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土星の環インタビュー

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工作舎の本を熱烈に応援してくださる方に出会います。
著者・訳者や編集者顔負けに深く本を理解し、魅力を広めてくださる方が少なくありません。
そうした方々のお話をうかがう新シリーズ「土星の環インタビュー」、どうぞお読みください。

土星

#001

テスラ研究家 新戸雅章さんに聞く
チェニー『テスラ 発明王エジソンを超えた偉才』

科学者テスラを再評価させた「革命」的書

テスラ


2013年は科学者ニコラ・テスラ没後70年にあたる。工作舎では1997年にマーガレット・チェニーによる本格的伝記『テスラ』を刊行。日本のテスラ研究の第一人者、新戸雅章さんは、何冊もの著書があるにもかかわらず、このチェニーの本を推薦してくださる。その理由を、テスラの魅力とともにうかがった。

 —— テスラを知ったきっかけは?

1980年代後半、マッドサイエンティストの本をつくろうと、リストアップした中の一人でした。オカルト系の雑誌に魔術師と同列に扱われていたんですが、調べていくと、テスラという電気の単位があったり、交流電力とモーターの発明者だとわかり、他のインチキな人物とは一線を画す存在だと感じました。

 —— テスラはそんなに無名だったんですか!

交流が現在の電力のシステムだとは知っていましたから、そのシステムを作った人がなぜ無名なんだろう?と思ったんです。日本語で読める文献がないので、海外から洋書を取り寄せて、調べていきました。最初に届いた本は薄い本でしたが、伝記的な記述があって基本がやっとつかめた。講演録だと思って注文したら、テスラの霊を呼びだすという本だったなんていうこともありましたね。玉石混淆です。情報を取捨選択してテスラのイメージをつくっていきました。

ニコラ・テスラ
ニコラ・テスラ 1856-1943

■ マッドサイエンティストから超人へ

 —— テスラのイメージとは?

僕が好きなSF映画に『禁断の惑星』があるんです。そこに登場する孤高の科学者が、僕のマッドサイエンティストのイメージを決定づけていました。滅び去った宇宙文明が地下に眠っていて、その解明に生涯を捧げている科学者です。地下都市に行くとテスラコイルのようなマシーンから放電がバリバリバリと伝わって。あれはテスラの無線送電のイメージからデザインしたのでしょう、だからマッドサイエンティストのイメージにテスラがぴったりでした。でもテスラの実像はそれよりもっとすごかった。

ニコラ・テスラ
テスラの頭上から降り注ぐ数百万ボルトの放電

 —— チェニーの『テスラ』は?

工作舎の邦訳が出る前に、ペーパーバックで原書を読みました。最初はSF小説のアイデアになると単純に思っていたんですが、読み進めるにつれ、これは凄い人だ、これはなんとかしなきゃいかん、テスラを広めなければ、と思いましたね。彼の人生というか、彼のアイデアも含めて、これがまさに生きているSFだ、SFそのものだと思えたんです。SF小説を書いてみましたが、逆に嘘っぽくなってうまくいきませんでした。まだまだ僕の知識が足りなかったんです。

 —— その後、著書『超人ニコラ・テスラ』を上梓されましたね。

筑摩書房の編集者と縁があって僕の書き下ろしで出すことになりました。それが『超人ニコラ・テスラ』で1993年に出しました。日本で初めてテスラを扱った本でしたから話題になり、よく売れて文庫にもなりました(文庫タイトルは『発明超人ニコラ・テスラ』に改題/ちくま文庫)。その後も工学社などから出版し、テスラ研究がライフワークになりました。


■ 電気と無線の発明

 —— 超人と名付けるくらいテスラはすごいのですね?

テスラの発明の中で、誰も文句を言えない発明は二つあります。一つは交流誘導モーター。これは今も世界中で使われていて、本当はテスラモーターと言わなければいけないくらい、発明者がテスラとはっきりしているものです。
もう一つは無線。ラジコンとかリモコンですね。リモコン、つまりリモートコントロールは遠隔操縦全般のことですから有線もありますが、無線のリモコンにはテレビや車のキー等のリモコンが身近な例です。ラジコンはリモコンの中で電波を使うもので、全部テスラの発明なんです。その他にネオンサインやラジオも発明しました。

 —— 無線というとマルコーニで、テスラのイメージはありませんが。

テスラは「世界システム」(*1)という無線で電気を送る(無線電力電送)壮大な実験をしたのですが、それが失敗して空想家のイメージがついてしまいました。でも無線で本当の業績をあげたのは、マルコーニよりもテスラです。

ワーデンクリフ
「世界システム」の象徴ワーデンクリフ

 —— 先に無線を発明したのはテスラなのですか?

そうです。マルコーニの名声を高めた大西洋横断無線通信は、テスラの特許を何件も使っています。無線の特許をめぐっては二人の間でいくつもの裁判が争われました。マルコーニはマルコーニ無線通信会社という会社組織をつくって、会社を通じて宣伝を続けて世間の評判は有利になったんです。片やテスラは研究所にすぎないので、裁判でお金がなくなりました。
マルコーニは商売もうまかった。日本が日露戦争前にマルコーニの無線特許をとろうとしたら、ものすごく高い特許料をふっかけられたそうです。それで日本は諦めて、苦労に苦労を重ねて独自開発したんです。その無線電信でバルチック艦隊発見を打電して日本海海戦を勝利に導きました。


■ 戦争を左右した科学技術

 —— 無線電信が戦争を左右したんですね。

科学技術全般です。第一次大戦では戦車、航空機、毒ガスといった新兵器が大量に投入され、勝敗を分けました。そうなると当然、国が予算を出します。テスラの発明も戦争という時代背景抜きでは考えられません。彼の生きた時代をきちんと追っていかないと、オカルトになってしまうんですよ。

 —— 19世紀末から20世紀初めは蓄音機や映画の原型など、今も使われる技術が次々と生みだされていますね。

発明の時代です。当時の技術ですぐにできるものは実用化され、技術にあわないものは捨てられ、そうして発展してきました。しかしテスラは違った。その全てに挑戦したんです。テスラが試みた無線送電は未だに研究されていて、21世紀の技術だとも言われています。
一方、無線電信はテスラの時代に実用化済みです。技術史では無線電信は昔の技術となり、無線電力は未来の技術という序列で考えてしまうけれども、当時は未分化でした。だからテスラは無線のあらゆる可能性を考えていました。
テスラは理論をきちんと立てて、実証する。至極全うな科学者です。ただ理論のスケールが大きすぎた。ある種、巨大科学をやろうとしたんです。「世界システム」は今で言うと、巨大なサイクロトロンやカミオカンデみたいなもの。潤沢な研究資金があれば、無線電力は実用化されていろいろな科学的成果が生まれたのかもしれません。


■ フリーエネルギー、あるいはテスラ伝説

 —— テスラは地熱エネルギーや風力発電など現代に有望なアイデアを出しています。中でも空間からエネルギーを無限に得るというフリーエネルギー(無限エネルギー)が一部で注目されていますが、(*2)現代だったら実現するのですか?

まず外部からのエネルギー供給なく無限の運動を得られるという永久機関は、テスラ自身も否定しています。空間からエネルギーを取り出す方式は、取り出すためのエネルギーが大きすぎて今のままでは実現は難しいのでは。テスラの発明の根本は共振の利用にあります。小さなエネルギーで大きなエネルギーを取り出す、そういう発想はまだいろいろな分野で応用される可能性はありますね。

 —— 理論家であるテスラがなぜ失敗したのでしょうか? 時代が早すぎたのでしょうか?

理論が19世紀のままだったことも一因です。20世紀になって、アインシュタインらの物理学革命、量子力学革命が起こりました。特殊相対性理論が出た1905年、テスラは60歳近く。その年齢では物理学の根本が覆ったことについていけなかったんです。エジソンやマルコーニなんて理論もなかった。テスラは理論家だったゆえに理論に引きずられてしまったともいえるでしょうね。

 —— マッドサイエンティストと見なされるのは?

晩年は、オカルトめいた発言もありますが、名声が落ち生活も困窮する失意の中で記者に語った大言壮語だったのでしょう。
また死後すぐに発表された伝記も影響しています。ピュリッツァー賞を受賞したジャーナリストで、生前のテスラと親交があったジョン・J・オニールが記した伝記です。魅力的な読みものでしたが、オカルトがらみの伝説を批判せずに書いてしまっていました。「テスラの死後、金庫から重要書類が盗まれて、旧ソ連にわたって殺人光線ならぬビーム兵器に転化された」などという「伝説」の出所はオニール本です。

未来戦争のイラスト
ワーデンクリフ・タワーの完成予想図に基づいた未来戦争イラスト

 —— そういった陰謀はなかったんですか?

テスラの死後、FBIなどが彼の論文を調べたという事実はありました。それに尾ひれがついたのでしょう。
オカルト的なエピソードを信じ込みたい人は少なくありません。全体を見ずにその点だけを注目してしまう。オカルト的側面だけが広がって、正当にテスラを評価することが敬遠されてしまいました。それで歴史に埋もれてしまったんです。


■ チェニー革命、正当な評価へ

 —— 今、テスラは再評価されています。

それはチェニーの伝記のおかげです。アメリカでは1981年に出版され、テスラの自伝に基づいて、オニール本のオカルトめいた記事を批判しています。だからテスラ研究史的には「チェニー革命」と言ってもいいくらいに大きな意味があります。

 —— テスラの生まれ故郷の評価はどうですか?

旧ユーゴスラビア、セルビアではずっと英雄です。紙幣もテスラの絵柄のものが複数あり、首都ベオグラードの空港名もニコラ・テスラ空港です。ベオグラードのテスラ博物館は1956年に設けられています。そこのメイン展示がテスラコイルで、小学生が見学に行くと蛍光灯を持たされる。テスラコイルからの放電で蛍光灯が光って、子供たちは大喜びです。

 —— テスラも放電実験をしていましたね。

19世紀末、科学の啓蒙には大衆へのアピールは重要でした。テスラが尊敬しているファラデーもそう。科学者が社会で相応の地位を与えられるようになったのは19世紀後半にすぎません。テスラは希代のパフォーマーで、「電気の魔術師」とたたえられました。今でいう、サイエンス・プロデューサー米村でんじろうさんのような役割も果たしていたのです。


■ 8月、テスラ没後70年記念イベント

 —— 新戸さんが主宰するテスラ研究所が中心になって8月にイベントを開きますね。

「湘南電気実験博覧会」といって、テスラ没後70年を記念したイベントを8月17日に藤沢で行います。薬師寺三津秀さんが制作したテスラコイルの実験をメインに、テスラの科学と実験から業績を再認識するイベントになります。パフォーマンスとして面白いだけではなく、空気中を電磁波が伝わるのはどういうことか?共振とは何か?という科学の楽しさを伝えます。

 —— 生誕イベントに次ぐ2回目のイベントですね。

2006年の生誕150年記念イベントは川崎で行い、全国から400人超に来場いただきました。そのときはテスラの紹介を兼ねた、業績を知ってもらうイベント。京都大学副学長(当時/2006年より総長)の松本紘氏の記念講演、巽孝之さんと小泉成史さんを招いてパネル討論、薬師寺さんのテスラコイル講座と盛りだくさんでした。薬師寺さんのテスラコイルはそのときはまだ初期段階で、相当調整が必要で悪戦苦闘していたんです。実験自体は大好評でしたが、今度はさらにパワーアップしていますから楽しめますよ。小中学生にも来てほしいですね。

 —— ご成功をお祈りします。どうもありがとうございました。


薬師寺テスラコイル
薬師寺テスラコイル


新戸雅章さん

新戸雅章(しんど・まさあき)
1948年、藤沢生まれ。横浜市立大学卒。学生時代よりSFファンジン活動に励み、日本SF大会運営企画にも従事する。公務員を経て、編集プロダクション設立。SF評論誌「SFの本」創刊。その後、文筆活動に入る。ニコラ・テスラの研究をライフワークとし、テスラ研究所を主宰。主な著書に『発明超人ニコラ・テスラ』『バベッジのコンピュータ』(ともに筑摩書房)、『テスラ 発明的想像力の謎』(工学社)『天才の発想力 エジソンとテスラ、発明の神に学ぶ』(ソフトバンククリエイティブ)、訳書に『インド科学の父ボース』(パトリック・ゲデス著/工作舎)など。




*註1 世界システム:1901年、テスラがロングアイランドに建設しようとしたワーデンクリフは、巨大な無線塔と関連設備、工場からなる。完成のあかつきには無線、無線電話、ファクシミリ、ラジオ、無線送電など、無線のあらゆる可能性を追求する複合施設となるはずだった。テスラはそれらを一括して「世界システム」と名付けていた。
しかし、翌年マルコーニが大西洋横断無線通信に成功すると、テスラのシステムに対する懐疑的な見方が広まった。テスラは無線送電のみに絞って再起を図ったが、出資者のモルガンに見放され、計画は完全に頓挫した。


*註2 フリーエネルギー:地球全体の磁場を利用した電気振動と共鳴させることで、空間からエネルギーを無限に得られるしくみ。

*ニコラ・テスラ没後70年に関連して、丸善丸の内本店3F理工書にて「天才科学者たちの波乱万丈な生涯フェア」開催(2013.5.30〜7.31)。またジュンク堂書店藤沢店でも同フェア開催。




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