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ライプニッツ通信II

第14回 国際ライプニッツ会議今昔

いよいよライプニッツ生誕370年、没後300年の記念行事のなかでも最大のイベント、第10回 国際ライプニッツ会議が開催されました(7月18日〜23日)。

開催場所は、ハノーファー大学から「ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ大学」と改称して10周年を迎えた略称「ハノーファー・ライプニッツ大学」。

テーマは「私たちの幸福と他者の幸福のために」、すなわち「共通善」。

84頁におよぶプログラムも公開されました。表紙は300年前のライプニッツの臨終の姿(*註)。イングランド王ジョージ一世となった主君ゲオルク・ルートヴィヒに随行かなわず、ニュートンの代理人クラークと論争中で執筆したいテーマもたくさん残されていたはずにしては穏やかな表情なのが、さすがライプニッツです。

プログラムでは、第I期『ライプニッツ著作集』「発見術の栞」に寄稿くださったH・ブレガー(第2巻)やM・フィシャン(第5巻)両大家の講演はじめ、日本ライプニッツ協会の大会や特別講演会でも講演したことのあるJ・スミス、P・ラトー、R・アーサーなど気鋭の研究者の発表などが目につきます。

20日午後には、日本ライプニッツ協会がオーガナイズする「理性と公共善」をテーマとするセッション、最終日の23日には、ハルツ山探訪も組まれた盛りだくさんの内容です。

本通信がUP されるときには、すべての行事が終了しているはずですが、日本から現地入りした酒井潔・日本ライプニッツ協会会長をはじめとする研究者の方々は、発表や情報交換に忙しいので、現地レポートは次回以降にゆずります。

アリストテレスとともに、プラトンやピュタゴラスの伝統をも愛したライプニッツにふさわしくというか、節目に記念行事が催されてきたので当然と言うべきか、今年(2016)は完全数10が幾重にも重なる年となりました。

今を去ること半世紀前の1966年、ライプニッツ没後250年を記念して、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ協会が創立され、第1回 国際ライプニッツ会議がハノーファーで開催されました。

この50年前の記念行事に日本から招聘されて講演したのが、第I期『ライプニッツ著作集』の監修者・下村寅太郎先生。「ライプニッツのモナドロジーについて:モナド概念の論理的規定」と題し、表出・表現を本性とするモナド概念と西田哲学の絶対無の場所における個体概念との関連をクローズアップ。西田幾多郎がモナド概念に触発されて独創的な哲学を構築した経緯を紹介しました(ドイツ語講演の全文は、『下村寅太郎著作集』第7巻「ライプニッツ研究」みすず書房 1989末尾に収録)。

じつは、下村先生にとってドイツ語で講演するのは初体験だったとのこと。当時ドイツ留学中だった西谷裕作氏の助けをかりた経緯を、裕作氏没後に妹さんに宛てた私信に記しています。

[西谷裕作君は]「数学志望も、ライプニッツ研究も、小生と同じでした。〔小生が〕ドイツへ行ったのもライプニッツ学会[会議&協会]創立のためで、招聘され、生まれて初めてのドイツ語の講演をいたし、前夜、裕作君に小生のドイツ語通用するか否かを聞いて貰いました。そのようなこと、とりとめもなく想い出しています。その学会にも一緒に出席、その後、小生はヨーロッパ旅行するのでHannover で別れました」(西谷裕作氏他界[1994年9月9日]後の10月24日付、裕作氏の妹・矢田敏子夫人宛の手紙:村田全「下村先生と西谷裕作君のこと」『下村寅太郎著作集』第13巻月報)。

1966年といえば、下村先生にとっても、東京教育大学を定年退職して学習院大学教授となった大きな節目の年。国際会議招聘を機に知恵夫人同伴でヨーロッパ各地をめぐりました。9月15日出発。イスタンブール、アテネ、ローマ、ヴァチカンにて教皇パウロ六世に拝謁。アッシジ、ヴェネツィア、ミラノ、チューリヒ、ウィーン、パリ、マドリッド、などを経て11月13日ハノーファー着。14日から19日まで国際ライプニッツ会議に出席。その後、アムステルダム、ブリュッセル、ロンドン、コペンハーゲンなどを経て、12月1日帰国(竹田篤司作成「下村寅太郎の百年」『下村寅太郎著作集』第13巻より)。

下村先生の著書『ライプニッツ』(弘文堂 1938)に触発されてライプニッツに共感を寄せた西田幾多郎は、折にふれて「ライプニッツからはまだまだ出てくる」とか、「私の哲学もモナドロジーだが、自分のは創造的モナドロジーだ」と下村先生に話されていたとのことです。

国際ライプニッツ会議はその後、第2回(1972)、第3回(1977)、第4回(1983)と、いずれもハノーファーで開催されてきました。

第5回からは酒井潔氏が参加して貴重な記録を残しています。世界情勢にも関連していますので、以下にテーマと要点を紹介します(詳細は、酒井潔『ライプニッツのモナド論とその射程』 知泉書館 2013 参照)。開催地は、第7回(2001)のベルリン開催以外はすべて、ハノーファーです。

第5回(1988) 「伝統と現実」日本からの参加は酒井氏のみ
第6回(1994) 「ライプニッツとヨーロッパ」山田弘明氏と酒井氏が発表
第7回(2001) 「理由無なしには何ものもない: G・W・ライプニッツにおける人間、自然、技術」 大会2日目に9.11同時多発テロ
第8回(2006) 「多における一」 松田毅氏、酒井氏ほか1名の日本人発表者
第9回(2011) 「自然と主観(主体)」 日本ライプニッツ協会として共催 同協会会員11名が発表

ニースのトラックテロに続いて、トルコのクーデターやドイツ南部ビュルツブルクの列車内での斧襲撃事件など、不穏な情勢のなかの今回の会議。価値観を異にする者同士が「共通善」にいたる手がかりは奈辺にあるのか、次回以降のライプニッツ学徒のレポートにご期待ください (十川治江)。



*註:第10会国際ライプニッツ会議プログラム
第10会国際ライプニッツ会議プログラム
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