソードが語られてます。『田中泯 海やまのあひだ』および、コニカミノルタプラザでの写真展も紹介されました。
●「家庭画報International 2007.Autumn vol.17」田中泯インタビュー
『田中泯 海やまのあひだ』からの作品紹介はもとより、10月下旬からニューヨークで開かれる『田中泯 海やまのあひだ』写真展のリリースも。
●POCO21 2007.8月号 田中泯インタビュー
この人が語る 舞踏と農業を結び、世界で踊りつづける 田中泯さん
…舞踏は、暮らしから生まれる身体そのものでなければならないと思うんです。室内のスタジオという平らな場所で踊りの稽古をするのと、野に出て労働をしながら稽古をするのとでは、まったく違うんです。僕は農作業でさえも踊りの練習だと言うことにしたわけです。…
(『POCO21』はパルシステム生協の情報誌)
●真裸 書評
…踊り手の肉体は易しいようで実は難しい被写体である。いざ撮影してみると同じような場面が並ぶし、演出に頼っていては退屈な写真になってしまう。対象との距離や撮影者の人間性まで全て赤裸々に作品の上に暴露される。その至難な対象に向けて、岡田の写真が立ち上げたのは、特にモノクロ写真で切り出す対象の姿の向こうに、ソリッドでありながらも、肉体の温かみを忘れないドラマだった。社会学者のジャン・ボードリアールが発表した写真は機械文明を美しく捕捉するが、常に<死>の臭いがつきまとう。岡田は夢の島など今でも語り草になる過酷な撮影を繰り返しながら、硬質な質感と生の肉体の狭間に現代社会を生きる人々の<生>の源流、踊りの詩学の源を見出そうとしていたのかもしれない。岡田の死後も、田中はただひたすら踊り続けていく。
…(吉田悠樹彦)
真裸全文はこちら
●Dance Cube 書評
…1970年代東京のごみ処分場「夢の島」の泥の海から、東尋坊の闇の海辺、南方熊楠ゆかりの神島、稽古場、田中泯の拠点である山梨の桃花村の森と山、などで踊る舞踏家、田中泯を捉えた凄絶ともいうべき写真が集成されている。時代の闇にたゆたい、劇場の精となり、森に木霊し、30年間の時空を天翔る一人の舞踏家の命のあリ様が、まず圧巻である。…(荒部好)
Dance
Cube全文はこちら
●2007.6.24 朝日新聞 村山由佳氏書評
「言葉にならない」と書くのも恥と思わない
…言葉を操ることを生業とする私の立場で、何ものかを評して「言葉にならない」と書くのは本来、恥である。けれどもこの写真集についてだけは、私はそれを恥と思わない。
なぜなら、「海やまのあひだ」に身ひとつで立つ田中泯は、まさしく言葉にならない何ものかを自身の精神で受けとめ、言葉ではないもので表現すべく肉体を駆使しているのであり、その彼の踊りを強引に暗箱へと引き寄せた岡田氏の写真が、見る者から言葉を奪うことは、もはや必然——受けとめ手の怠慢ではなく、作品の手柄であろうと思うからだ。…
●婦人公論 2007.6.22号 田中泯インタビュー
異能の舞踏家、野に生き土に舞う
…日々、正面から自然と向き合っていると、思いもよらない自然の深さや関係に気づかされたり、今の自分を見せつけられたりすることがあります。
これから僕は、どんどん年をとり、肉体的にできないことが増えていきます。そうなると、見えない技を深めていくしかありません。踊りを踊ることは、自分を高めていくことでもある。…
●ソトコト2007.7月号 書評
踊りの見えない本質に迫る
…モノクロで撮られた70年代の夢の島、そしてゴミにまみれ踊る田中泯の裸体は、まさしく異界。中でも「夢の島」の黒い海に胎児のように横たわる姿は、最も象徴的な1枚であろう。そこには、岡田が田中の身体を評していう、なにやら「原初的な感じ」が強烈に写し出されているのである。…
●2007.6.8号 週刊ポスト 大笹吉雄氏書評
身体を「気象」と呼び、風景に融合する舞踏家の本質
…カラーの「山の舞台」や「森の舞台」では田中は服を着ているが、山や雲や雪と田中の身体が融合しているような印象を受ける。田中がなぜ身体を「気象」と呼ぶのか、分かる気がする。それはまた田中泯の踊りの本質だろう。一期一会の写真集だ。
●2007.5.20 日経新聞 書評欄で紹介
…東京の埋め立て地、夢の島のゴミに埋もれ、のたうち、海辺に打ち上げられて横たわる裸身。山梨県の山奥で、木々の霊と呼び合いながら泥にまみれ、土に同化していく姿。大地や大気の一部となって踊る肉体は、人間が小さなバクテリアだった原始地球の記憶を呼び覚ますようだ。
●2007.5.20 毎日新聞書評欄でも写真が大きく紹介されました。
●トーキングヘッズ叢書No.30 國貞陽一氏書評
夢の島と桃花村をつなぐ<場踊り>の原点を視る
…おそらく田中は、この夢の島の自然と、現在の活動拠点である山梨県・桃花村の自然とを、まったく同じスタンスで捉えているはずだ。いずれも惑星的視座からすれば、多面的な地球環境の断片の一つであるに過ぎない。今日、「自然」というイメージはあまりにも観念化しすぎている。自然は善でも悪でもない。それはただ目の前にある、地球の変容そのものであろう。従って、「身体気象」論を受け継ぐ田中泯の<場踊り>の思想は、今日ますます本質的な場を生成するに違いない。
写真集の後半には、桃花村の季節の移り変わる奥深い森で、ときに泥を顔に塗りたくり、現れては消える異人(まれびと)のような田中泯の舞姿が写されている。…1984年の<恋愛舞踏派定礎>リハーサルでの土方巽の振付シーンなど、見逃せない貴重な写真が満載されている。
●2007.3.28 山梨日日新聞 田中泯さんインタビュー
踊る・田中泯×撮る・岡田正人
限界を超えた魂の一瞬 「原点」「現時点」つなぐ
…ごみ処分場の名残をとどめる東京湾の埋め立て地「夢の島」、奇岩がそびえ立つ福井東尋坊の波打ち際。モノクロ写真には大地の波動を感受し、反応する肉体が強烈な存在感を放って浮かび上がる。
撮影中、田中さんの背中にアブが止まり、刺した。「痛い、と言って踊りをやめるわけにいかない」。田中さんは、岡田さんのレンズを意識することで、その針が身体を突き抜けていく速さや、寒さに鳥肌が立つまでの時の流れ、迫り来る波の音など、身体に起こる感覚をじっと微細に観察する力を培った。
「外側からは見えない神経が身体の中でものすごく速度を増していった」。肉体を解放する、という「原点中の原点」がここにある。…