[特別寄稿]
地球の医者に見えないもの
星川 淳
(作家・翻訳家/グリーンピース・ジャパン事務局長)
ラヴロックがガイア仮説を世に問うた最初の著書2冊の訳者として、私は当初から博士による原子力容認姿勢への批判を明らかにしてきた。地球温暖化の進行につれ、博士は容認から積極推進に転じ、最近では新聞の全面広告など日本政府の原発PRにまで登場する。
博士の主張にしたがって原発をいくら増やしても、エネルギー総供給に占める電力の割合は10数パーセントである以上、その他のエネルギー消費(多くは化石燃料)が温暖化に寄与する状態は変わらないし、原発自体も採掘から稼動まで化石燃料インフラに支えられている。そのうえ、もし全世界に原発がぎっしり立ち並んだら、核兵器や核テロに転用されかねない核物質が、いまとは比べものにならないほど蔓延することになるだろう。国際エネルギー機関(IEA)は最新の分析[1]で、二酸化炭素排出削減に対する原子力の貢献は、省エネや再生可能エネルギー利用に比べて小さいことを示している。温暖化を憂慮するあまり、本当の二酸化炭素削減策や世界平和と逆行するシナリオを選ぶ必要はない。
こうした事実にもとづく反論は、すでに数多く博士に投げかけられてきたが、博士は聞く耳を持たないようだ。私はガイア説を理解し、直接の面識もある立場から、博士の核利用推進論にはもっと根深い疑問を感じる。「地球の医者」としてのマクロな視点に固着しすぎて、個々の人間や人類社会を軽視する点である。『核エネルギーを支持する環境主義者たち』(Environmentalists
for Nuclear Energy, 2001)に寄稿した序文[2]のなかで、次のような主旨を表明しているのはその好例だろう。「核廃棄物の処分に頭を悩ませる必要はない。原生林などを捨て場にすれば“地球の美しい場所”を人間の侵入(=破壊)から守れるので一石二鳥だ」。捨てられた放射性物質の悪影響は、人間にも他の動植物にもおよぶからこそ、核利用を推進する人びとさえ最終処分の解答を求めて悩み続けているのではないか。
地球温暖化は、生命世界の一員でしかない人類が、惑星の気候を左右できるほどの人口と技術をもってしまったために起こった。だとしたら、人類社会の健康を抜きにして、地球の健康も語れまい。核利用の“風下”で苦しむ人びとへのまなざしが欠けていることを含め、ラヴロックの最大の弱点はそこだと思う。核の脅威や恐怖にさらされずに地球温暖化を食い止め、人類社会と自然生態系の共存を図ることは可能だ。
[1] https://www.iea.org/w/bookshop/add.aspx?id=255
[2] https://www.comby.org/livres/nucpreen.htm
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