第7回 パリのライプニッツ学徒よりテロ事件後のメール
『ライプニッツ著作集』第ll期・第2巻『法学・神学・歴史学』は、予定よりやや遅れ気味ながら初校ゲラが出揃い、各訳者にお送りすることができました。
第3部「歴史学」ご担当のお一人、パリ第四大学大学院博士過程に留学中の今野諒子氏には、pdf. ファイルにて送付したのですが、メールの追伸に「テロ事件、ライプニッツならどんな発言をするでしょう?……」と添えたところ、以下の返信を頂戴しました。お許しを得て、全文引用させていただきます。
一連のテロ事件に関しまして、(ライプニッツに倣い)パリの一外国人として、次のように考えます。
今回の事件を「調和への亀裂」を狙った暴力行為と受け止めております。それは、まずフランス国内の問題としては、下記の2点があげられるからです。
1 政治、法律の面での急速な方向転換を招いた事件であり
2 市井の人々の共有する文化・言論を基礎とする友愛でつながったコミュニティ
への破壊行為であった
1については、事件後すぐにオランド氏がテロ行為を「戦争行為」と定義し、シリア空爆へと踏み切りました。また「非常事態宣言」も発令され、2016年2月25日まで3か月間延長する法案も可決されました。ふだんはパリ市内でひんぱんに行われるデモや集会が禁止されています。COP21の開催前日には、デモに代えてレピュブリック広場に数多くの靴が敷き詰められました ( >>>)。また、憲法改正への動きも見られます。アルジェリア戦争時以来の大幅な憲法改正です。
2の「文化・言論を基礎とする友愛でつながったコミュニティ」とは、シャルリー・エブド事件後の2015年1月11日の大行進( >>>)に見られるような、フランス社会を支える「表現の自由」という権利にして市井の人々に深く浸透している価値観を改めて問い直し、守っていくための強い政治的連帯となる場合もあれば、たまたま喫茶店や劇場で隣り合った者同士が、関心のおもむくまま言葉を交わすような日常的なつながりも意味します。それは決して、フランス国籍のパリ市民のみで構成されているのではなく、さまざまな文化的背景をもつ人々が集うコミュニティです。
今回、もっとも多くの犠牲者が出た「バタクラン劇場」は、パリの中でも市民文化が高度に発達した地域といってもいい11区にあり、クリエイティブな若い世代の集う地域が狙われました。シャルリー・エブド社ともそう遠くない地域です。実際に街を歩いてみますと、日本の井の頭線線沿いの世田谷区の雰囲気に近いものを感じました。アパート、パン屋さん、スーパー、幼稚園が立ち並ぶような、本当に普通の日常的空間で事件が起こりました。
パリ中心部でのテロ行為に続き、近郊の「バンリュー」と呼ばれる移民の方々が集中する地域での激しい戦闘を交えた容疑者の掃討という経緯からも、シャルリー・エブド事件と今回の事件は、フランス社会、とくにパリのかかえる社会的・文化的構造やこの共同体に生きる人々が何に対していちばん怒りを感じるかをひじょうに良く知る人物による犯行と思わざるをえません。
他方、フランス国外の問題としては、今回の事件に直接的な関係のある地域の方々、またそうでない方々が、ソーシャルメディアを中心に事件の政治的・文化的文脈に対する分析をまったく放棄したナショナリズム/民族主義的な反応を示していました。ISIS の思惑どおり、パリで発生した亀裂が世界に波及していきました。
以上の事件の性格から、ライプニッツが今日に生きていれば、次の提言をするように思われます。
第一に、政治・法律が大きな方向転換を強いられるさいに、現状を精緻に分析し、緊急措置としての具体的な政治的決断の次元と、人々の基本的権利にかかわる法学上の議論とを慎重に分けて行う。
第二に、パリに生きる人々、そして今回の事件に哀悼の気持を向けてくださった人々、逆にそうでない人々の間に再度、言論を共通基盤とするコミュニティを築いていくための議論(論争)とは何か、そしてそれに必要な言語とは何かを探究する。
論争的状況を好意的に受け止め、何よりも調和を求めたライプニッツであれば、この二点を提言するように思われます。そして、一ライプニッツ学徒といたしまして、
再度、より良い世界に向けて踏み出して行くために、犠牲になられた方々を、個人個人がそれぞれの立場から、きちんと追悼する。
この点を付け加えたく存じます。ライプニッツが論じていますように、各人は過去を包蔵し、未来へと自己を展開していく存在です。地理的距離の如何にかかわらず、今回起こった事件をどのように受け止め、どの程度の歴史的スパンで文脈化するのか、そしてそれを元に、どのようなビジョンを同一の世界に見ようとするのか。このような問題を、哲学史で積み重ねられてきた分析を頼りに考えることも、追悼の一つのあり方だと考えます。フランス社会に固有の問題、そして日本の政治的問題を考えるさいにも有効な議論を、まわりの友人たちの知恵を借りながら学んでいくことが、一つの大きな課題です。
今野諒子氏は現在、ライプニッツの初期思想における自然学の「学問性」の基準を問うことを主題とした博士論文を準備中とのことです (十川治江)。