『多主語的なアジア』、
8/15 毎日新聞・中村桂子氏書評
過去の全存在による無限の力への畏れ
…単なる反ヨーロッパでもアジアへの憧れでもなく、アジアの本質を生かすデザインとその基本にある生き方を求めての旅を今も続けている著者からのメッセージが本書なのである。(中略)
著者はアジアに、無名の人々が積み重ねてきた文化を見出し、「自分の存在」―「過去の膨大な人間の全存在」という引き算をする。文化、文明のほとんどは無名の人々の無限とも言える力で作られたものであるという自覚が必要と知ったのである。それを解剖学者三木成夫の言う「生命記憶」という言葉につなげると、この無限とも言える力を発揮したのは、人間だけでなくあらゆる生命体となる。そして、それを受け継ぎ、育てながら生きる大切さを思うのである。そういう眼で見ると、ウルムで見せつけられた「私」の主張は痩せこけた自我意識であり、一方アジアの多数の主語のある存在様式にこそ、豊かさの源泉があると思えてきたと言い、その具体例として、唐草文、生命樹、神輿、宇宙図などをあげる。
多主語とは、人間が、更には個人が、世界は自分だけのものであるかの如くふるまうのでなく、「世界を埋めつくす一つ一つのものの身になってみる。そうすると世界がどう見えるか。見えた世界の全体を自分の眼とともに理解する、という訓練」をしようということだ。(中略)
「多主語的なアジア」とは、生命を取り巻くさまざまな事柄について考えさせる言葉である。全文は毎日新聞サイトへ >>>