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岸本良彦氏、2014年度 日本翻訳文化賞 受賞



前列右から3人目が岸本良彦氏、その後ろが工作舎社長の十川とデザイナーの佐藤。
(C)日本翻訳家協会

ケプラー『新天文学』をラテン語原典から翻訳された岸本良彦氏が、第51回(2014年度)日本翻訳文化賞(日本翻訳家協会主催)を受賞されました。2014年10月31日に行われた表彰式の模様、審査報告、岸本氏の謝辞を再録します。

第51回受賞作品『新天文学』審査講評

 ケプラー(1571~1630)はドイツの天文学者です。ときは16世紀初頭に始まるルターの宗教改革がヨーロッパを覆った17世紀幕開けの頃。ケプラーが3部作の書で世に問うた3法則は天文学が古代・中世思想の哲学的宇宙観からニュートンの万有引力発見により現代宇宙論に移る過程における「天文学史の分水嶺」として位置づけられます。工作舎刊、岸本良彦氏訳で今回出版された『新天文学』はラテン語の原典からの本邦初完訳で、解説、訳注を含めて670頁超の分厚い本です。

 この『新天文学』でケプラーは師ティコ・ブラーエの火星観測データを基に彼の3法則のうち、第1法則「太陽の周囲の惑星は太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を描く」と第2法則「太陽と惑星を結ぶ直線は一定期間つねに一定面積を描く」という世界最初の近代的な自然法則を著わしました。遠い惑星ほど周期は長くなる(公転周期が遅い)ことから、太陽からある種の力が放射され、距離に比例して弱くなる「引力」も想定していました。このケプラーの想定はニュートンの万有引力説で立証されましたが、ケプラー自身は宇宙哲学よりも神の摂理に関心があったのです。

 大学を卒業、数学と天文学の大学教師になったケプラーは26歳で『宇宙の神秘』(1596)、次いで、プラハにいた天文学者ティコ・ブラーエのもとに行き、38歳で『新天文学』(1609)、そしてリンツ(オーストリア)に移って思索の総決算とも言うべき48歳で『宇宙の調和』(1619)を出しました。このケプラーの三部作の順序がとても面白いのです。最も科学的な2冊目の『新天文学』がニュートンの万有引力へと橋渡しするのですが、ケプラーは相変わらず万能の神の宇宙創造の意思を読むことに生涯専念するのです。

 ケプラーの本を読むと、ヨーロッパ各国の天才たちが近代的自然観の確立まで神の摂理を何とかして読み解こうとしたことがよく分かります。第1作の『宇宙の神秘』では、5個の正多面(立)体(正6、正4、正12、正20、正8面体)で位置を解き明かした各軌道上を当時6個と思われていた惑星(水、金、地、火、木、土)が太陽を中心に回る惑星体系を想像し、第3作『宇宙の調和』ではこれらの惑星が太陽を中心にそれぞれ音楽の協和音程を振動する弦の長さで測れる軌道を回転、天体が宇宙舞台で大交響楽を奏でる壮観を夢想しました。ポーランドのコペルニクス、デンマークのティコ・ブラーエ、イタリアのガリレオ、ドイツのケプラー、英国のニュートン―近世夜明けの天才たちが競った時代のイメージがほうふつと浮かび、心がワクワクします。

『宇宙の調和』は工作舎に2009年度の日本翻訳出版文化賞が贈られましたが、今回の翻訳文化賞は『宇宙の神秘』(大槻真一郎氏と共訳)、『宇宙の調和』及び『新天文学』と難解な訳業に取り組んで来られた岸本良彦氏の努力を称えるものです。と同時に、工作舎が永年(1999年に『ライプニッツ著作集』全10巻が同出版文化賞受賞)重厚な科学書出版に果たされた功績に高い敬意を表します。



岸本良彦氏 謝辞

このたびは日本翻訳文化賞をいただきありがとうございます。今回の受賞に際し、まずギリシア語とラテン語の恩師である大槻眞一郎先生およびケプラー翻訳の第1作『宇宙の神秘』以来編集者として適切な助言をしていただいた工作舎の十川治江氏のお2人に感謝いたします。

 ケプラーの翻訳に携わるようになったきっかけは、私がまだ30歳の頃、工作舎から先生が『宇宙の神秘』翻訳を依頼されたことにあります。当時先生は錬金術事典の編纂やその他の仕事を抱えていたので、ラテン語を勉強していた私にやってみないかと声をかけてくれたのです。原著のコピーを見たらカエサルの『ガリア戦記』をようやく読み上げたばかりの力では解読は困難でした。しかし先生から原著の中に見える図の意味がわかれば何とかなるだろう、共訳者として名前を出す、と言われたのです。専任教員のポストを探していた当時の私にとってこれは魅力的でした。解読に難渋しつつ、できあがった部分を少しずつまとめて先生の助言に従い手直ししていきました。やがて先生が独訳を入手されたのでそれも参考にしてようやく仕上げたのが第1作です。その仕事を通じて刊行前に先生の勤務する明治薬科大学に講師の職を得られたので共同作業が行いやすくなりました。その後ヒポクラテスやプリニウスの翻訳に協力しましたが、私としては先生が『宇宙の神秘』のあとがきで言及したケプラーの大著『宇宙の調和』訳出のことが頭から離れませんでした。そこで他の仕事が一段落したのを機に、博物学のほうに関心が移った先生から離れて、相変わらず助言を受けつつ『調和』の翻訳を始めました。

 一応訳了した時点で『新天文学』が残りましたが、翻訳はこれで終えるつもりでした。幾何学、哲学、占星術、音楽論、天文学の総合的な思想書である『調和』は読者の関心を惹起しそうで工作舎も関心を持ってくれましたが、複雑な幾何学的証明、独特の磁力力学的説明、観測データに基づく精緻な天文計算を主とする、いわば純天文学史的著作であり、physicaが自然学から物理学に移行する転換点を示す『新天文学』は、ケプラーが序論で、読み返して自身の証明の意味を理解するのに疲れるほど頭を使うとしているほどなので、私の手に負えない上に、出版の見込みもないように思えたからです。けれども『調和』を訳了したとき、工作舎は『ライプニッツ著作集』の刊行で忙しく、『調和』の刊行までにはかなりかかりそうでした。そこで、せっかくケプラーのラテン語にも慣れてきたのにこのまま止めてしまうのも惜しかったので『新天文学』の翻訳に着手したのです。さすがに『新天文学』については、大槻先生も、ほとんど読む人もいないだろうから止めて他の仕事をした方がよいと助言してくれました。それでも刊行の見込みがないままに訳文がまとまり次第、勤務先である明治薬科大学の紀要に掲載し、天文学史研究者の批判を得て自分なりの理解を深めようとしました。ほとんど反響はありませんでしたが、関西在住のケプラー愛好者の方が貴重なコメントを寄せてくれました。そのうち『調和』出版の動きが出てきて、『新天文学』翻訳の最後はかなり慌ただしくなりました。

こうして『宇宙の調和』を何とか刊行したところ、幸いにも出版してくれた工作舎がこの書により翻訳出版文化賞を受賞し、それを機に工作舎も『新天文学』の刊行を決断してくれたのです。そこで改めて紀要の訳文を読み返すと、かなりの誤訳やさらには脱落個所まで見つかりました。数度の校正を経てかろうじてそれらのミスを訂正して刊行に漕ぎ着けたのが本書です。このような経過を振り返ると、『新天文学』翻訳の刊行を後押ししてくれたのは実は本協会なのです。その上、本協会からこうして翻訳文化賞までいただいたことは、望外の喜びです。先に挙げたお2人に加え、本協会に対し、心より感謝いたします。本日はありがとうございます。





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