ダイコン一本からの革命[詳細]
自分の暮らしを自分でつくる!
…加藤登紀子(歌手・鴨川自然王国在住)
私にとって、大地を守る会がその出発点でした。亡き夫、藤本敏夫と藤田さんがスタートさせたとき、必死で応援し、もちろん会員となってわが家の食生活を助けてもらいました。今は一歩進んで鴨川自然王国で自給生活をめざしています。日本の食糧自給率の低迷ぶりはいっこうに改善しません。でも悲観するよりも、まず一人ひとりが地域で作ったものを食べることから始めましょう。「食」こそ「未来の実験場」。本書の泣き笑いに明日の指針が示されています。
■目次より |
▲ |
はじめに「大地を守る会」30周年目のできごと
◎「みんないい顔してるなー」の青空市
第1章 「100万人のキャンドルナイト」のうねり
1 700万人を巻きこんだ「ゆるやかな連帯」
◎糾弾型の運動からクリエイティブな運動へ
◎つぎの一歩──フードマイレージ運動
2 事業と運動を両輪にして進む
◎小さくても経済システムを確立させる
◎「ありたい社会」のモデルをつくる
3 第一次産業と地域のつながりを大事にする社会
◎北イタリアのスローフード運動
◎伝統と「今を生きる感動」が両立する生き方
第2章 無農薬野菜を売りたい一心で「大地を守る会」を立ち上げる
1 立ち上げ前夜
◎こんな社会はおかしいじゃないか! 1960年代
◎悶々とした日々 1970年
◎毒ガス研究から無農薬農法へ──高倉医師との出会い 1974年
2 有機農業運動開始
◎大地を守る市民の会設立──藤本敏夫氏現わる 1975年
◎「有機農産物は考える素材です」 1976年
◎西武百貨店で無農薬農産物フェア 1977年
第3章 きたるべき社会を実現するための株式会社
1 運動の自立をめざして進む
◎ストーブが買えない! 1977年
◎批判覚悟で株式会社にする 1977年
◎生産者と消費者が株主に 1977年
2 社会のまっただ中に有機農業の種子を植える
◎問題山積の学校給食に挑む 1979年
◎スーパーマーケットに有機農業の種子を植える 1980年代後半
◎藤本敏夫会長辞任 1983年
◎宅配制──大量物流ではなく極端に小さくなってみる 1985年
第4章 地域に根ざしながら国を超える
1 一つの経済システムとして成り立つモデルづくり
◎ロングライフミルク反対運動 1981年〜
◎「いのちの祭」──農協(現JA)にもクサビを打つ 1987年
◎アジアとの交流──国際局始動 1990年代
◎自主大学「アホカレ」でおおらかに学びあう 1993年
2 「DEVANDA」と「 THAT’S 国産」運動
◎二一世紀は第一次産業の出番だ! 1994年
◎韓国のウリミル運動に学ぶ 1995年
◎「価格破壊」とは何ごとだ! 1995年
第5章 楽しい生活の場づくりをめざして
1 「大地を守る会」こだわりのものさし
◎何でもとことん議論! 多数決はとらない
◎大地の基準──押しつけのガイドラインは要らない
◎生産技術公開──エリート主義でなく全体の水準をあげる
2 異質なものを排除しない豊かな精神
◎農業を見直し、素直な心で宝さがしをしよう
◎「100万人ふるさと回帰運動」──足もとの資源を信頼してみる
◎感動と希望が明日へのエネルギー──農村の暗い歴史観を見直す
終章 「食」から未来を変えよう
◎徐耀華さんとの出会いとレストラン部門の展開
◎ap bank との出会い
◎「ほっとけない、世界のまずしさ」キャンペーン
■書評ほか |
▲ |
●2008.5.5 テレビ東京「カンブリア宮殿」に、藤田和芳さん登場
司会の村上龍さん・小池栄子さんのトークで人気のテレビ東京「カンブリア宮殿」に、大地社長・藤田和芳さんが出演した。BSE、残留農薬、食品偽装問題で“食の安全”への関心が高まる中、安心・安全な国産食料の宅配が成功した企業として紹介。藤田社長は、2007年ニューズウィーク日本版で「世界を変える企業家100人」に挙げられるほど。この成功は30年間の紆余曲折の成果ともいえる。その足取りをつづった書が本書である。番組中でも聞かれた言葉が「まず無農薬のダイコン1本を売る」。そこから「革命」が起こった。かつての全共闘闘士の志が、タイトルに見事に結実していることがわかる。
テレビ東京系 2008.5.5(月) 22:30〜23:24
BS/CS BSジャパン(BSデジタル) 2008.5.8(木)21:00〜21:54
日経CNBC(CSデジタル) 2008.5.10(土)11:00〜11:54
●2007.10.20号 フィガロジャポン 別冊付録 ECO MINI BOOK 紹介
行動と希望を謳う、環境への処方箋。
…環境NGO「大地を守る会」を設立した藤田和芳氏が有機農業に挑んだ32年間。日本はなぜ有機食材文化が豊かなのかがわかる一冊だ。
●2006.4.5 ふぇみん書評
…学生運動の活動家として糾弾型で新しい社会を創ろうとしていた著者が社会に出て、実生活との矛盾に悩んだとき出合った無農薬の大根が、この組織づくりのきっかけだった。単なる流通業者ではなく、少数派の有機農業生産者を支え、消費者と生産者をつなげることを辛抱強く続けている。…こうした地道な活動が社会のありようを変えるのはいつだろうか。あきらめたくはない。
●2006.3.7 朝日新聞夕刊一面コラム「ニッポン人脈記」市民と非戦12
無農薬野菜おいしいよ
「運動と経済」両立求め
…「大地」は77年、株式会社になった。当時市民運動メンバーが三菱重工の一株株主になって「戦争に加担するな」と注文をつけたりした。それなら生産者と消費者が株主になり、「一次産業を守り、消費者の健康を守る」理想の会社をつくれるのではないか。「告発と糾弾」の市民運動ではなく、「運動と経済」の両立へ。
「家に一銭もいれず、子どものミルク代もださない革命家が権力をとったときはひどい社会になるだろう」と藤田。30年の歩みを昨年、「ダイコン一本からの革命」(工作舎)にまとめた。…
●2006.3.6 農林経済(時事通信社) 紹介
この時代と未来への責任の一端を
無農薬有機野菜を売るために、団地で青空市を開いたのがきっかけだった。流通部門として設立した株式会社「大地」の提案書に、思いが凝縮されている。
「人間の生命行為としての食生活を見直し、社会の生命行為としての農業に積極的に関与します。そして、安全でおいしく、栄養価のある食べ物を生産し、流通させ、消費することによって、この時代と未来への責任の一端を担いたいと思います」
●2005.12.8 東京新聞 夕刊「今週の本棚」書評
「有機農産物」がわれわれの生活に根付くまでの歴史
…大量消費、コストダウン、輸入に走る「食」に危機を感じ、生産者と消費者が同志としてより良い食を追求し、自前のシステムを流通させていく様子を活写。まさにNPO(民間非営利団体)。「有機農産物」がわれわれの生活に根付くまでの歴史。
前例のないことに挑戦し続けた活動記録エッセー
…化学肥料と農薬で生産された野菜しか流通ルートに乗らなかった30年前に、『食卓に安全でおいしい野菜を届けたい』と、環境NGO<大地を守る会>を立ち上げた著者。…前例のないことに挑戦し続けた泣き笑いの日々をつづった活動記録エッセー。
font color="#339933">●独立行政法人農業環境技術研究所 のweb news「情報:農業と環境」No.68 (2005.12)
「生きる」ということへの示唆にも富む書
『農薬の危険性を100万回叫ぶよりも、一本のダイコンをつくり、運び、食べることから始めよう』の言葉に集約される考え方が一貫して反映されている。それは、挫折感の中から立ち上がった一人の青年の『生き方』の基軸ともなっている。その意味で自分史でもある本書は、著者の価値観をも読み取ることができ、『生きる』ということへの示唆にも富む書である。
●2005.12.9 週刊朝日 松原隆一郎氏(社会経済学者)書評
自然や文化そのものを反映する有機農法
30年前からロハスを実行する人々の軌跡
…有機農法では、地質により風土により生産農民の方針によって、技術は個々に異なるが、いつも一定の農産物が収穫できるとは限らない。したがって農業は「自然」や「文化」そのものの反映でもあり、生産者の顔が確認できる国産品を消費者が適性価格で買うことで発展する。それが「大地」の理念だという…
スローフードやロハスは最近の流行だが、日本にも30年前から試行錯誤していた人々がいたのだ。心に染みる一冊である。
●2005.11.21 公明新聞書評
食のネットワークづくりに奮闘した30年
…設立当初は、虫食いで見た目はよくない、農薬をなるべく使用しない野菜など既存の生産・流通の枠からはみ出た代物を友人、知人などのあらゆるツテをたどって生産者と消費者のネットワークに乗せることに奮闘した。
…ある時は途方に暮れながらも悪戦苦闘してきた30年を振り返った本書を読んでいくと、「きたるべき社会」を開き、「地域に根ざした国」づくりをめざすさわやかさが伝わってくる。