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ele-kingに『デレク・ベイリー』書評掲載

デレク・ベイリー

2014年4月24日 音楽サイトele-king(エレキング)に、細田成嗣さんによる『デレク・ベイリー』の書評が掲載されました。


…ベイリーの著作における擬似対話形式を模したのだろうか、まるでこの希代の音楽家や彼と関係を有したさまざまな人物が傍らにいて語りかけてくるような構成を、本書はとっている。そのことを著者は「矛盾に満ち、論争的で、未完成の書物」への意図であり、つまりは「即興的で弁証法的な本」であると言うのだが、このことはベイリーの音楽に対して、たんなる読解を試みたのではなく、むしろ真っ向から立ちむかうような批評的視座をもって対峙しているのだということの、忌憚のない宣言だと受け取ることができるだろう。ともあれ、極東の小国で暮らすわたしたちにとって、即興音楽のパラダイムを突き崩したともいえる異端ギタリストの人生に肉迫できるような書物が刊行されたということは、それだけでもじゅうぶんに意義のあることだと言えるように思う。…

…ベイリー・フリークならずとも、音楽に興味を抱くどんな人間の関心をも引いてやまないだろう小噺が満載の本書にあって、しかしその枢軸をなしているのはやはりこのギター奏者が切り拓いた「フリー・インプロヴィゼーション」という即興演奏の新たな領野を巡って織り成される思索の数々である。それは音楽を、音が生起する現場において具体的に聴取していくための方策であり、言語にたとえるならば「ノン・イディオマティック」な演奏つまりあらゆる語法から離れることによって可能になるのだとベイリーは言う。…

…彼がまったくの自由を目指したのではなく、死の間際まで特定の弦楽器とそれを扱う自身の肉体に徹底的にこだわりつづけ、その上で「ノン・イディオム」を唱えたという意味を汲み取るならば、それは音楽の立脚点を、既成の文脈ではなくて、その時その場にしかあり得ないような実践する人間におくことによって、「楽譜や記録や体系に還元不可能な具体的な発語の結合組織」をそのつど生み出していったということではなかろうか。ならば情報に溺れ物語に翻弄される現代においてこそ、生きた音楽からけっして目を逸らすことのなかったデレク・ベイリーの足跡を、もういちどたどり直してみる必要があるとは言えないだろうか。

全文はele-king(エレキング)サイトへ






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