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追悼・フリーマン・ダイソン博士

フリーマン・ダイソン博士
フリーマン・ダイソン博士

20世紀を代表する天才物理学者フリーマン・ダイソン博士が2020年2月28日、アメリカ・ニュージャージー州プリンストンで逝去されました。享年96歳でした。

博士を一躍有名にしたのが、20代の若さで、朝永振一郎、シュウィンガー、ファインマンがそれぞれ提唱していた量子電磁力学が数学的に同等であること示した「トモナガ・シュウィンガー・ファインマンの放射理論」と題した1949年の論文でした。着想を一つにまとめて、完全性を証明する役割を果たしました。この理論で朝永博士ら3人は65年、ノーベル物理学賞を受賞しました。

その後、ダイソン博士はプリンストン高等学術研究所へ。同研究所の個性的な科学者たちを綴ったエド・レジス『アインシュタインの部屋』の下巻8章はダイソン博士を中心に綴られ、「彼ほど豊かな想像力をもった人間は他にはあるまい。何しろ彼の頭の中からは、アイデアであれ企画であれ計略であれ、限りなく次つぎと生まれでてくるのだ。それも素粒子や星や銀河系だけではなく…それこそありとあらゆるものを網羅している。彗星に木を植え、これにうち乗って太陽系をめぐる計画とか、大空のひずみに合わせて形を変えられるように、望遠鏡にゴムの鏡をつける工夫とか、カメのDNAを並べ直し、歯の先がダイヤでできたカメを育てる企画とか、まったく奇想天外な話ばかりだ」と。

『アインシュタインの部屋』下
『アインシュタインの部屋』下

理論物理学にとどまらず、原子核工学、宇宙工学、天文学、宇宙論へとどんどん活動の範囲を広げ、水爆によって宇宙船を飛ばす「オリオン計画」への参加、恒星の全エネルギーを利用した人工天体「ダイソン球」を考案し、SFにも影響を与えました。

『ガイアの素顔(原題:From Eros to Gaia)』は、科学の役割・人類の行方を冷静かつあたたかな視点で語ったエッセイ集です。9歳で書いた未完のSF、朝永振一郎、シュウィンガー、ファインマンのノーベル物理学賞受賞時の文章、コーネル大学在学中に同教授だったファインマンが登場する書簡「1948年のファインマン」なども収録し、貴重な資料となります。最終章はタイトルと同じ「ガイアの素顔」で、ラヴロックのガイア思想に言及して終わります。

『ガイアの素顔』
フリーマン・ダイソン『ガイアの素顔』


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



フリーマン・ダイソン Freeman Dyson
1923年、イギリス生まれ。理論物理学者、宇宙物理学者。 1945年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ卒業後、1947年にアメリカに渡り、コーネル大学大学院に入学。 1953年からプリンストン高等学術研究所の物理学教授、同名誉教授を歴任。
朝永、シュウィンガー、ファインマンの量子電磁力学の等価を証明したことで、その名が知られることになる。場の量子論、物質の安定性、相転移、中性子星、重力理論、地球外文明の問題、原子炉の設計など研究範囲は広汎にわたる。
著書に『多様化世界—生命と技術と政治』『叛逆としての科学』『科学の未来』『核兵器と人間』(以上、みすず書房)、『宇宙をかき乱すべきか—ダイソン自伝』(ちくま学芸文庫)など。






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