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特集:ガイアの時代——ラヴロック博士のガイア理論と、エコロジストたちのガイア
「生きている地球=ガイア」——。1970年代、ラヴロック博士が提唱したガイア仮説は、宇宙から見た青い地球の写真とともに、わたしたちの心に強く訴えました。「このかけがえのない地球を守らなければ」と。
こうして、ガイアは今なお、エコロジー運動の原動力となっています。

ところが、2006年秋、「ガイアの復讐」と題された新聞の全面広告が、目に飛び込んで来ました。日本原子力文化振興財団がスポンサーとなったラヴロック博士の講演録でした。同名タイトルの最新作(中央公論新社刊)では、原子力発電を積極的に支持。正直、驚きを隠せませんでした。工作舎が刊行した初期の2作『地球生命圏』と『ガイアの時代』は、ディープエコロジーの原典。そして「エコロジスト=反原子力」と当然のように考えていたからです。

博士の真意はどこにあるのでしょう? 
地球温暖化の危機が、待ったなしの状況へ追い込んだのでしょうか?

そこで、『ガイアの時代』を緊急増刷するとともに、2作の翻訳者であり、第一線で環境問題に取り組む星川淳さんに、特別にご寄稿いただきました。 また、エコロジー関連図書を数多く刊行してきた工作舎出版路線の中から、特におすすめの本をリストアップしました。地球と人類の共存を考える一助になれば幸いです。(出版営業部・岩下祐子)
ガイアの時代
ガイアの時代
J・ラヴロック=著
星川 淳=訳
2006.12.25 緊急増刷
●星川淳さん特別寄稿「地球の医者に見えないもの」
●booklist ガイアと、エコロジーと、人間の共存と



[特別寄稿]
地球の医者に見えないもの
星川 淳 (作家・翻訳家/グリーンピース・ジャパン事務局長)

 ラヴロックがガイア仮説を世に問うた最初の著書2冊の訳者として、私は当初から博士による原子力容認姿勢への批判を明らかにしてきた。地球温暖化の進行につれ、博士は容認から積極推進に転じ、最近では新聞の全面広告など日本政府の原発PRにまで登場する。

 博士の主張にしたがって原発をいくら増やしても、エネルギー総供給に占める電力の割合は10数パーセントである以上、その他のエネルギー消費(多くは化石燃料)が温暖化に寄与する状態は変わらないし、原発自体も採掘から稼動まで化石燃料インフラに支えられている。そのうえ、もし全世界に原発がぎっしり立ち並んだら、核兵器や核テロに転用されかねない核物質が、いまとは比べものにならないほど蔓延することになるだろう。国際エネルギー機関(IEA)は最新の分析[1]で、二酸化炭素排出削減に対する原子力の貢献は、省エネや再生可能エネルギー利用に比べて小さいことを示している。温暖化を憂慮するあまり、本当の二酸化炭素削減策や世界平和と逆行するシナリオを選ぶ必要はない。

 こうした事実にもとづく反論は、すでに数多く博士に投げかけられてきたが、博士は聞く耳を持たないようだ。私はガイア説を理解し、直接の面識もある立場から、博士の核利用推進論にはもっと根深い疑問を感じる。「地球の医者」としてのマクロな視点に固着しすぎて、個々の人間や人類社会を軽視する点である。『核エネルギーを支持する環境主義者たち』(Environmentalists for Nuclear Energy, 2001)に寄稿した序文[2]のなかで、次のような主旨を表明しているのはその好例だろう。「核廃棄物の処分に頭を悩ませる必要はない。原生林などを捨て場にすれば“地球の美しい場所”を人間の侵入(=破壊)から守れるので一石二鳥だ」。捨てられた放射性物質の悪影響は、人間にも他の動植物にもおよぶからこそ、核利用を推進する人びとさえ最終処分の解答を求めて悩み続けているのではないか。

 地球温暖化は、生命世界の一員でしかない人類が、惑星の気候を左右できるほどの人口と技術をもってしまったために起こった。だとしたら、人類社会の健康を抜きにして、地球の健康も語れまい。核利用の“風下”で苦しむ人びとへのまなざしが欠けていることを含め、ラヴロックの最大の弱点はそこだと思う。核の脅威や恐怖にさらされずに地球温暖化を食い止め、人類社会と自然生態系の共存を図ることは可能だ。

[1] https://www.iea.org/w/bookshop/add.aspx?id=255
[2] https://www.comby.org/livres/nucpreen.htm



星川淳(ほしかわ・じゅん)プロフィール

1952年東京生まれ。九州芸術工科大学(環境設計)、米国ワールドカレッジ・ウエスト(地球科学/適正技術)中退。インドのラジニーシ・アシュラムに学び、そのとき与えられたスワミ・プレム・プラブッタ名義で数多くの精神世界、ニューサイエンス等の翻訳を手がける。82年、屋久島に移り住み、農業を営みながら、翻訳・小説執筆活動を続け、90年代頃より筆名を星川淳に統一。生活に根ざした心と社会の緑化をライフワークとし、執筆分野は環境、ネイティブ・アメリカン、環太平洋関連へと広がる。2001年に話題を呼んだ坂本龍一監修『非戦』(幻冬舎)の編著者としても活躍。2005年12月より、国際環境団体グリーンピース・ジャパン事務局長として、多忙な日々を送る。

著書に『屋久島の時間』(工作舎1995)『地球感覚,』(同1984)、『地球生活』(平凡社ライブラリー1995)、『エコロジーって何だろう』(ダイヤモンド社)、『環太平洋インナーネット紀行』(NTT出版1997)、『ベーリンジアの記憶』(幻冬舎1997)、『星の航海士--ナノイア・トンプソンの肖像』(幻冬舎1997)、訳書にJ.ラヴロック『地球生命圏』『ガイアの時代』、F.カプラ『非常の知』、J.ノルマン『地球の庭を耕すと』、(以上工作舎)、ポーラ・アンダーウッド『一万年の旅路--ネイティヴ・アメリカンの口承史』(翔泳社1998)、アーシュラ・K=ルグィン『オールウェイズ・カミングホーム』(平凡社1997)、リフキン『地球意識革命』(ダイヤモンド社1993)、G.ベイトソン『天使のおそれ』(青土社)、メイシー『世界は恋人 世界はわたし』(筑摩書房1993)、フォックス『トランスパーソナル・エコロジー』(平凡社1994)、ネスほか『地球の声を聴く』(ほんの木1993)ほか多数。

◎hotwiredに掲載されたラヴロック博士へのインタビュー(2000年末)
https://hotwired.goo.ne.jp/ecowire/interview/010123/




[booklist]ガイアと、エコロジーと、人間の共存と
  【ラヴロック博士の基本図書】
ガイアの時代_表紙 ガイアの時代 地球生命圏の進化
J・ラヴロック=著  ルイス・トマス=序文  星川 淳=訳  1989年刊行
「ガイア仮説」に、裏づけとなるデータを肉付けし、「理論」へと発展させた主著。40億年のガイアの進化が鮮やかに検証される。「重要なのは個別の生物種でなく惑星の健康である。まず第一に人間の健康を考える環境運動と、ガイアとが袂(たもと)を分かつのはここだ」という言葉どおりに、「地球の医者」たる立場を明確にする。それゆえに、「原子力に惚れ込んでいると思われても困る」と弁解しながらも、原子力擁護の姿勢も顕著になり(第7章 ガイアと現代環境)、それを批判する星川さんの「訳者あとがき」も必読。
地球生命圏 _表紙 地球生命圏 ガイアの科学
J・E・ラヴロック=著  星川 淳=訳  1984年刊行
「ガイア仮説」を世に問うた記念すべき第1作。ラヴロック博士の予想をはるかに超え、「生きている地球=ガイア」という宗教的・精神的な様相がカウンターカルチャー・精神世界に歓迎された。星川さんも、傷ついた女神ガイアとの一体感を覚えた一人。しかし、翻訳を進めるにしたがって、したたかで核戦争ぐらいではたいした影響を受けないガイア像に、軽い違和感を覚えたと、あとがきで告白している。両者のミゾは当初から始まっていた。
  【原子力をどう考えるのか】
新ターニング・ポイント_表紙 新ターニング・ポイント ポストバブルの指針
フリッチョフ・カプラ=著  吉福伸逸+田中三彦+上野圭一+菅 靖彦=訳  1995年刊行
薬漬け医療への批判、有機農業への関心…。今や当たり前となったホリスティックでエコロジカルな価値観は、ニューサイエンス思想/ニューエイジ運動の中で、30年近く前から提示されていた。『タオ自然学』で科学界の寵児となったカプラが、機械論的世界観を論駁し、ガイア仮説を含む新たなパラダイムを描く。エネルギー問題へのカプラの見識は一貫している。「(原子力は)何千年にもわたってわれわれの自然環境を汚染しつづけるおそれがあるのみならず、人類という種を絶滅させるおそれさえもある」(第8章 成長の暗い影より)
鳥たちの舞うとき_表紙 鳥たちの舞うとき
高木仁三郎=著  2000年刊行
脱原子力社会の実現のために尽力された市民科学者、高木仁三郎さんが、死を前に口述で残した小説。余命半年を宣告された主人公と、ダム建設にゆれる天楽谷の人々や鳥たちとの交流を描き、主人公と高木さんの姿が重なる。刊行直後から、本書がテレビ、新聞書評と大きな反響をいただき、たちまち3刷1万部と増刷を重ねられたのも、ひとえに高木さんへの評価と、感動を覚えた。それゆえに、原発は軽々しく考えられないのだ。
  【「地球の心」を感じる生活】
屋久島の時間_表紙 屋久島の時間(とき) 水と緑の12か月
星川 淳=著  1995年刊行
星川さんはイメージ先行のエコロジストではない。屋久島に根をすえ、害虫や猿害と闘いながら、有機栽培の果樹園を営んでいた。本書は、そうした星川さん一家の暮らしを綴ったエッセイ。横行する原生林の伐採を悲しみ、自らできることとしてケナフの種を蒔く。里に下りて「観光客待ち」するサルには、人間を恐れるようにと、心を鬼にして石つぶてを注ぐ。四季折々の自然の美しさ、厳しさの描写とともに、自然と真摯に向き合う星川さんの姿勢がうかがえる。
地球の庭を耕すと_表紙 地球の庭を耕すと 植物と話す12か月
ジム・ノルマン=著  星川 淳=訳  1994年刊行
『イルカの夢時間』で野生動物との音楽セッションを試みたミュージシャンが、畑を耕し、植物と語り合うエコロジー・エッセイ。「イルカ・クジラ会議」のため来日するノルマンにあわせ、星川さんは1カ月余りの猛スピードで翻訳をこなされた。あとがきではノルマンとの家族ぐるみの交流を紹介し、「自然観だけでなく、園芸、ライフスタイル、音楽その他アート全般、社会変革などの姿勢に共通点が多く、他人の翻訳をしている感じがしない」と。本書に呼応するかのように、1年後『屋久島の時間』が上梓された。
101本の緑の物語_表紙 101本の緑の物語  PLANT A TREE PLANT LOVE MEMORIAL BOOK for everyone
工作舎=編  1996年刊行
自然とのふれあいをテーマにしたメッセージブック。宮沢賢治やムジールなど古今東西の名著から選んだアンソロジー52本と、白洲正子ら有名無名48人のメッセージからなる。各ページに添えられた四季折々の写真を眺めるだけでも楽しい。たっぷりの余白に、自分の言葉を書き込むのもよし。メッセージには星川さんもノルマンも寄稿してくださった。なお、「PLANT A TREE PLANT LOVE」はNPO組織となり、植樹など活発に活動している。詳しくは、https://www.plantatree.gr.jp/参照。
  【文明は自然と共存できるのか】
森の記憶_表紙 森の記憶 ヨーロッパ文明の影
ロバート・P・ハリスン=著  金 利光=訳  1996年刊行
森に誕生したヨーロッパ文明は、森を切り開くことで拡大した。しかし、その繁栄の周縁には常に森の存在があった。処女神アルテミスが潜み、ロビン・フッドらアウトローを匿い、ルソーやソローの思索を育んだ森。本書は、神話からモダン建築までつらなる、いわば「森の文化史」である。その重層的な記憶ゆえに、「森林破壊は単なる生態系の喪失にとどまらず、文明の存在をも揺るがす」という言葉が重く響く。
7/10(セブン・テンス) _表紙 7/10(セブン・テンス)  海の自然誌
ジェームズ・ハミルトン=パターソン=著  西田美緒子+吉村則子=訳  1995年刊行
ソローに始まるネイチャーライティングを受け継ぐ、深い思索に満ちたエッセイ。地球の10分の7を占める広大な海。サンゴ礁、タイタニック号の発見、漂海民など海の魅力。あるいは、海洋資源の乱獲、リゾート開発、そして失われていく風景。感傷的に嘆くのでない。シニカルな視点で、安易な環境保護を却下する。ガイア理論を正しく理解する一方、「(人間の)存在がどんなに破壊的な結果をもたらしたとしても、やはり『自然』なのだと考えることはできまいか」(第6章 漁と失われゆくもの)。本書を覆う「喪失感」は、文明を持ち、野生から遠ざかった人類の原罪ゆえかもしれない。

    

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