◉占星術、錬金術、魔術が興隆し、近代科学・哲学が胎動したルネサンス・バロック時代。その知のコスモスを紹介する『ルネサンス・バロックのブックガイド(仮)』の刊行計画を立てています。監修者のヒロ・ヒライさんは、欧米を拠点に国際的に活躍するインテレクチュアル・ヒストリー(ヨーロッパ精神史)の研究者。1999年より学術ウェブサイトbibliotheca hermetica(略称BH)を主宰し、日本の若手研究者をつなぐネットワークを築いています。
◉本書ではBHメンバーや賛同者等50人強の執筆者を迎え、約120冊の書籍を紹介するという構想を描いています。名著から最新の研究成果まで、ルネサンス・バロック時代の思想を網羅するブックガイドをめざし、品切となった書籍も含めました。工作舎も多くの邦訳書を刊行してきたヨーロッパ精神史の豊饒な世界を、次の世代の読者に伝える道しるべとなるように。
本書のプロモーションとして、刊行に先立ち一部を連載にて紹介することにいたしました。第1回はヒロ・ヒライさんが担当します。
第1回
アタナシウス・キルヒャー
『普遍音楽
調和と不調和の大いなる術』
菊池賞=訳◉工作舎・2013年・446頁
宗教改革の嵐が吹きあれる16世紀のヨーロッパ。カトリック勢の巻き返しをはかるために設立されたイエズス会は、アフリカやアメリカ大陸、インド、中国、そして日本へと宣教師を派遣する。世界各地にわたったイエズス会士たちは、自分たちの活動と派遣先で見聞した異民族の文化や風習について、おびただしい数の報告書をヨーロッパに送った。
イエズス会によって設立された諸学院の総本山コレッジョ・ロマーノで活躍したアタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher, 1602-1680)は、こうして多様な事物について世界中からよせられた情報を総動員して、百科全書的な著作群を世に送りだした。
キルヒャーの『普遍音楽』 Musurgia universalis は、音楽についてのあらゆる知見を網羅した書物として、10巻組のラテン語初版が1650年にローマで出版される。邦訳版は62年に六巻組に再構成されたドイツ語抄訳をもとにしているが、余談や脱線の多い、まさにバロック的なキルヒャーの文章は、ストレートな世俗語訳で読んだ方が現代人には馴染みやすいだろう。また巻末にふされた詳細な索引と文献表はとても有益だ。
『普遍音楽』の第一巻は、意外にも「解剖学」と題され、音というものの定義から音を発する物体、そして生物にみる音を発する器官と受けとる器官、それらの楽器との比較、諸生物のつくりだす音について議論している。驚くことに、カエルやコオロギといった良く知られた例だけではなく、ナマケモノの「不思議な声」を楽譜つきで解説してもいる。
つづく第二巻は、音楽についての古代ヘブライ人やギリシア人の記述を分析し、第三巻ではリュートやオルガンといった楽器を描写する。そして第四巻では新旧の音楽、つまり古代人の音楽とキルヒャーの時代の音楽を比較している。
「魔術」と題された第五巻は、音楽のもつ驚異的な作用について大きな紙幅がさかれている。この部分から読者は本書の核心へと入っていく。音楽によって狂乱に陥ったデンマーク王、有名なハーメルンの笛吹き、機械仕掛けの音響人形など興味はつきない。さらに「類比」をテーマにした第六巻では、音楽と宇宙の照応についての壮大な哲学が開陳される。世界は巨大なオルガンであり、天地を創造した唯一神は偉大なオルガン奏者であるという。そして議論は天上と地上のシンフォニー、つまりムジカ・ムンダーナ(世界音楽)へと飛翔して、魅惑的な本書は閉じられることになる。
(ヒロ・ヒライ)
[目次より]
第一巻 解剖学
第二巻 文献学
第三巻 楽器
第四巻 比較 新旧の音楽、二種
第五巻 魔術
第六巻 類比 自然のデカコルドンすなわち十管の楽器
ナマケモノの不思議な声
[執筆者プロフィール]
ヒロ・ヒライ:ルネサンス思想史。学術ウェブサイトbibliotheca hermetica(略称BH)を主宰。フランス・リール第三大学にて博士号(哲学・科学史)取得。博士論文にて2001年、国際科学史アカデミー新人賞受賞。その後、欧米各国の重要な研究機関における研究員を歴任。2012年に第9回日本学術振興会賞受賞。
勁草書房「BH叢書」シリーズでは監修者として辣腕をふるい、榎本恵美子著『天才カルダーノの肖像』、菊地原洋平著『パラケルススと魔術的ルネサンス』、アンソニー・グラフトン著『テクストの擁護者たち』、山田俊弘著『ジオコスモスの変容』を世に送り出す。現在アメリカ在住。