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「インプロヴィゼーションは90パーセント精神の問題だ・・・」 音楽とは本来、唱えられ鳴らされる……つまり空気の振動の現場において初めて音楽たりえる。 ヨーロッパ近代文明の鬼っ子としてのデレク・ベイリーが、 極度に分業化されたヨーロッパ音楽のイディオムを全面的に解体すると同時に、 空間的・時間的に様々な旅を始めたとき、 彼はなによりもパフォーマーであり、インプロヴァイザーであらねばならなかった。 我々にとって精神の問題とはすぐれて身体の問題であるし、 音楽において創造的であることが即興演奏の復権であらねばならないことは自明である。 ここに終わりなき旅としての゛即興″ への諸行程が、 彼みずからの手によって明かされることになった。 坂本龍一 |
■目次より | ▲ |
序文 音楽上のテクニックや作曲形式で、即興演奏による実践から発していないもの、本質的にその影響をうけていないものなどない─E・T・フェラント 第一章 インド音楽 【ラーガの本質】 「ラヤ」は、宇宙空間とかエネルギーを説明するさいに出会う、連続的・ダイナミック・均衡・弾道・遠心力の、といった言葉であらわされる─デレク・ベイリー 【インプロヴィゼーションの学習】 ラーガのフィーリングとは、身についた直観力のことです─ヴィラム・ジャサニ 第二章 フラメンコ 【創造の原動力としての即興】 ほんの少し、即興演奏に身をまかせることで、曲のなかである高みに達することとがある。そのほんの少しが、曲全体の性格を一変させてしまう─パコ・ペーニャ 第三章 バロック音楽 【通奏低音の和声づけ】 過去の音楽家は゛耳″を゛理性″の下に位置づけるという誤りをおかしてきた─J・D・ハイニヒェン 【装飾としてのインプロヴィゼーション】 われわれは現代のレコーディング・テクニックと放送によってあまりにも条件づけられている。もっとより生き生きと、その゛場″を感じてもいいんじゃないか─ライオネル・ソルター 第四章 教会オルガン音楽 【即興に生きてきた教会オルガニストの伝統】 インプロヴィゼーションは、たんに自己表現のひとつであるばかりでなく、礼拝が進行していくために必要とされる不可欠な要素を含んでいる─スティーブン・ヒックス 【フランス教会オルガン楽派】 即興演奏家にとって、もっとも大事なことは速く考えられるということだ─ジャン・ラングレー 第五章 ロック 【[イエス]の即興演奏とは】 ぼくがいい即興と認めるのは、音が前に押し出されてくる……、ひとつひとつの音がそれだけで価値をもってくる……これだね─スティーブ・ハウ 第六章 聴衆 【「場」とともに起こる即興演奏】 インプロヴィゼーションの聴衆は、ほかの音楽の聴衆にはないある力をもっている─デレク・ベイリー 第七章 ジャズ 【硬直した゛伝統的″なジャズ】 音楽の演奏活動と創作活動とが分離される必然性がないこと、また楽器による即興演奏は、それがもっともうまくいったときは、最高の音楽表現に達することができるということを、ジャズをとおして思い出すことができる─デレク・ベイリー 【フリー・ジャズはよみがえるか】 いつでも知られざるものの淵にいて、跳躍の準備をしておくこと、そして。いざ向こうへいこうというときには、準備をした手段がすべて手元にあり、あとは知られざるものにひと跳びするだけです─スティーブ・レイシー 第八章 現代音楽 【作曲家とインプロヴィゼーション】 ジョン・ケージが゛チャンス″というプロセスを厳密に、またそれだけを追求していたのと同じころ、私は即興的な形式について考えていた─アール・ブラウン 【即興のできない演奏家】 インプロヴィゼーションは、未知の詩で、それとともに前進できるかもしれないが、精緻に書かれ記譜された曲の演奏では、自分がほんとうに前進することはない─アンソニー・ペイ 【即興的作品の演奏】 シュトックハウゼンは、いつもフリーな作品と作曲された作品とをまぜようとする。即興演奏のイディオムと、厳密に記譜された作品のイディオムとが、どんな関連をもっているのか、この方法だとよくわかるのだ─アンソニー・ペイ 【インプロヴィゼーションと作曲家の意図】 私の理想とする音楽をやってくれるのは、音楽が演奏されるまさにその時に、現実におきている正確な感情的、音響的、心理的状況、そしてもっと微妙な雰囲気のような状況に呼応して、自由に即興演奏をする、そういうミュージシャンの集まりだとおもっている─ヒュー・ディヴィーズ 第九章 フリー・インプロヴィゼーション 【フリー】 フリー・インプロヴィゼーションへ導いた衝動の大部分は音楽言語の崩壊に由来する。もっと正確にいうなら、音楽言語をつかさどる゛規則″の崩壊に由来する─デレク・ベイリー 【ジョセフ・ホルブルック】 私たちは、集団的な言語を発展させた。意識的にくみたてた言語ではなく、個々の段階では各人が提供する要素によって成立する象徴的なものとしての言語を。それは総合すると、個別の部分を合わせただけのものを超越する─ギャヴィン・ブライヤーズ 【ミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニー】 ある演奏者の演奏法を大きく規定するのは、その楽器を演奏するときの触覚的エレメント、身体的体験、それにこの器楽的衝動などに対する演奏の姿勢である─デレク・ベイリー 【楽器の選択】 即興的演奏のテクニックは、あふれるような創造的インパルスを表現するのに必要な知的、精神的、力学的エネルギーと直接、調子をあわせるためにある─リーオ・スミス 【レコーディング】 インプロヴィゼーションが重要な役割をはたしている現実の音楽において、レコードは凍結された、固定化された瞬間しか与えてくれない─アラン・ダニエル 【ソロ・インプロヴィゼーション】 音楽的な要素のなかで、もっとも重要な操作ができるピッチの利用を故意にさけるのは、即興演奏者として頑迷すぎると自覚した─デレク・ベイリー 【インプロヴィゼーションへの批判】 いま、私がインプロヴィゼーションに反対している理由のひとつは、音楽創造をしている人物と、音楽とがかならず同一視されてしまうことだ─ギャヴィン・ブライヤーズ 【インプロヴィゼーションの教育】 やかん─なんらかの音、水の事態、そしてなぜ水を沸騰させるのかという問題。それはいったい音楽だろうか。音楽とはなにか。また、音楽でないものとはなにか─ハン・ベニンク 【自由と制約】 日常生活では、たくさんのレベルでたくさんの相が同時進行している。音楽と日常の生活のあいだには、並行しているものがある─ミシャ・メンゲルベルク 【制約と自由】 インプロヴィゼーションの本質は、音楽の本質に似ている。インプロヴィゼーションは、音楽の演奏じたいがもつ非言語性とぴったり合致している。音楽を追究する最良の領域は即興演奏だともいえる─デレク・ベイリー 訳者あとがき 本文に出てくる音楽用語解説 |
■著者紹介:デレク・ベイリー Derek
Bailey |
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1932年1月29日、イギリスのヨークシャー州シェフィールドに生まれる。独学でギターを習得し、55年から65年にかけて、ダンス・ホール、劇場、放送局、レコーディング・スタジオなどで、プロの゛コマーシャル″ギタリストとして従事。60年代半ばからフリー・インプロヴィゼーションを中心とした音楽活動を実践する。70年、エヴァン・パーカーらとともにフリー・ミュージックのレコード会社〈インカス〉を設立。以降、ソロをはじめ、自身が主宰する即興演奏家の集団〈カンパニー〉とともに、インプロヴィゼーションの可能性を追求している。78年以来、数度来日コンサートを行う。 |
■関連書籍 | ▲ |
・ドラム・マジック リズム宇宙への旅 ミッキー・ハート 2500円 ・音楽の霊性 ニューエイジ・ミュージックの彼方へ P・バスティアン 2500円 ・イルカの夢時間 異種間セッションへの招待 J・ノルマン 1900円 ・大ザッパ論 20世紀鬼才音楽家の全体像 大山甲日 5000円 ・大ザッパ論2 鬼才音楽家の足跡1967-1974 大山甲日 5500円 ・めかくしジュークボックス 32人の音楽家たちへのリスニング・テスト ザ・ワイアー=編 2900円 ・星界の音楽 神話からアヴァンギャルドまで—音楽の霊的次元 J.ゴドウィン 3200円 ・音楽のエゾテリスム フランス[1750-1950]秘教的音楽の系譜 J.ゴドウィン 3800円 |
■書評 | ▲ |
◎佐々木敦(『GROOVE』2000年7月号) …そもそも「インプロヴィゼーション 」とは何なのか、ということを考え直してみたい。そのためにまず、デレク・ベイリーにとっての『即興演奏』の「はじまり」にまでさかのぼってみたいと思う。…独学でギターを学んだ彼は、若いころはプロのギタリストとして…オーソドックスな演奏もこなしていたのだろう。そんな彼が決定的な変化を遂げていくのは、ドラマーのトニー・オクスレー、ベーシストのギャヴィン・ブアライアーズとのトリオ、ジョセフ・ホルブルックでの活動を通してのことである。…そのわずか3年の間に不可逆的なシフト・チェンジを経験することとなった。当時のことについては、ベイリー自身が「即興演奏」のドキュメントと理論的検証を行った名著『インプロヴィゼーション』の中で、次のように書いている 当初、われわれは従来どおりのジャズ風に演奏していた。インプロヴィゼーションもたいていはジャズのスタンダードからくる一定のコード進行にのっとり、イン・タイムでやっていた。しかし、これらの限界を拡げようという動きは、ごく最初からあったような気がする。…これらの動きを総合すると、いっさいは、われわれの演奏を規定していたハーモニーとリズムの枠組みを打ち破ろうとする試みであったといえる。 |
■関連情報 | ▲ |
●G-Modern vol.26 追悼デレク・ベイリー ●2006.1.29 デレク・ベイリー追悼コンサート ●2005.12.24 デレク・ベイリー死去 |
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