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『進化理論の構造』訳者あとがき

流れのほとりに植えられた木

 はてさて、原著は1400ページ——目次だけでも15ページ!——を超え、訳書に至っては1800ページを超える本書について、何を語っても言葉足らずに終わるしかない中、何を語ればよいのだろう。

 本書は進化生物学の泰斗スティーヴン・ジェイ・グールドが2002年に出版した ‹The Structure of Evolutionary ‹Theory の全訳である。著者グールドは本書の執筆に20年をかけ、本書出版の2カ月後にこの世を去った。

 著者のグールド自身は、本書について、ダーウィンの『種の起源』最終章の冒頭の一節に倣い、「本書もまた、すさまじい厚さではあるが、系統立った解釈のための概要であり、一つの長い論証といっていい」(p.0035)と書いている。また本書を構想した理由としては、「ダーウィンの素晴らしい強靭さの賛歌であると同時に、階層論的な原因をしかるべく修正した上で復活させるための呼びかけとして構想した」(p.0259)と書いている。

 とはいえグールドも、「すさまじい厚さ」の論証を「はいどうぞ」とテーブルに丸ごと供するのはさすがに気が引けたとみえて、冒頭の章に「長い論証の要約」を挿入している(それにしたところで、47ページもある!)。別の章では、「本書はダーウィニズムの前提を拡張し変更する試みであり、拡張された独特な進化理論を構築する試みである。新たな進化理論は、ダーウィニズムの伝統内とそのロジックの下に留まってはいるが、小進化の仕組みとその外挿方式がもつ説得力の埒外にある大進化の現象という広大な領域を説明可能なものとする。しかもそれは、そうした小進化の原理が原則として一般理論の完全なる集成を必ずや構築するのだとしたら、偶発性による説明に割り当てられることになるはずのものなのだ」(p.‚1827)とも要約している。

 本書の書名についても説明が必要だろう。本書では冒頭から、ミラノ大聖堂という建造物のメタファーが語られている。現在の大聖堂は、14世紀後半に建てられたゴシック様式の基盤に、後にバロック様式が加味され、さらに最後には、未完の建物の屋上にいくつものゴシック様式の尖塔がナポレオンの命令で建造された代物なのだ。このアナロジーと本書の書名の関係についても、グールド本人に語ってもらおう。

 ダーウィン流のロジックの核心部分は、変更を受けないまま、進化理論全体の最重要項目であり続けている。しかし進化理論の構造自体は重要な変更を加えられており、拡張や追加や再定義を重ねられることで別の新しいモノへと姿形を変えている(核心部分から太枝が四方八方に伸びている)。ようするに、「進化理論の構造」は、たくさんの変更を抱えつつも論理的首尾一貫性を保ち続けている複合体であり、知的な作業として、永続的な探求と挑戦に価する対象なのである。(p.0027)

 というわけで、本書は、全体がダーウィンへのオマージュでもあると同時に、自然淘汰説と漸進説を根幹とするダーウィンの進化理論を拡張する試みということになる。リフォームの主眼は階層論の導入という構造的なものであり、階層ごとに異なる進化の仕組みを導入することで大進化を説明しようとする壮大な試みである。

 個人的な記憶を紐解くと、大学院生時代、本書でもたびたび言及されている進化生物学の巨星アーンスト・マイヤーの古典的名著『動物の種と進化』に取り組んでいたときの違和感を思い出す。その周到な論考に圧倒されつつも、小進化(種より下位レベルの生物集団の進化的移行)の仕組みをそのまま敷衍すれば大進化(種分化以上のレベルの進化的移行)も説明できるという「進化の総合説」のテーゼだけでよいのだろうかという思いにとらわれ続けていたのだ。

 やはりマイヤーを知的な師と仰いでいた学生時代のグールドも、ゴチゴチの適応論者としてその経歴をスタートさせた後、ダーウィンとその正統な継承者であるマイヤーはすごいが、もうそれだけでは足りないという思いをしだいに募らせた。グールドはその後、断続平衡説の提唱、種淘汰説の称揚、進化における偶発性の強調、外適応概念の提唱等を経て、ついに階層論的大進化理論の提唱に至った。その経緯と背景、理論の詳細を一つの長い論証として集成したのが本書なのである。

 グールドは、古生物学を専門とする進化生物学者であると同時に科学史家としての顔も併せ持ち、そのジャンルの著作、学術論文も量産してきた。一部には、科学史家としての業績をむしろ評価すべきだとの意見もあるほどである。本書ではその本領が遺憾なく発揮されている。したがって独自の進化学史と進化理論を縦横に論じる内容となっており、その分、全体像をとらえにくい構成になっているともいえる。

 毀誉褒貶の激しいグールドだが、本書に対しても、グールドが適応主義者と断じている側からの批判がある。断続平衡説——この説に焦点を当てた9章は2007年に独立した単行本として出版されている——や外適応概念を自ら擁護する中では、手厳しい反論を意図的に無視しているのではないかというのだ(お互い様と言い返すことも可能な難癖にも聞こえる)。あるいは、リチャード・ドーキンスやダニエル・デネットといった著名な反対派の論調までをも「妬み」だと決めつけている点などへの不満が出ている。そのほか、階層別の淘汰と偶発性というが、全然ぴんと来ないという意見もある。

 とはいえ、本書がグールドというマルチな碩学が残したマグヌム・オプス(最大傑作)である点に関しては、誰にも異論はないだろう。本書は、その出版以来、世界中の進化学徒の書棚に飾られてきた。通読した人がはたしてどれほどいるかは怪しいが、たとえ拾い読みでも、それだけの価値はある。本書ではサイエンスライターとしてのグールドの魅力もたっぷり味わえるからだ。特に12章第2節のエピローグで語られているダーウィン頌歌は、何度読んでも体が震える。

 周知のように、彼は「かくのごとき生命観」という連載タイトルで25年間にわたって1回の休載もなく、アメリカ自然史博物館発行の月刊誌『ナチュラル・ヒストリー』にエッセイを連載し、新千年紀が開始された2001年1月号で通算300回をもって終了した。連載エッセイをまとめた単行本は10冊に達し、最後となった『ぼくは上陸している——進化をめぐる旅の始まりの終わり』(早川書房、2011)も、本書と同じ2002年に出版された。グールドの洒脱にして重厚という矛盾にも聞こえる重層的なエッセイは、世界中のファンを魅了してやまなかった。もはや新作は望めないわけだが、サイエンスエッセイストとしての筆致の冴えは本書でも随所で発揮されている。

 グールドを病が襲ったのは突然だった。2002年1月に肺がんが見つかったときには、すでに手遅れの状態だったという。それでも彼は、2カ月ほどは教壇に立ちつづけた。本書を出版した2002年3月には、35年間にわたって在籍していたハーヴァード大学自然史博物館において自作朗読とサイン会を開いた。本書の原書カバーに載っている写真が、そのときの姿である。かつて恰幅のよかった体はやせ細ってはいるが、その横顔は、しっかりと未来を見すえているかのようだ。

 その20年前の1982年、グールドは中皮腫(アスベストが最大の原因とされるがん)の診断を受けた。本書の執筆を開始したものの、一時は「これを書き上げる可能性はほとんどゼロ」との覚悟を決めたようだ。しかしその折は、最新の医療と持ち前の楽天主義で中皮腫を克服した。2002年の肺がんは、前回の再発ではなかったというが、3月末、脳に転移した腫瘍の手術を受けた。しかしその5日後の4月5日には、再び教壇に上がっていたという。ハーヴァード大学ロースクールのアラン・ダーショウィッツ教授といっしょに行なっていた「考えることについて考える Thinking about Thinking」という一般教養科目の最終講義に登壇したのだ。筆者もそこにいた追悼会で弔辞を述べたダーショウィッツによれば、頭に包帯を巻いたグールドは、車椅子には座っていたものの、自らの病にはいっさい触れないまま、数百人の学生を前に講義を終えたという。涙を湛えて学生たちに残した最後の言葉は、旧約聖書『詩篇』の一節だった。

 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来たれば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(『詩篇』1-3)

 これはモーセの十戒を守る者には幸いがあるという教えと解釈されているようだが、グールドがこの句を口にした真意は推し量るしかない。グールドは無神論者ではあるが、初等教育において聖書を暗唱させられたせいで一言一句まで記憶しており、引用を自在に操れた。そして生前には、「聖書は最高の文学の一つだ」と語っていた。ここはあえて、「科学という知の力を信じ準ずる者に幸いあれ」「自分が残す言葉は必ずや学生たち、あるいは読者の心に受け継がれ、枯れることはないと信じたい」というメッセージととりたい。そして本書もまた、「流れのほとりに植えられた木」であると。

 その講義の45日後、5月20日月曜日午前10時30分、彼はニューヨーク、ソーホーの自宅にて、肺腺がんにより、息を引き取った。享年60歳。早すぎる死というべきだろう。

 本書の出版会見の様子を報じた『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事によれば、時間が許せば少なくともあと二冊、取り組みたい大プロジェクトがあるとグールドは述べていたという。一つは、「生命の方向性」ともいうべきもので、生物進化に見られる、ある種のパターン、ベクトル(ただし決して前進ではない)についての大著。もう一つは、古生物学の初期の歴史についての大著で、そのための文献(16世紀から18世紀の古書)は買い集めてあるという(本書でもそうした蔵書への言及がある)。この二つのプロジェクトを仕上げるにはあと20年の時間が必要だと語っていたようだが、彼は間近に迫る死を自覚していたはずである。

 本書の執筆には20年を要したといわれているが、後半部分の多くは最後の一年ほどで一気呵成に書き上げられたようだ。グールドは、『ナチュラル・ヒストリー』誌の連載にしても、編集者に渡した原稿については一字一句の変更も許さなかった。それは本書についても同じだったと、ハーヴァード大学出版局の担当編集者から直接聞いた。もちろん、分量の縮小要求など、論外だったことだろう。かくしてブックエンド代わりにもなる大著が世に送り出されたわけである。

 原著の出版は2002年だった。出版と同時に工作舎の十川治江さんに版権をとっていただいたのだが、翻訳にも20年近い時を要する結果となってしまった。申し訳ないと同時にその寛大さに、心から感謝したい。また、丹念に編集を担当してくださった米澤敬さんには、お礼の言葉もない。

 最後に語るべきこととしては、グールドが「最後の考え」(p.0137)と題して遺した言葉をそのまま引用するほかないだろう。

 私の最初の大著『個体発生と系統発生』のよく似た概要の最後に書いた文章を引用するだけで済まさせていただきたい。「この大要はもっと長い、かつ望むらくはさらに精密な展開の、心残り多い簡約である。願わくば本文を読まれんことを!」(p.0137)

2021年6月

渡辺政隆






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