「ふと…」の芸術工学[詳細]
ふと、ほっとする 8つのイメージの技法
路上で、マンガのコマ割りに、スラムに、回虫に、空想科学に、ロボットに、
幾何学モデルに、アフォーダンスに・・・
「ふと・・・」立ち止まり、振り返り、見渡してみる踊り場のような空間と、
そこにたたずむ時間・・・
Lecture 1 赤瀬川原平 [トマソン観相の記]
誰のものでもない路上のものにふと・・・こころ洗われる。
Lecture 2 夏目房之介 [漫画のコマ学]
はっとして、時間をあやつるコマの「ふと・・・」
Lecture 3 宮本隆司 [都市の無意識=ダンボールの家 ]
虚ろな街にコマのふと・・・現われる、ホームレスが眠る場所。
Lecture 4 藤田紘一郎 [“虫の知らせ”の大事]
ふと・・・気がつけば回虫がそこにいる。
Lecture 5 柳田理科雄 [空想科学のひらめき]
「ふと・・・」連鎖する空想科学の奇喜怪快
Lecture 6 森 政弘 [「念・忘・解」の道 ]
夢中になって、懸命になって、いつか忘れた頃に「ふと・・・」
Lecture 7 カスパー・シュワーベ [「ふと・・・」する発明・発見]
キネマティック・セレンディピティ 動く幾何学モデルより
Lecture 8 佐々木正人 [認知の光景]
無数の意味に囲まれて ふと…アフォーダンスを生きる。
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい)
1937年、横浜市生まれ。子どもの頃から絵を描くのが好きで、武蔵野美術学校に進むが中退。60年、荒川修作らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成、ポップアートの先駆的活動を開始。前衛芸術家、イラストレーター、画家。81年『父が消えた』を尾辻克彦の筆名で発表し、芥川賞受賞。小説家としての活動も始める。また、宮武外骨研究家としても知られる。80年代半ばから「超芸術トマソン」と題して無意味な建造物や無用の物たちに着目し、路上観察学会会員に。『芸術原論』(岩波書店)、『路上観察学入門』(ちくま文庫)を著し、多くの共感を得る。さらに、脳内リゾート開発事業団に所属、ステレオ裸眼流家元と称して『二つ目の哲学』(大和書房)を著す。最近では『老人力』(筑摩書房)がベストセラーとなり、流行語にもなる。
夏目房之介(なつめ・ふさのすけ)
1950年、東京生まれ。青山学院大学文学部卒。「マンガ・コラムニスト」として、マンガ、イラストレーション、評論、エッセイなどに幅広く活躍。実作者ならではの視点を生かしたマンガ批評を展開する。『夏目房之助の漫画学』(ちくま文庫)、『消えた魔球』(双葉社)などを著し、92年以降、線やコマの分析による新しいマンガ表現論に取り組み、多くの後進に影響を与える。『手塚治虫はどこにいる』(ちくま文庫)、『手塚治虫の冒険』(小学館文庫)、『マンガはなぜ面白いのか』(NHKライブラリー)など、多くの著者やテレビ番組『マンガ夜話』への出演により、マンガ表現論を語る。これらの仕事が評価されて、先頃、第3回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。日本のマンガに興味を持つ海外からの取材も増えているという。
宮本隆司(みやもと・りゅうじ)
1947年、東京生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、都市空間の息吹を主題に見すえる写真家。89年、木村伊兵衛賞受賞。その後、ACC奨学金を得てニューヨークに滞在。96年には第6回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展に参加、その前年に撮影した阪神大震災後の街の記録写真で壁面を覆いつくし、パヴィリオン賞を受賞。主な写真展に、86年「建築の黙示録」(88年に同書名で出版:平凡社)、88年「九龍城砦」(同年、出版:ペヨトル工房)、92年「Angkor」(94年、同書名で出版:トレヴィル)、94年「ダンボールの家」がある。また、大震災後の神戸の記録は『KOBE1995 After the Earthquake』(建築都市ワークショップ)として出版されている。先頃の“AIR空気展”では、横浜のギャラリーにピンホールカメラの箱を設置した。
藤田紘一郎(ふじた・こういちろう)
1939年、中国東北部生まれ。東京医科歯科大学卒、東京大学医学部系大学院修了。テキサス大学で研究の後、金沢医科大学、長崎医科大学教授を経て、現在、東京医科歯科大学医学部教授。寄生虫学と熱帯病学を専門とする。日米医学会議のメンバーとして、マラリア、フィラリア、成人T細胞白血病やエイズ関連の免疫研究にたずさわる。その一方で、寄生虫とヒトとのよりよい共生のあり方を広く知らせる。94年、講談社出版文化賞受賞作となった『笑うカイチュウ』をはじめ、『空飛ぶ寄生虫』(講談社)など多数の著書がある。抗菌グッズなどがもてはやされる日本の時代情況に対する警鐘として『清潔はビョーキだ』(朝日新聞社)を出版。また免疫力の低下による花粉症などのアレルギー症と寄生虫との関係にも着目。本当にヒトに優しい環境とは何かを説く。
柳田理科雄(やなぎだ・りかお)
1961年、鹿児島県種子島生まれ。高校時代から科学の道に憧れ、東京大学理科I類に進学するが、在学中から塾教師の方に生きがいを感じ、大学を中退。現在も学習塾講師を勤め、子どもの心の機微を大切にする。自らの少年時代、ふとしたことから宇宙を体感した情況と、テレビで初めてウルトラマンを見たときの感覚が似ていたという。いつしか、物理学者になりたかった少年は、ウルトラマンを夢物語の世界の主人公から、身近な存在に引き寄せ始める。柳田流空想科学の世界では、ウルトラマンも怪獣も意外な素顔をのぞかせ、いきいきと輝く。96年、初の著作『空想科学読本』(宝島社)を出版。引き続き『空想非科学大全』(メディアワークス)を著す。共著『空想科学大戦!』(メディアファクトリー)がある。新たな物語作家の誕生を想わせる著作の人気は、ウルトラマン世代を超えて広がる。
森 政弘(もり・まさひろ)
1927年、三重県生まれ。名古屋大学電気工学科卒。東京大学生産技術研究所助教授を経て、87年まで東京工業大学教授。工学博士。現在、東京工業大学名誉教授、自在研究所社長。自動制御からロボット工学に進み、ロボット博士として知られる。NHKの人気番組で、すでに10年目を迎える全国の工業高等専門学校生による競技「アイデア対決ロボットコンテスト」の発案者でもあり、ロボコン会長。「ロボコンマガジン」(オーム社)編集顧問。また、機械と人間の関係に興味を深め、「効率や能率ばかり追究していては発想は行き詰まる、無駄や遊びにも価値がある」をモットーとし、自遊自在学を提唱する。研究のかたわら禅寺で仏典に親しむなど、仏教にも造詣が深い。著書に『非まじめのすすめ』(講談社文庫)、『発想工学のすすめ』(講談社ブルーバックス)、『頭の自遊自在学』(自在研究所)など多数。
カスパー・シュワーべ(C.SCHWABE)
1953年、スイスのチューリッヒ生まれ。心理学者のユングとも親交のあったグラフィック・デザイナーの父のもとで育ち、同地のシュタイナー学校を卒業。その後は独学で科学、芸術、デザインを修め、彫刻家W・ウィンプハイマー、K・メツラーに師事。自らも幾何学モデルを制作しつつ、科学博覧会のアートディレクターとして国際的な活動を展開する。84年にフェノメナ展、91年にオイレカ展と題した大規模な科学博覧会のアート・ディレクションを務める。86年にダルムシュタットで行われたシンメトリー展をはじめ、セルビア万博スイス館、科学館テクノラマなどの仕事を通して、科学者や芸術家などと独自のネットワークを形成。国際的な活動を展開中。日本では、福岡市の西部ガスミュージアムに作品「クラドニのパターン」がある。「キネマテック・セレンディピティ」は94年、日本で初公開された。
佐々木正人(ささき・まさと)
1952年、北海道生まれ。東京学芸大学教育学部を卒業し、筑波大学大学院心身障害学専攻修了。早稲田大学人間科学部助教授を経て、現在、東京大学教育学部教授。生態心理学を専攻し、さまざまな認識の基礎にある身体的な知覚のプロセスをフィールドワークすることにより、「暗黙知」とされる事象の解明に取り組む。著書に『からだ:認識の原点』、『アクティブ・マインド』(共編著、ともに東京大学出版会)がある。また、アメリカの心理学者であり、現代の認知科学や人工知能論に決定的な影響を与えているJ・ギブソンによる「生態学的認識論」のキーワード「アフォーダンス」の思想をわかりやすく説いた『アフォーダンス——新しい認知の理論』(岩波書店)、『知性はどこに生まれるか』(講談社)などの著書がある。
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