追悼
今村昌平の「間」
工作舎では20年以上にわたり、ホテルの客室常備情報誌「Japan Now」の制作を行っている。監修は、今村昌平さんだった。
編集会議での今村さんは、ときおり短い言葉でアドバイスする以外は、未熟なスタッフのやりとりを静かに見守られていた。もともと今村作品のファンが多かった工作舎の誰もが、とりわけ女性たちが、今村さん本人の熱烈なファンになった。
「Japan Now」では取材にも参加していただいた。個人的には、岡山や新宿などでの取材に同行することができた。監督によるインタビュー取材は、われわれが不安になるほど言葉が少ない。少ないけれども、徹底的に粘る。結果、沈黙が長くなる。同行者としては、沈黙に耐えきれず、つい余計な質問を挟みたくなってしまったものだ。
工作舎から刊行した『撮る』の制作で、今村さんへのインタビューを行った際にも、同じことを感じた。ただしその頃には、今村流の間がからだに染みていたので、延べ10時間にわたるインタビューでは、存分に間を楽しむことができた。
当然のことだが、書物や雑誌の編集では言葉のしめる比重が大きい。インタビューで相手から多くの言葉や、深みのある言葉を引き出せないとき、取材は失敗したと考えてしまう。しかし、今村昌平さんは映画監督である。取材とは言葉を集めるものではなかったのだ。問いや沈黙を前にしたときの相手のまるごとすべてが、取材の対象だったのである。
地下鉄のホームで偶然に今村さんにお会いしたことがある。連れもなく、「黒い雨」の試写の帰りだとのこと。監督はぼそりと「モノクロームにしたのは、失敗だったかな」と冗談のようにおっしゃった。そんなことを問われても、天下の「鬼平」に何の言葉の返しようもないところだが、迷うところが凄いと思った。前後して、もう映画を撮らないかもしれないという噂を耳にした。しかしご存知のように「うなぎ」で、二度目のカンヌ最高賞である。
『撮る』の刊行以来、しばらくお会いしていなかった。ちょっと長い「間」ではあったが、またきっと「助平な」作品を観ることができると期待していた。
今村さんが逝ったあとの「間」は、もう誰も埋めることはできない。
(工作舎編集部 米澤 敬)