撮る[詳細]
今村昌平は年老いた助平である
……フランス「リベラシオン」誌
西洋に端を発した映画という芸術形式は、日本に百年足らず以前に移植され、
敗戦をキッカケに50年代60年代の隆盛を迎えるが、
間もなくテレビやビデオという強敵の前に映画興行は凋落した。
だが少し視野を広げてアジア全般を見渡してみると、
中国、韓国、香港、台湾をはじめとしてマレーシア、インドネシア、
フィリピン、北朝鮮、
インド、スリランカなど、
映画がまだ隆盛を極め、その芸術性も甚だ高い国々が沢山あると思う。
これらの国々の映画をよく見つめ、もって範とするのは我々の責務であると思う。
勿論マネするのではない。映画の原点、「何を描くべきか」を
もう一度我が身にふりかえて見直してみる必要があるのだ。
「映画」が凋落したのではない。「映画興行」が凋落したのだから。
本文「モウモウたる非合理」より
■目次より |
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第一部 語る interview
女性の性の根源にわだかまるものを突きとめたい◎「赤い橋の下のぬるい水」(2001)役者を動かしているうちに、すっかり変わってきてしまう◎原作とシナリオ
端役みたいな役柄でも存在感がきりっとあってね◎役者不足
川島雄三には圧倒的にすばらしい監督だと思わされた◎助監督時代
感情を助長するような音楽はいらない◎音楽について
このタイトルにはすごく恥じ入った◎「盗まれた欲情」(1958)
俺に文部大臣賞なんかくれていいのか◎「にあんちゃん」(1959)
一人の人間を徹底的に調べてみて、そこからホンを作ってみる◎「にっぽん昆虫記」(1963)
「あれはもう仕方ない」ということで、会社には半ば捨てられてました◎今村プロダクション
演出はしない約束で、だんだん進んでいった◎「人類学入門」(1966)
役者からも総スカンでした◎「神々の深き欲望」(1968)
驚倒しましたよ。役者も捨てたもんじゃないと◎「復讐するは我にあり」(1979)
カンヌには賞をもらうってところまでいたことはない◎「うなぎ」(1997)
掘るってことにこだわった◎「カンゾー先生」(1998)
「うなぎ」の次は「鯉」ってのはどうだい◎これからの作品、そして未完の作品
こちらも老け込んではいられないのである◎映画学校と若者たち
第二部 撮る filmography
劇場映画「盗まれた欲情」(1958)
「西銀座駅前」(1958)
「果てしなき欲望」(1958)
「にあんちゃん」(1959)
「豚と軍艦」(1961)
「にっぽん昆虫記」(1963)
「赤い殺意」(1964)
「エロ事師たちより 人類学入門」(1966)
「人間蒸発」(1967)
「神々の深き欲望」(1968)
「にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活」(1970)
「復讐するは我にあり」(1979)
「ええじゃないか」(1981)
「楢山節考」(1983)
「女衒 ZEGEN」(1987)
「黒い雨」(1989)
「うなぎ」(1997)
「カンゾー先生」(1998)
「赤い橋の下のぬるい水」(2001)
TV・記録映画
「未帰還兵を追って(マレー編・タイ編)」(1971)
「遠くへ行きたい おれの下北」(1972)
「ブブアンの海賊」(1972)
「からゆきさん」(1973)
「無法松故郷に帰る」(1973)
現場台本「赤い殺意」
作品リスト/年譜
第三部 綴る essay
青春紀行・松竹助監督時代みなと紀行・横須賀
金持ち水兵いまいずこ/ドブ板マダムの心意気/海軍芸者・いまなお健在/
終戦直後のドサクサ騒ぎ/親切だった米海軍の士官/海に差しのべる繊毛に似て
フィクションとドキュメンタリーのあわいで
女プロデューサー 農村実習
方言 結婚式
先生の教え マジメ女優
港町のロマン 昔話と索漠感
日本映画の発見 我が師匠
ひばり追悼 いかの黒づくり
ジュードー家の死 K君と羽黒洞
花咲くチェリーと北村和夫 新宿遊廓跡にて
老年の同窓会にて 焼跡の墓
早熟な少年 川島雄三記念会
シンガポールの王さん 南タイの日本人医師
古い映画人と借金 二人の独身四十男
迂闊な講師 遊客人名簿
映画づくり、人づくり——「黒い雨」製作現場より
はじめに/映画監督という仕事/映画学校/シナリオ/
原作者/再びシナリオ/クロード・イーサリー/モノクロームとカラーの撮影/
キャスティング/クランクイン
言葉の問題 都市型戦中派
こないだの戦争 楢山節の現在
モウモウたる非合理 お上の清掃事業
A君のバレーボール 鼠蹊部と眼球
オールロケ映画の悲哀 「新宿桜幻想」
女性の世紀
■関連図書(表示価格は税別) |
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■書評 |
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◎musee35号(TOWER RECORDS) 井口啓子氏
より深く、人間の内部へ。潜っていくことを辞さないネチっこく湿った(なんたって、『赤い橋の〜』は男の身体をぐしょ濡れにし家から川へと流れ出す、窪園千枝子もダジダジの壮大な“潮吹き”がテーマだ)、しかしフィルターを通した淡々さももつ“水中の視線”のユエンは、やはり“根っからの助平”というのが正解だろうが、本書ではその根を知るための青年期の戦後ヤミ市や赤線でのエピソード、農業への思いも綴られている。
野坂のアナーキーな絶倫オヤジぶりにグッときた十代にも、読んで(観て)欲しい。
◎2002.1.13 朝日新聞文化欄
今村監督の全記録出版
…「色気のない女ってのをみると損したって思う」(果てしなき欲望)、「役者からも総スカンでした」(神々の欲望)など撮影当時の思いなどを率直につづっている。…
◎立花隆氏 週刊文春2001.12.13号書評
今村は、いまの役者に不満である。だいたい顔がなっていないという。「…国籍が違うとか、ハーフだとか、父親が酒乱だとか、母親が男と逃げた逃げたとか、不良行為を重ねたとか、ただ恵まれてスンナリ育ち上ったのではない、何かの要素がないと顔にはならず、役者にはなれない…日本よ、もっと混沌とせよ、メチャクチャになれ、貧乏になれ、飢えて全員不良になれと言いたくなる。
◎2001.12.2 日本経済新聞
…今村監督は厳しい境遇を生き抜く人間の欲望とパワーを描き続けてきた。その姿勢は、学生時代に寝泊まりした新宿のやみ市での体験に根ざしてることはわかる…