恋する植物[詳細]
Les Plantes
花は天使か悪魔か!?
花には淑女も悪女も美青年もいる。
サディストやフェティシストだって、ちゃんと存在しているのだ。
ダイエットする植物もいれば、毒をふりまく植物もいる。
トウダイグサにいたってはストリップまでやってしまう。
虫や鳥、そして仲間の植物を相手に、
「恋の手練手管」を磨きあげ、進化させてきた花たち。
植物の世界は不思議な出会いやロマンティックな物語でいっぱいだ。
動物よりもあやしく、人間よりも情熱的な、植物の愛情生活に喝采!!
■目次より |
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第1章 絶頂での出会い:人間とラン ランは天使か、それとも悪魔か?
ジェノサイドから植民地化へ繁殖力も征服力も旺盛なラン科植物
ダイエットする植物たち
花に接吻する昆虫
ランが偽装し、ウィンクすると……
擬態からフェティシズムへ
女性のランは、天使か、それとも悪魔か?
産児制限の技量
ランの半陰陽性
大量生産への退行
第2章 生命の起原に:藻類 平手打ちをくって、挑戦に応じること
緑の植物から青空が生まれる……性の起原の謎
細胞の恋愛
大海原を遊泳する
植物が動物になる
危機に瀕した藻類たち
いかにして日のあたる場所を確保するか?
秩序か自由か?
新世界の征服へ
第3章 コケ植物:陸上植物前史 新旧二つの顔をもつコケたち
植物界のインディアンコケの精神分析
退行的な性現象
ミニチュアの森
第4章 材の発明とシダ植物の時代 おくての美声年と早熟な娘
根と材の出現過去を求めて
より大きな性の分化へ
パイオニアの悲劇的な運命
第5章 大発見の時代:胚珠と種子 何世紀も眠りをむさぼる赤ん坊たち
生きた化石の歴史卵生植物と胎生植物
針葉樹文明
針葉樹植林の危険性
植物界のジャイアント
衰退する世界
第6章 建築家と花 集合住宅か個人住宅か
藻から花へ花の処女性の喪失
花をX線にかけてみる
個人住宅から集合住宅へ
赤と緑
家族のようによく似ていても……
あるいは、家族のようには似ていなくても……
第7章 花たちの恋愛 売春の全面化、とはいえ実り多い花の恋愛
花の恋愛論最初は内気でぎこちない雄……
それから雄は積極的な誘惑者になる
恋愛と偶然
女性が主役になるところ
近親結婚の拒否
同居の幸不幸
早漏の利点
恋愛の諸相
第8章 長旅をする花粉 気まぐれだが有効な郵便業務
花粉の郵便業務「総方向」の受粉
花粉探偵と氷河
あご髭と羽ぼうき
少数派の尊重
水のまにまに漂う花粉
第9章 鳥や虫と結婚する花たち 結婚生活が第二の本性になると
鳥:厄介な同盟者コウモリの習性と好み
鳥と虫のどちらを選ぶか
虫と花との婚礼
大きな花に小さな精神
チョウやガの「食物交尾」
ミツバチの生産性向上運動
マルハナバチの「強姦」
オールドミスと英国海軍
魅力あふれる広告看板
ミツバチはどんなふうに花を見ているのか
香りと蜜
巧みに標識がつけられた着陸路
恋愛の優しくも危険な姿
サディスティックな花たち
貞節の危険
競争から協同へ
第10章 母子の保護 花を保護する軍用建物
植物であることの危険ロシア人形の働き
モクレンの慎みのなさ
ひきつり笑いをさせるキンポウゲ
バラとバラの変態
性のあいまいさが規則になっているところ
城壁の最後の要塞線
植物フィクションの試み
第11章 身ごもった花たち おおきくなって繁殖せよ
本物のミラベルと偽物のミラベル種子、すなわち生命の缶詰
種子、すなわち取り戻した自由
みだらな太っちょヤシ
花粉のホルモン
果実から果実へ
果実のミニチュア化
第12章 花の社会化 巨大化のゆきすぎへの優雅な解決
花のミニチュア化分業における新たな進歩
一個の生命体から社会組織へ
エーデルワイス、すなわち未来予測感覚
トウダイグサのストリップショー
花の社会化から植物の社会生活へ
第13章 そして明日は?
■関連図書(表示価格は税別) |
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■書評 |
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◎日野啓三氏氏(『読売新聞』1996年1月14日)
数年前の大病以来、もの言わぬ植物たちにとても親しみを覚えるようになったのだが、都市生活者の私の植物知識はあまりに貧しい。ようやく植物を全体としてその長い進化の歴史とともに、楽しく身近に感ずることのできる書物に出会った。著者はフランスの高名な植物学者だが、概論的な解説書ではない。生殖という生物の基本的な営みを軸にして、30余億年に及ぶ植物たちの沈黙の、だが劇的な自己変革の長い物語。驚くべき豊富な実見知識にもとづきながら、その語り口はエスプリとユーモアに満ち、深い哲学的洞察も秘めている(文化とは科学的思考をこのように豊かに語れることだろう)。
◎養老孟司氏(季刊『トップ』1996年春号)
栗の花に虫が集まるのは私はよく知っていたが、栗はブナ科の植物で、この花に虫が集まるようになったのは、進化の上ではいわば二次的な現象だというようなことは、なかなか教えてもらえない。そんなことを知ってなんになる。そう思う人があるとすれば、そういう人は現代社会では健康な人だが、そういう人はきっとさして面白くないだろうと思う。自然の面白さはそのはなはだしい奥行きの深さにあるので、それに気がついたら人生面白くてやめられないのである。虫であろうが植物であろうが、そういうものに人生のいくらかを費やすことを、私は本気でおすすめしたい。それにはこうした本を読むことであろう。人には好きずきがあるから、無理にはすすめられない。ただ植物にいくらか興味がある人がこういう本を読めば、植物の世界がさらにわかりやすく、面白くなるはずである。