私たちのワンダフルライフ[詳細]
フロンティアを鼓舞する神経内分泌学者
有村章博士
A・シャリー博士(1977年度ノーベル生理学・医学賞受賞)の研究室に私を留まらせたのは、有村博士の古武士さながらの沈着冷静な学問への情熱と研究姿勢でした
——松尾壽之
(第9回VIP/PACAP関連ペプチド国際会議
:有村メモリアルシンポジウムに寄せた弔辞より)
巻頭 ふたりのアルバム
第1部 私たちの滞米日記 有村章・有村勝子
1 神経ペプチド研究に魅せられて
2 新婚生活
3 シャリー、ギルマン両博士との出会い
4 シャリー博士のもとでLHRHの構造解明
第2部 研究ざんまい・暮らしざんまい 有村勝子
1 めぐり会い
2 ニューヘイヴンでの新婚生活
3 初めてのニューオーリンズ
4 札幌での日々
5 シャリー博士にノーベル賞をもたらしたLHRHの解明
6 日米協力生物医学研究所設立
7 最後の実験
第3部 神経ペプチド研究のルーツ 有村章
1 父との須磨の思い出
2 視床下部、下垂体系の内分泌調整—その研究史
有村 章(ありむら・あきら)
1923年、神戸市生まれ。旧制七高(現・鹿児島大学)、名古屋大学医学部卒業後、56年、イェール大学医学部生理学教室に留学。ニューオーリンズのチューレン大学で3年過ごした後、帰国し北海道大学生理学教室の助手となる。65年、チューレン大学教授となったA・シャリー博士の招きで再渡米。71年、馬場義彦、松尾壽之と協力して黄体化ホルモンの分泌をひきおこす神経ペプチドLHRHの構造を解明し、77年、シャリー博士にノーベル生理学・医学賞をもたらす。世界で最も論文が引用された日本人科学者としても注目を浴びる (1965-72)。
85年、日本の財界の協力を得てチューレン大学日米協力生物医学研究所を創立。所長として研究を率先し、89年、脳疾患への応用が期待されるPACAP(下垂体アデニル酸シクラーゼ活性化ポリペプチド)を発見。93年以来、PACAPをテーマとする国際学会が二年ごとに世界各地をめぐりながら開催されている。
2007年12月10日、ニューオーリンズの自宅にて永眠。
有村勝子(ありむら・かつこ)
1933年、浜松市生まれ。東京女子大学英米文学科卒業後、東京YWCA幹事に就職。56年、留学をひかえた有村章と婚約。翌年、単身渡米して結婚。日本語教師、イェール大学およびチューレン大学技術員、生け花教師として活躍。札幌時代には生け花インターナショナル札幌支部を設立、再渡米後に同ニューオーリンズ支部を設立し支部長もつとめる(1979-80)。70年、ニューオーリンズ日本語補習校を設立して教師に就任。チューレン大学ニューカムカレッジ芸術学部に入学し、デッサン、油絵、彫刻などを学ぶ(1973-77)。
85年、生け花インターナショナル北米大会を会長として開催。
2011年、APAS(アジア太平洋アメリカ協会)より、フランク原賞受賞。VIP/PACAP関連ペプチド国際シンポジウムには、第1回より7回まで夫婦そろって参加。章没後も、鹿児島(第9回)、ペーチ(第11回)、カッパドキア(第12回)に参加し各地の研究者と親交を重ねている。
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