『形而上学の可能性を求めて』
図書新聞 野家啓一氏書評
哲学者としての山本信の本領は、
まさに教育の現場でこそ発揮された
(山本哲学の核「相補的二元性」では)かつて西田幾多郎が「絶対矛盾的自己同一」という難解な述語で言い表そうとした事柄が、いとも簡単に表現されていることがわかる。…ここには「あい反するもののどちらも否定せず、互いに相補的関係にあるものとして捉える山本の思考態度、あるいは生きる姿勢(山本に接したことのある人間ならば誰でも知っている度量の広さ)がある」(雨宮民雄)と言ってよい。こうした思考態度や生きる姿勢が、もっとも効果的に具現化されたのは大学の教室においてであった。
(中略)山本は東京大学の最終講義において、「哲学する者は、特定の学説の内部にひきこもることなく、自分の説が全面的に否定される可能性に対して、いつでも理論の外に出て身を開いている姿勢が必要だと思います」と述べている。その意味で、伝説的な「山本ゼミ」はこのような哲学的信念の具体的実践にほかならなかった。そこから日本の哲学界を背負う幾多の俊秀たちが輩出したことを考えれば、哲学者としての山本の本領は、まさに教育の現場でこそ発揮されたと言うことができる。
『形而上学の可能性を求めて――山本信の哲学』
佐藤徹郎・雨宮民雄・佐々木能章・黒崎政男・森一郎=編/税込価格 4200円