◉ カノーヴァのピラミッド型モニュメント
カノーヴァはこのティツィアーノ・モニュメントのための一連の雛形を残している。それらから、このモニュメントがピラミッド型で、寓意像を組みあわせる予定だったことがわかる。
最初のヴァージョンではピラミッドに石棺が組みあわされていた。この段階ですでに、飛翔する二人の天使が支えるイマゴ・クリペアータと銘がピラミッド上に置かれている。後に、石棺をとり除き、墓室に通じているように見える入口をピラミッドに穿ち、そこに向かって進む葬列が加えられた。しかし、ツリアンが1795年に没し、政治的混乱も手伝って、このモニュメントは結局、制作されなかった。
ついで1794年、カノーヴァはフィラデルフィアのフランク・ニュートンから友人の墓廟モニュメントの制作を依頼された。このモニュメントも制作されなかったが、カノーヴァは、ティツィアーノ・モニュメントからデザインを転用することを考えたようである。そのための雛形が北イタリア、バッサーノ・デル・グラッパ市立美術館に所蔵され、ティツィアーノ・モニュメントのための雛形の一つにきわめてよく似ている。
そして、1805年には、このデザインをそのまま転用して、ウィーンのアウグスティーナ・キルヘにピラミッド型モニュメントを建てている。このモニュメントは、アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン・テシェン公が、亡くなった妻マリア・クリスティーナのために注文した。マリア・クリスティーナはマリア・テレジアの娘である。
カノーヴァ《マリア・クリスティーナ・モニュメント》
1805 ウィーン、アウグスティーナキルヘ.
フラーリ聖堂のカノーヴァ・モニュメントのモデルはこのように、カノーヴァ自身の作品にほかならない。そして、この作品は肖像や名前とともに美術家を同定し、記念する役割を果たしている。
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