12月の新刊 カニーゲル
『メンター・チェーン
──ノーベル賞科学者の師弟の絆』
12月の新刊は、『メンター・チェーン──ノーベル賞科学者の師弟の絆(原題:Apprentice to Genius)』です。
一握りのトップ・サイエンティストたちが、他よりも多くの発見をし、論文を発表し、栄誉を獲得していくのはなぜか? その背景には、師弟の連鎖「メンター・チェーン」の存在があった! 舞台は、コロナ禍の今、誰もが一度は耳にしたことがあるアメリカの最重要研究拠点、NIH(米国国立衛生研究所)とジョンズ・ホプキンス大学。メンター・チェーンでつながった科学エリートたちの人間ドラマを浮き彫りにするとともに、「系譜」によって受け継がれていくものの秘密に迫った傑作サイエンス・ノンフィクション。
著者のロバート・カニーゲルは、工作舎のロングセラー『無限の天才──夭逝の数学者・ラマヌジャン(原題:The Man Who Knew Infinity)』が有名。『無限の天才』は映画化され、『奇蹟がくれた数式』として日本でロードショー公開されたのも記憶に新しい。そのカニーゲルのデビュー作がついに登場します。
四六判/上製、512頁。本体2800円+税。12月末発売予定。表紙のイラストは本書に登場する5人の科学者で、川村易氏作。
■目次より
序章
●科学者のキャリアにとって「系譜」は中心的な役割をもつ。第1章 ノーベル賞受賞者
●ジュリアス・アクセルロッドはノーベル賞をもらった、そして自分はもらわなかった。 ●一連のメンター・チェーンは、選りすぐられた科学がどのように生まれてきたかを示す。第2章 戦時の緊急事態
●マラリアに包囲されることは、日本軍に包囲されるのと同じほど危険だった。 ●ジェイムズ・シャノンは、科学研究を指揮する者の模範であり、「医学・科学の天才」と呼ばれた。第3章 新薬理学の誕生
●バーナード・ブローディはアンフェタミンの力で起き続け、また、バルビツールの力で眠っていた。 ●ブローディは自分はどんな物質でも測定できる、と確信した。第4章 メンターの励まし
●「科学」を勉強することは、医師になる過程の単なる一部でしかなかった。 ●体も薬物に対して働きかけることは、アクセルロッドにとって、まさに啓示だった。第5章 NIHビルディング3
●アクセルロッドは新しいポジションを得たが、ブローディの研究員としてだった。 ●アクセルロッドは、後に彼を有名にする優雅なほど簡単な実験を思いついた。第6章 メンターからの独立
●こうして、神経薬理学という新しい科学領域が始まった。 ●ブローディ研究室から離れ、「教科書を書き変えるような成果」を得られた。第7章 アクセルロッドの研究室
●どう見てもブローディはかつての技術員に強烈な競争意識をもっていた。 ●1960年代初頭、そこにはメンター・チェーンが完全な形で存在していた。第8章 黄金時代
●ソロモン・スナイダーは研究室では不器用だが、どの時点で注意深く実験すべきかを知っていた。 ●ジェームズ・シャノンは、NIHの長となり、ある面ではサンタクロース、ある面ではマキャベリのようだと評された。第9章 ジョンズ・ホプキンス
●この数年の間に、スナイダーが「神経科学」と呼ぶ研究領域が生まれていた。 ●キャンディス・パートは、あまりにも強烈で、議論していると、ときどき“踏みつぶされた”みたいに感じる。第10章 オピエート受容体
●「これを見てください」。パートは言った。「きっと信じないと思うけど」。 ●オピエート受容体の発見は、スナイダーの研究室を科学の世界のメジャーリーグに押し上げた。第11章 ラスカー賞騒動
●オピエート受容体を発見したのは自分なのに、と彼女は怒り狂った。 ●彼女をはずすのが一番簡単だった。つまり、女性だったからだ。第12章 メンター・チェーン
●一握りのトップ・サイエンティストが、非常に多くの発見をし、論文を発表する。 ●持っている者はさらに豊かになるが、持っていない者は、持っているものまでも取り上げられる。第13章 1985年
●スナイダーの研究室からは論文が続々と発表され、業績目録のページを増やし続けている。 ●全員が科学者としてはブローディの子どもたちであり、彼とともに過ごした日々を回想していた。第14章 エピローグ・1993年
●スナイダーたちの研究によって、重要な化学伝達物質が立ち現われてきた。 ●アクセルロッドが質問をし、また耳を傾ける。それは、父親と息子の会話そのままである。■本書に登場する5人のエリート科学者のメンター・チェーン
ジェームズ・A・シャノン James A. Shannon◎科学研究を指揮する者の模範であり、「医学・科学の天才」と呼ばれた。 ◎ゴールドウォーター記念病院で、抗マラリア研究計画を指揮。 ◎1955〜67年まで、NIH(米国立衛生研究所)所長を務める。
◎キニーネに代わる抗マラリア薬の開発によって、薬の用量と作用の間に相関があることを明らかにし、近代薬理学を誕生させた。 ◎1967年、ラスカー基礎医学研究賞受賞。
◎代謝の概念をシナプス伝達の機構に拡大して、「伝達物質の再取込み・不活性化」が神経系の働きを動的に調節することを明らかにした。 ◎カテコールアミン系神経伝達物質の放出および再取込に関する研究で1970年、ノーベル生理学・医学賞受賞。
◎ギターの名手。 ◎精神疾患の分子的背景や、LSDなどのサイケデリック・ドラッグの働きと精神機能の関係に興味をもつ。 ◎1973年、当時大学院生のキャンディス・パートを指導して、脳内にオピエート受容体を発見。 ◎神経伝達物質と受容体の作用機構を通して、神経系に作用する薬物の作用機序を明らかにし、新領域の「神経科学」を切り拓く。 ◎1978年、ラスカー基礎医学研究賞受賞。
◎スナイダーのラスカー賞受賞のきっかけとなるオピエート受容体を発見するが、共同研究者として名前さえ挙げられなかったため、軋轢を生む。 ◎1974年、ジョンズ・ホプキンス大学医学部でPh.D.を取得。 ◎1983年、NIMH(米国立精神衛生研究所)の神経科学領域で脳生化学部門の部門長就任。 ◎1987年、NIMHを辞め、AIDS治療薬開発を目指したペプチド・デザイン社を設立。