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3月24日 週刊読書人 河本英夫氏 書評再録

今後の研究の限りない源泉

——行為論的認知科学の鉱脈を探り当てる——

 本書はゲーテ生誕250周年を記念して企画された、世界で初のゲーテ『色彩論』完訳である。このテーマについてのプロ中のプロが、時間と労力を惜しむことなく仕上げたものであり、教示篇(学説)、論争篇(ニュートン光学の吟味)、歴史篇(色彩論史)をひとつにして、それぞれに詳細な訳注と解説が付されている。ことに議論の繰り返しの多い論争篇を、まとまったかたちで読むことができるようになったことの成果は大きい。本書はゲーテ研究者ばかりではなく、哲学・思想、美学、科学史、西洋思想等の分野にかかわる人達にとって、天啓のような恩恵である。
 80年代のゲーテは、もうひとつの科学という代替科学の可能性を示唆するものとして広く再評価されてきた。環境論、科学論、生命論に多くの着想をあたえてきたのである。ところが現在では、さらに大きな可能性に開かれようとしている。ゲーテの色彩論が見ることの行為にかかわる構想であることはよく知られている。このことの内実が、今日はっきりしてきたのである。 色彩は、光と影の境界に発生する。透明な光が、蔭るところに多様な色彩が発生する。この境界のことをアフォーダンスでは、縁(ふち)と呼んでいる。物体の縁のところは、変化率が大きいので、物体の動きの情報が増幅するようにあたえられる。これを包囲光と呼んでいる。物体を動かす角度によっては、縁のところに瞬間的に虹が立つことがある。こうした変化の度合いが、物体の動きの情報となる。
 アフォーダンスは、知覚をひとつの行為だとして、動きながらの認知や動いているものの認知を環境情報の把握として捉える経験科学である。アフォーダンスの始祖ギブソンは、光を放射、包囲、照明という三特質で押さえている。もっとも重点的に分析されたのは、包囲光である。この議論の中で照明の分析はほとんど手付かずである。洞窟の中や物体の裏側にまで届く一様な明るさである照明は、それ自体としては変化の情報に乏しいので、捉え方がわからなかったというのが実情である。
 いまの照明の縁という主題を設定してみる。物体の縁が包囲光であるなら、一様な明るさである照明の縁は何になるのか。実はこれが色彩である。色彩は、照明の縁でもっとも多様な変化を示す。光が蔭るところで、一様な明るさに縁が生じる。ゲーテはこの縁を曇りとか影と呼んでいる。これは物体の縁とは異なり、空間的な縁ではない。むしろ光という一様な明るさの位相空間の縁である。この事態を捉えることは少し難しいが、一様な明るさの広がりをイメージし、広がりの縁ではなく、明るさの縁をイメージしてみる。それが照明の縁である。ここに多様な色彩が発生する。
 とするとアフォーダンスにとってほとんど手が付けられておらず、これからの課題とも言うべき照明の縁を、ゲーテが詳細に詰めていたことになる。スローガン風に言えば、ゲーテはアフォーダンスの先駆者だったのである。これはもはや対抗科学や代替科学などというものではない。多大な可能性を含む行為論的な認知科学の鉱脈を、ひとりで探り当て、実行していたことになる。そしてこの典拠になるのが、この『色彩論』の完訳である。本書は、光と色彩のアフォーダンスを実行するにあたって、尽きることのない手掛かりをあたえてくれる。
 ゲーテの後継者を自認するシュタイナーは、さまざまな色が動きとして感知される場面を詳細に分析している。これは色彩のアフォーダンスと呼ぶべきものである。黄色の台紙に赤を塗り、赤の周囲に薄い緑を塗ると、赤は前方へと向かって走り始める。色のもつ動きは、行為に多大な情報をあたえるだけではなく、知覚がそれじたいとして一種の行為であることを直示する。シュタイナーは、色彩知覚を、人間の発達形成のもっとも優良な手立てとみている。
 眼と色彩の間には、両者を連結するような第三項は存在しない。つまり色彩はすべて環境にあると言ってよい。これがゲーテがみずからの探求を対称的思惟と呼んだことの内実である。とするとこの色彩論には、アフォーダンス基礎論と呼ぶべきものも含まれている。こうして本書をつうじて古典の名訳に出会うことができるだけではない。今後の研究の限りない源泉を手にしているのである。

河本英夫(かわもと・ひでお=東洋大学教授・科学論専攻)




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