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馬車や風車、蒸気タービンや運河リフト、 複写機、電話、水洗便所もロケット内燃機関のアイデアも、発信源はエラズマス。 植物の生態に託して恋の詩をうたい、 女性の解放を願って女子教育の改革に立ち上がった男エラズマス。 多くの友に恵まれ、ルナ・ソサエティを結成。 十四人の子のよき父は、十八世紀イングランドの名医。 誰もが、そのウィットにほほえみ、誰もが、その底なしのエネルギーに驚いた。 |
■目次より | ▲ |
日本語版の刊行によせて 荒俣宏 第1章 多彩な才能 医師・発明家・詩人・科学者/友情と愛の生涯/愉快な科学精神 第2章 学習 1731-1756 生誕地と父母/兄姉、そしてチェスターフィールド学校時代/ケンブリッジ大学に学ぶ 医学の道・進化説の予感/開業医となるために/18世紀の医学状況 第3章 リッチフィールド 1757-1764 小さな街の名医の噂/蒸気に関する実験/メアリー嬢との結婚/偉大な友人たち ウィットの評判/仕事熱心な医者と酒/高まるテクノロジー熱 第4章 ルナ・サークルの形成 1765-1770 新しい友と大幹線運河計画/スコットランド人科学者の存在/エッジワースの訪問 ジェームズ・ワットとの出会い/新旧友人との多彩な交友/すべては貝から 初期ルナ・サークル/発明家として知られたくない理由/夫人の病、そして死 第5章 生活の変化 1770-1775 二人の紳士の恋物語/発話機械がしゃべった!/病気と死の記録 化学、音声学、馬車設計/ラディカルな思想/ボールトンとワットの機関 スモール博士との別れ/植物学の潮流 第6章 最盛期 1776-1780 子供たちの成長と、その教育/詩集『スウィルカーのオークの木』/ダーウィンの植物園 医学と発明の日々/満月の日曜日に……/人妻エリザベスへの恋/長男チャールズの死 つのる恋ごころを詩に/風車の設計に見る先見の明/息子たちへの斬新な教育 ロケット、望遠鏡など数々のアイデア/1780年の出来事/最も暗い手紙 第7章 ラドバーン 1781-1783 エリザベスの選択/化学者たちの水論争/リンネ『植物の体系』を翻訳 ルナのもとに集う新旧の友/実用的な発明品/偉大なるモンゴルフィエよ!/火球の軌跡 第8章 ダービー 1784-1787 ダーウェント川ほとりの新居/ダーウィン式の井戸/ダービー哲学協会/出版業者との折衝 リッチフィールド再訪/アークライトの紡績工場/備忘録の多様な内容 ジキタリスの薬効をめぐって/成長する子供たちと父/事実に賭ける情熱 息子ロバートへの支援/フランクリン博士とアメリカ 第9章 詩人としての名声 1788-1790 軽い韻文二行連句の作家/断熱膨張と雲の生成/多くの家族、豊かな友 反奴隷制キャンペーン/『植物の愛』の詩人/優しく、愛らしく植物の性を詩う 「化学の真の信念」を目ざす/たくさんの手紙が語る/トーマス・デイのこと 青年たちへの助言 第10章 『植物の園』の完成 1791-1793 幸せとは……/バーミンガムの暴動/『植物の経済学』より/地中の火が月を放出させる! 大気圏の三つの層/ワーズワースも、W・ハーシェルも/医者であること 親友の息子、その未完の天才へ 第11章 ゾーノミア 1794-1797 ダーウィンの女学校/大著『ゾーノミア』の出版/生物の進化を信じる/幸せな日々 阿片中毒になった患者/無神論的な進化主義/親友ウェッジウッド死す あらゆる病とその治療法/最もドラマチックな患者/コールリッジの中毒/新スタイルの詩 第12章 傷つきながらも挫かれず 1798-1802 名声を傷つけた三つの出来事/次世代への影響/多忙の日々と薄れつつある友情 エラズマス・ジュニアの苦悩/農業と園芸の哲学/1801年、安楽椅子で/死後の評判 第13章 生命の野外劇 1803-1832 社会の起源:生命の発生/否定された『生命の殿堂』/孫チャールズまでの人々 後を継いだ詩人たち/詩人にして言葉の画家 第14章 ダーウィンの遺産 1833-1977 二人のダーウィンの進化論/続く遺伝的な類似 学問的な関心の復活/かくも多様な業績 付 ダーウィン一家の家系図/参考文献/索引 |
■著者紹介:デズモンド・キング = ヘレ Desmond
King-Hele |
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1927年11月3日英国サセックス州生まれ。1950年代以降の宇宙ロケットや人工衛星の時代に、高層大気圏をあつかう物理学者として活躍。68年から88年まで英国国立航空研究所の宇宙部門に勤務。ロイヤル・ソサエティ会員。英国の科学・医学・技術史委員会会長など、輝かしい数々の経歴を持つ。 エラズマス・ダーウィンに関しては、本書以外にも書簡集を編み、詩人としての足跡を著し、総合的な視野からエラズマス復活をはかる。科学、文学の両方のジャンルで著書も多数。 |
■関連図書 | ▲ |
・ロシアの博物学者たち マルサスぬきの進化論の系譜 D・P・トーデス 3800円 ・英国心霊主義の抬頭 ヴィクトリア・エドワード朝時代の社会精神史 J・オッペンハイム 6500円 ・ビュフォンの博物誌 全図版をカラー復刻 荒俣宏=監修 12000円 ・大博物学者ビュフォン 18世紀フランスの変貌する自然観と科学・文化誌 J・ロジェ 6500円 ・ダーウィンの花園 植物研究と自然淘汰説 M・アレン 4500円 ・ダーウィン 世界を変えたナチュラリストの決定版伝記 A・デズモンド+J・ムーア 18000円 ・ダーウィンと謎のX氏 第三の博物学者ブライスの消息 L・アイズリー 2816円 ・ダーウィンの衝撃 文学における進化論 G・ビア 4800円 ・進化発生学 ボディプランと動物の起源 B・K・ホール 10000円 ・動物の発育と進化 時間がつくる生命の形 K・J・マクナマラ 4800円 ・個体発生と系統発生 進化の観念史と発生学の最前線 S・J・グールド 5500円 ・時間の矢・時間の環 地質学的時間をめぐる神話と隠喩 S・J・グールド 2524円 ・選択なしの進化 形態と機能をめぐる自律進化 A・リマ = デ = ファリア 5500円 |
■書評 | ▲ |
◎田中三彦氏(『読売新聞』1993年7月26日) 「エラズマスの名は彼の業績や影響の大きさに反比例して、一般にはあまり知られていない。知られているとしても、C・ダーウィンの祖父、進化論の先駆者、ぐらいであるだろう。 しかしイギリスの著名な高層大気圏科学者キング = ヘレにより本書で甦るエラズマス・ダーウィンは、「チャールズの祖父」という位置関係をほとんど逆転させんばかりに多彩であり、華麗である。 エラズマスは、王室付きの医者に乞われるほどの名医だったが、〈同時に〉、蒸気機関、風車、複写機、運河リフト、人工鳥(飛行機)など数々の装置を考案したり原理を説く天才的エンジニアであり、リンネの植物分類を支持し、断熱膨張、光合成、生命の起源、宇宙を論じる自然哲学者であり、長詩「植物の園」などによって文学界に新風を注ぎ、ワーズワース、コールリッジ、キーツらに影響を与えた情熱的な詩人でもあった。つけ加えれば、彼が主宰者の一人だった「ルナ・ソサエティ」は、ワットをはじめとする多数の科学革命家たちに力とインスピレーションを与えた。 この大作は77年に出版されているが、著者ヘレにとって〈なぜいまエラズマス・ダーウィン〉だったのか。おそらくそれは近代科学の器に収まらなかったエラズマスの、今風にいえば、〈学際性〉だろう。 しかしもっといえば、その質とスケールの違い、そして創造の源泉の豊かさ、深さだろう」 ◎古田武彦氏(『産経新聞』1994年12月27日) 「かつて、はやしはじめ氏(物理学者)はわたしの問いに答えて次のように語った。 「わたしたちの知っている科学史は、いってみれば、その『精華』の部分です。ですが、それを生み出した拝啓、つまり、ヨーロッパやアメリカなどの、広い教養世界の歴史が必ずあるはずです。それを、わたしたちは知りません」 江戸後期、寛政年間に、津軽の生んだ天才的学者、秋田孝季は、長崎でレオポルド・ボナパルドからビッグ・バンに近い説(「宇宙原素大爆裂」)を聞いた、と書いている(『東日流〈つがる〉六郡誌絵巻』)。その信憑性についての、氏の判断だった。だから簡単に否定はできない、というのだ(『真実の東北王朝』駸々堂)。その上孝季は「進化論」に当たる説も聴講したとして、海中の「見えざる菌」という生命体にはじまり、鼠、猿などを経て人間に至る発展を図示し、「生地にぞ適生に変化す」と結んでいる。進化論の骨髄をなす「適者生存」説だ。 だが、寛政年間に、チャールズ・ダーウィンはまだ生まれていない。だから「紅毛人ダーウィン説」として紹介された、古の絵巻の信憑性が疑われたのである。 ところが今回、本書が公刊された。エラズマス・ダーウィンは、チャールズの祖父。医者で博物学者。著者のヘレ氏はロンドンの物理学者、科学・医学・技術史委員会会長である。チャールズの祖父への手堅い研究を伝記の形でまとめた。 それによると、当時「宇宙爆発起源説」が論争の的になっていた状況が知られる。エラズマスは賛成説に立つ。 さらに「進化論」、これはさすがに詳しく扱われている。「進化を信じることの宣言」と著者の叫ぶような文章があり、生命の起源は太古の海の中に生じた「たった一つの生きたフィラメント(糸状のもの)」だったという。さらに「最も強く最も活動的な動物が種の間に広がり、それゆえに種が改良される」と「適者生存」理論がのべられている。 寛政年間は、エラズマスの晩年(60歳代)だから、すでにヨーロッパの知識界にこれらの説が生まれており、アジアの果て長崎の地で孝季等がこれをキャッチし、図示し、記録したのであった。 はやし氏の判断は当をえていた。これに反し、現代の教科書水準の科学史知識から、軽々しくこれを疑い、やがては当絵巻の「偽書」論まで登場したこと、真の科学精神からは遠かったようである。『ダーウィニズム論集』(岩波文庫)でも、八杉龍一氏は解説で同様の問題にふれている。探究者は真理の大海の岸に遊ぶ幼児のように虚心なれ。科学誕生の深い源泉に注目する時代が来たようである」 |
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