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本の花束12月号(生活クラブ) 斎藤文一氏 書評再録 鳥たちの翼にのって、〈希望〉は手渡された 市民科学者・高木仁三郎がのこした人と自然との共生へのメッセージ |
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高木仁三郎さんは生前、「小説を書きたい」と語っていた。この『鳥たちの舞うとき』がガン治療中の病床でテープに収録され作品として遺されたと知って、ああ、高木さんの長年の思いがかなったのだなあと胸があつくなった。 市民科学者・高木仁三郎さんは去る10月8日、62歳で亡くなられた。高木さんは、企業や大学での原子力開発などをとおして科学の問題性に直面し、体制内のポストを捨てて、市民のカンパに支えられた原子力資料情報室を設立。反原発運動になくはならない存在であった。その活動の実績は世界的に評価されているが、なかでも97年、“もう一つのノーベル賞”といわれるライト・ライブリフッド賞の授賞理由は感動的だった。高木仁三郎と原子力資料情報室は、「民衆の良心」であり、「信頼すべき科学者たちだ」と。 |
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本書『鳥たちの舞うとき』の舞台は、利根川源流らしい山深い里、天楽谷(てんらくだに)ダム建設をめぐる謎めいた事件が次々と起こり、カラスをそそのかして殺人を犯したとして、天楽谷の長(おさ)である80歳の平嘉平(たいらかへい)が逮捕され、裁判にかけられようとしていた。事件の裏には政治的な利権争いも絡んでいるらしい。 天楽谷事件とダム建設反対の裁判支援を頼まれたのが、主人公の草野浩平。高木さんを思わせる科学者だ。この裁判は、カラス、つまり野生動物が被告になりうる可能性を認める立場から提訴されているという点で特異だった。近年各地で、ゴルフ場開発を提訴したアマミノクロウサギ、長崎の諌早湾干拓事業へのムツゴロウたちの訴訟など動物を原告とする訴訟が相次ぎ、“原告が人間でなければならないか”という重要な提起がされはじめているからだ。 |
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物語は、鳥と会話ができる不思議な魅力をたたえた女性・摩耶(まや)と、嘴が深海の底からとりだしてきたような青色をしているトンビのアオを中心に展開していく。アオは天楽谷の森の何十万羽いる鳥たちのリーダー的存在で、浩平と摩耶とアオの三人(?)の微妙な愛の関係も忘れがたい印象をのこす。 浩平は肺ガンで余命半年であることを摩耶に打ち明け、人生最後の命についての真実を語るところは胸をうつ。彼は天楽谷での活動を、「一個人の生死をこえた森全体の命のなかで自分の死を生かす道」と考えるようになる。この場面で私は、高木さんがとくに愛した賢治作品「グスコーブドリの伝記」を思い出していた。主人公ブドリは火山技師で科学者の苦悩を抱えつつ、最後は火山噴火に身を投じたのだった。 |
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小説の見せ場は、裁判所の法廷に数百羽の鳥が入ってきて傍聴するシーン。鳥たちは、天井の梁に陣取って裁判長を見下ろし、冒頭陳述が終わると、一斉に声をあげ羽をばたつかせた。裁判所の前代未聞の慌てようときたら! なんと痛快なことか! このときの天楽谷の長、嘉平の冒頭陳述がすばらしい。「動物にはそれぞれの文化があり、それを守ろうとする意志がある。鳥に釈明のなかったダム工事計画は成立しない」。ここにまぎれもなく作者自身のエコロジー思想の原点が語られている。 クライマックス——ダム建設反対をうったえる「鳥と人の共生のための天楽谷コンサート」で、モーツアルトの「ジュピター」にのって何十万羽の鳥が自分たちの森を守るために舞う——場所はまさしく大利根源流、そして大空からの俯瞰! 空高く舞う鳥の眼こそ、著者の夢でもあったろうか。 |
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この作品に描かれた、人と自然、人と人との共生という主題を深めるためにぜひ読んでほしいのが、代表作『いま自然をどうみるか』である。本書は人間に火を与えた智者の古代神話から、民衆の自然観、核テクノロジー、チェルノブイリまでが語られ、私たちの自然観がどのように形づくられてきたかを照らし出す。増補版で提起される「オルタナティブな科学」——環境汚染などで高まりつつある「市民の不安」を共有してそれに答える科学を実践すること。これは、宮澤賢治の精神にもつながるものだろう。95年、高木さんは宮澤賢治学会・イーハトーブセンターからイーハトーブ賞を受けた。イーハトーブとは、農民の自立と解放を目指して賢治が命名したものだが、そういう賢治の精神を現代に実践的に継承する活動にたいして贈られたことは意義深い。 |
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高木さんには大きな夢があった。プルトニウム利用計画にストップをかけて巨大な呪縛を断つこと。万人に記憶されるべき「脱プルトニウム宣言」(93年)には、プルトニウムに未来はなく、未来を託すこともできない。子供たちにプルトニウムの恐怖のない未来をどう残せるか」と記されている。高木さんは最後の力を、〈市民の科学〉をめざす、次の世代のための新しい科学教育の場「高木学校」にそそいだ。 「あきらめ」が蔓延している今だからこそ、「希望」をつなぐ大切さを語りつづけた高木さん。最期のメッセージを結晶させた小説のラストは、摩耶から浩平への手紙である。そこには近々アオが浩平のいるホスピスを訪れることが伝えられ、「私たちはさよならはいわない。私たちはともに生きつづけてゆく」と結ばれていた。高木さんにはアオの姿がきっと見えたにちがいない。そして、〈アオ〉の翼にのって、たしかに私たちに手渡された。 |
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斎藤文一(さいとう・ぶんいち=超高層物理学/オーロラ研究/宮澤賢治イーハトーブ館前館長) |
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