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土星の環インタビュー

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土星


#003

編集者 赤田祐一さんに聞く

1979年、            
『オブジェマガジン遊』と出会った…


『オブジェマガジン遊 1002 呼吸+歌謡曲』


『オブジェマガジン遊』が再び話題となっている。
『20世紀エディトリアル・オデッセイ—時代を創った雑誌たち』
(誠文堂新光社/2014年4月刊行)にはコラムとして登場するばかりか、
元『遊』スタッフ山崎春美さんのインタビューも収録され、
工作舎や編集長・松岡正剛氏への言及も多い。
やはり『遊』は、1970〜80年代の雑誌および文化を語る上で欠かせない。

そこで著者、赤田祐一さんとばるぼらさん、山崎春美さんに
『遊』をめぐるインタビューを試みた。
第1弾の赤田さんは、90年代のサブカルチャー雑誌
『クイック・ジャパン』の創刊編集長として知られる。


『20世紀エディトリアル・オデッセイ』
『20世紀エディトリアル・オデッセイ』(左)と『遊』コラム(右)


 —— 『遊』はいつ頃知ったのですか?

『遊』および工作舎を知ったのは大学に入ってからです。1979年に立教大学に入学し、池袋駅からの通学路に、芳林堂書店がありました。もう閉店してしまいましたが、一日2回行くこともあるくらい好きな本屋で、情報の発信地。そこで『遊』を知ったんです。さらに芳林堂の8階に高野という古書店があって、そこでは『全宇宙誌』や『スーパーレディ』とも出会いました。すごい出版物だなと衝撃を受けました。

 —— 『遊』の2期(*1)の頃ですね。

2期の『遊』は、デザインも含めてサイコーですね。…とはいっても僕はおもにサブカルの記事しかちゃんと読んでないんですが。阿木譲さんのロック評論とか。阿木さんは「ロック・シーン」という見開きの連載をしていて、当時欧米でたちあがりつつあった先鋭的なサウンド、ニューウエイブの流れをいち早く紹介されてたんです。トーキング・ヘッズ、DEVO、ブライアン・イーノとか。そのころ新しいロックについて書かれていた文章ではピカイチだったのではないでしょうか。 あと近田春夫さんがモノローグで歌謡曲について語った長いインタビューもよかった。

 —— 『遊1002号 呼吸+歌謡曲』に収録されています。

その号の美空ひばりの記事なんかおもしろかった。美空ひばりをNHKホールの楽屋で30分だか取材した記事が載っていて。『遊』の取材チームがひばりに接触して取材を申し込むのですが、事務所がまともにとりあってくれない。ひばりのインタビューよりもいかに事務所に懇願するかというプロセスのほうを松岡さんが臨場感のある文章で書いていてね、どきどきして読みました。こういうライティングがあるんだなと思った。日本のニュー・ジャーナリズムです。

 —— あの構成には意表をつかれました。赤田さんは松岡さんからの影響が大きいのですか?

松岡さんもですが、僕にとって山崎春美さんの存在が大きかったですね。春美さんは遊塾(*2)にいて『遊』でも編集とライティングをしていたんですが、平行して『Jam』というポルノ雑誌というか自動販売機の雑誌にも携わっていました。『Jam』のオリジナルスタッフは、大半が工作舎の読者だったのでは。誌面には毎号毎号工作舎の話題が出ていました。創刊号を『Jam』ブレーンの美沢真之助さんが工作舎に見せに行くと、松岡さんが感心して「わかった、君たちはこれでパンクをやろうというんだね」と言ったという話が載っていましたね。

■ 『遊』と『Jam』と『ロック・マガジン』

 —— パンクといいますとどのような?

「芸能人ゴミあさりシリーズ」とか? 山口百恵とか、当時人気のあった芸能人の出したゴミを『Jam』のスタッフがゴミバコごと盗んできて、すべてを写真で誌面公開する企画とかもそうですね。これは当時、アメリカのアンダーグラウンドマガジンが、ボブ・ディランの邸宅から出たゴミをかっぱらってきて全公開した企画があったそうで、そのアイデアを参考にしたみたいです。あと「音で橋をこわす」というふしぎな論文とか、「笑気ガスのつくり方」というハウツーが掲載されていたりと、そんなむちゃくちゃなページとかもありましたね。
工作舎関連でみていくと、たとえば、象徴的だと思ったのが、1979年に出た『Jam』創刊3号の表紙を見てください。スタジオ撮りしたヌードモデルの写真が表紙なんですが。モデルの女性と一緒に『遊』の1006号が載っているでしょう?さっきお話した2期の『遊』ですね。一緒にDEVOやクラフトワークのLP、雑誌の『ロック・マガジン』や『HIGH TIMES』、書籍では、筒井康隆の『発作的作品群』、アレン・ギンズバーグの『麻薬書簡』なども映り込んでいますね。これはたぶん『Jam』のスタッフが好きなものだけを集めてきてコラージュしてみせましたという、ある種の感覚カタログのようなものでしょうね。そこに『遊』もノミネートされていた、ということです。『Jam』編集長の佐内順一郎さんがこういったセンスの雑誌や本が好きだったのだと思います。
余談になりますが、『Jam』は最高におもしろい雑誌で、佐内さん、美沢さん、八木真一郎さん、春美さん、かれらは日大芸術学部のグループなんですが、猛烈な才能をもつ人たちが、遊びながら編集していました。
『Jam』のどこがすごかったのかというと、個人の興味とか関心を徹底的に優先して編集されていたんです。雑誌ってこんなに好きにつくっていいんだ、自由でいいんだと、教えられたんですね。そのときの衝撃はいまでも残っています。後継誌の『Heaven』になると、そのパンク的な衝撃力は、やや拡散ぎみになるんですよ。そういえば『Jam』のグループは、『冗談・冗弾』という『遊』の別冊(組本は組)の編集を手伝ってますよね。
当時出ていたアングラ雑誌の極北、『遊』と『Jam』に影響を受けながら、自分の中で工作舎というイメージができてきました。

 —— では工作舎には具体的にどのようなイメージを抱いたのですか?

どこか「秘密結社」ぽかった…? というか。少数の濃い仲間内で楽し気につくっているメディアという印象です。先ほど話に出た阿木さんは『ロック・マガジン』編集長ですし、『ロック・マガジン』スタッフと工作舎Gチーム(*3)の後藤繁雄さんが対談もありました。読者から見ると、『遊』と『Jam』と『ロック・マガジン』とで、執筆者が一種、入れ子状態になっていましたね。実際、図版の貸し借りなどもしていたみたいで。

■ 出版社から逸脱した“文化的な運動体”

 —— 流動的なエディトリアル運動体といった感じですね。

ほんとうにそうですね。文化的な運動体で求心力がすごかった。ソンタグやワトソンをはじめ、たくさんの文化人を呼んで土星の間で行ったイベントが、『遊』2期に小さい写真で載っていました。
すごいなと思うのは、書店の本の間の仕切り板までも工作舎デザインでつくっていたこと。「本は暗いおもちゃである」という稲垣足穂の有名な言葉が印字されて、書店に頼んで譲ってもらいました。
新刊目録[土星紀]もいっぱい持っていますよ。昔の土星紀はつくりこんでいますよね。まりの・るうにいさんの絵が入ったりして、立体的なんです。あれは工作舎の新聞みたいな存在で、世界観をつくりたかったんじゃないですか? 「プラネタリーブックス」を買って、ついているハガキを送ると全員に松岡さんからの返事をもらえるという企画もありました。半纏やムーン・ダイアリーも売っていましたね。出版社が半纏をつくって売るなんて新鮮でした。

土星紀001 土星紀0171
1979年8月刊行の[土星紀001](左)と最新の[土星紀0171](右)

 —— 赤田さんは『遊』に投稿して参加しようと思わなかったのですか?(*4)

それはありません。『遊』は誌面内容が高踏的で、かなり難解な雑誌という印象でした。ですからまず自分には無縁だろうと。その頃募集していた遊塾に入ろうとも思わなかった。遊塾生だった山崎さんは僕より4つか5つくらい年上なんですが、それくらいの年代の方が多かったんじゃないですか。
僕の知り合いで遊塾から途中で逃げ出した人がいるんです。松岡さんの存在がすごくて吸い込まれそうだったと語っていました。工作舎独自の造語があるでしょう、観音力とか遊軍とか、みんながそういう言葉でしゃべっていて、たまげたと言ってましたね。先ほど秘密結社のイメージと言ったのは、そんな話からもきているんだと思います。

 —— 松岡さんは仕事に対しても厳しかったと聞いています。

松岡さんはそうやって才能を育てようとしていたんですね。スタッフは徹夜続きでトイレの中で寝ていたとか、そういう噂を『Jam』のスタッフの文章で読んでいましたから。生き物のような雑誌を編集するというのは、一つのイデアに向かってみんなが罫線をひいたり原稿を書いていったりするものだと思うのですが、『遊』ではそれが正気を超えているように感じました。それがたぶん、当時の工作舎のオーラの正体なんでしょうね。

 —— 『遊』時代は給料が出ず、無料のパンの耳を食べていたそうです。今は恵まれていると、当時からのスタッフによく言われます。

お金うんぬんではなく、それを超えるビジョンがあったから、すごい仕事ができたんですよ。

■ 経営を支えた外部の仕事

 —— 出版だけでは経営的に成り立たず、外部の仕事も受けていました。

知っています。『遊』の遊線放送局(*5)に学研に版下を取りに行ったなど、載っていましたから。そうした外部の制作物も、いくつか確保してますよ。『ソフトマシーン』はカバン屋さんのPR誌。内容は工作舎スタッフがつくり、羽良多平吉さんデザインで、タブロイド判の大きな判型です。

ソフトマシーン
『ソフトマシーン』

『Ed』もいいですね。これもスポンサーがアパレル。創刊号は持っていませんが、これは2号で、モノクロのフォトジェニックな写真中心。かっこいいですよね。時代を感じさせないのが不思議。フランスへ取材に行って、セルジュ・ゲンズブールなど、サブカルチャーを特集していますね。

Ed no.2
『Ed no.2』

『疑惑戦線』は松本清張原作の映画の企画で、作り方が面白いですね、立体的で。これなどを見ていると、今の出版のレベルが下がったように感じます。今でも参考になるから、部屋の近くにおいて、パラパラ見てインスピレーションをもらえたりしますね。清張の書庫を写真に収めたり、家の配置やノートの収録なども感心しますが、それよりも本の展開の仕方がいい。流れを考えて展開が立体的で重層的にできています。今の出版物は表面的な見せ方に終始している観があるし、ここまで重層的な編集はしないでしょう、通常。

疑惑戦線

 —— 立体的な造本といえば、『人間人形時代』からの伝統があります。

『疑惑戦線』もページをめくると、色紙を使ってパッと雰囲気を変えていますね。ちょっとしたことなんですけど、こんな面倒くさいことは今はみんな忘れているんですよ。お金と手間の問題でしょうね。誤植が多くなるなど、管理的な面に頭がいきがちです。
『ロック・エンド』は、『ロック・マガジン』編集長・阿木さんの本で、素晴らしいですね。工作舎の書籍のなかでは、一番好きな本です。透明なプラスチックのカバーに女性の脚がコラージュされています。戸田ツトムさんと松田行正さん二人のデザインで、無印良品ができる前の時代に、本文をクラフト紙にブルー一色で刷っていて斬新です。

ロック・エンド

■ 『遊』休刊後、気になる本

 —— 『遊』は商業的に成功したわけではありません。3期で休刊になって松岡さんが工作舎を離れました。

それ以降も工作舎の本は気になって手に取っていました。中でもジム・ノルマンが好きです。畑の本『地球の庭を耕すと』が素晴らしい。こんな感じにガーデニングやエコについて書けたらいいんですが。

 —— 翻訳者の星川淳さんご自身も屋久島で半農半著生活を送っていて、この本に触発をうけて 『屋久島の時間』を書き下ろしてくださいました。

地球の庭を耕すと 未知の贈りもの

いまだに素敵だと思うのは、ワトソンの『未知の贈りもの』。ファンタジックで、村田恵子さんの翻訳がいいんです。

 —— 福岡伸一さんや茂木健一郎さんもお好きだそうですよ。ワトソンは生物学の主流とは違う発想です。やわらかい科学、主流がふるい落としてしまったものをすくいあげているように思います。

精神世界、ニューサイエンス、トランスパーソナル心理学…。工作舎はとり上げるテーマが早かった。ワトソンも晩年はロハスに接近してカジュアルになってきました。工作舎のエコやスピリチュアリティも20年経って、ふつうに読めるようになったのではないでしょうか。
ブログで読んだだけで詳しいことは知らないのですが、C+F研究所のティム・マクリーンさんは『エニアグラム』という本を出して、フジテレビの「ごきげんよう」にレギュラー出演しているそうです(*6)。エニアグラムは性格分析で、もともとグルジエフが始めてヒッピーの間で広まっていたもの。それがここまで一般に下りてきたんだと驚きました。

 —— C+F研究所は、日本にニューエイジ・サイエンスを紹介した吉福伸逸さんがつくられて、ティム・マクリーンさんと高岡よし子さんが引き継いでいます。吉福さんは去年亡くなられました。(*7)

この間なんか『デレク・ベイリー』という時間をかけたすごい翻訳本が出て、工作舎らしいなと思いました。外部の野次馬にはこのベイリーの本とか、『大ザッパ論』とか、ああいうマニアックに深堀りする本には強い個性を感じます。

デレク・ベイリー ブックマップ プラス

 —— それは担当編集者の石原剛一郎の個性です。編集者それぞれに個性がありますから。

山崎浩一さんの『雑誌のカタチ』も石原さんの編集ですね。『クイック・ジャパン』が収録されています。

雑誌のカタチ

マニアックに掘り下げることは、大切なことだと思うんです。他との区別化とか差別化とか。情熱とか熱意とか。『大ザッパ論』や『デレク・ベイリー』の密度は『遊』を彷彿とさせ、工作舎、頑張っているなあと思わせます。『ブックマップ』もそれに近い感覚です。

 —— 『ブックマップ』もまた石原の編集です。創業20周年記念出版として工作舎スタッフが分担して執筆しました。

『ブックマップ』は定期的に出したら売れるんじゃないですか?

 —— 『ブックマップ』の後に『ブックマップ プラス』を出したのはご存知ですか? ワトソンやカプラのインタビューがあるのが『ブックマップ』、『プラス』は杉浦さんや高山宏さんの書棚の写真が収録されています。

ブックマップ ブックマップ プラス

信愛書店のインタビューが載っているほうを持っています。

 —— 『プラス』ですね。 どちらも1冊の工作舎の本をキーに関連する8冊を紹介しますが、スタッフそれぞれの主観が入っていて関連の度合いがかなりジャンプしています。

僕はそのリンクのはり方が面白いと思います。それは個性ですし、主観的でないと本はつくれないと思います。客観的につくっても面白くないし、そんなものがこの興味が細分化する時代に、果たして商品として成立するのだろうか。

■ 編集者の思い

 —— 赤田さんの本づくりの話も交えてお話いただきたいのですが、本づくりに一番大切なのは「つくりたい!」という編集者の想いですか?

ケースバイケースですが、基本的にはそうでしょうね。自分が読みたいと思うものをつくりたいという気持ちは持ち続けています。

 —— このテーマが売れるから、という考えは営業的発想でしょうか?

以前に勤めた出版社では、その発想がほぼ「すべて」でしたから。こういう話をしていいかどうかわからないんですけど、紀伊國屋書店のパブラインを一日中見ている世界。他社の本の売上もすべてわかりますから。でもそれは自分一人が見ているわけではなくて、他の編集者も見ているわけです。しかもパブラインの売上データは膨大なので上位ベスト20くらいしか目がいかない。だからみんな本が似通ってしまうんじゃないのかなあ。
結局、その当時は──たとえば塩麹が流行ったらずっと塩麹のチェックするみたいなことを毎日業務としてやっていたんですよ。ベストセラーをつくりたい出版社は、みなそういうものです。

 —— 今は『スペクテイター』の編集者ですね。

サブカルチャーの雑誌です。最新のアウトドアの話題や、「小商い」と称して新しい仕事のしかたなどを特集してますね。長野にある会社で、3人でつくっています。うち一人は営業で、編集長の青野利光さんと僕が編集兼ライティングです。手作りに近いかたちで編集してます。

■ Stay hungry, stay foolish

 —— 29、30号は、ニューエイジの伝説的な雑誌『ホール・アース・カタログ(WEC)』を大特集しています。他にはないテーマですね。

“Stay hungry, stay foolish”というスティーブ・ジョブスのスピーチがありましたが、この言葉は『WEC』の最終号の裏表紙に記されたものです。ジョブズが亡くなったときにこのスピーチが話題になったこともあり、『WEC』を特集したいと思いました。青野さんが理解があってできました。


 —— 『20世紀エディトリアル・オデッセイ』は『WEC』から始まり、『遊』や松岡さんにも触れていただきました。

1982年5月号の『遊(1032 感覚する)』で『WEC』を小特集しています。『スペクテイター』29号では、その『遊』に掲載された『WEC』の商品リストを引用したくらいです。『遊』の全員集合写真など、松岡さんは『WEC』の影響を受けていると思いますよ。
次の31号は禅の特集をします。ジョブズが尊敬していた禅の先生、鈴木俊隆の本が、『禅マインド ビギナーズ・マインド』という新書で出し直されたんです。ジョブズの影響だと思いますが、それが評判いいようです。禅は漢字ではなくZENで、西洋人が見た瞑想や座禅をとり上げます。


最近もビート・ジェネレーションの一人、アラン・ワッツの本も『「ラットレース」から抜け出す方法』というタイトルで復刊されました。ワッツがギンズバーグに禅を教えたそうですね。禅からノイズリダクションや、ストレス、癒しなどにつなげている本です。その要素も入れたいと思っています。

 —— 楽しみです。本日はありがとうございました。

ザ・ネクスト全地球型録 S・ブランドの実績
『遊1032 感覚する』より「ザ・ネクスト全地球型録」。
右端のアイテム一覧を『スペクテイター』29号で引用。
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『スペクテイター』29号・30号補稿
『スペクテイター』29号と30号の補稿
宣材として毎号制作している。

赤田祐一(あかた・ゆういち)
編集者・著述業。1961年生まれ。学生時代よりサブカルチャー、アンダーグラウンドカルチャーの調査・研究を行う。大学卒業後、飛鳥新社に入社し、編集を手がけた『磯野家の謎』がベストセラーに。その後、1990年代を代表するサブカル雑誌『クイック・ジャパン』を立ち上げ、雑誌ごと太田出版に移籍する。2012年より『スペクテイター Spectator』編集部に在籍し、「小商い」「ホール・アース・カタログ」などの特集を担当。著書に『「ポパイ」の時代』(太田出版)、『消されたマンガ』(ばるぼらとの共著/鉄人社)、編集に『OHの肖像 大伴昌司とその時代』(飛鳥新社)、『自殺直前日記 改』(山田花子著/鉄人社)他がある。




*註1 遊:1971年9月刊行の創刊号から、77年5月刊行『第10号 存在と精神の系譜 下』および同年12月刊行の臨時増刊号『野尻抱影・稲垣足穂追悼号』までを第1期とする。年1〜3回刊行の不定期刊だった。
78年5月刊行の『1001号 相似律』から隔月刊の第2期がはじまる。80年5月刊行の『1013号 恋+存在学』まで続く。
80年11月刊行の『1014号 舞う』より月刊の第3期へ。82年10-11月刊行『1037-38号 遊学する』で休刊となる。
ほどんどが品切だが、2期に若干の在庫が残っている。詳しくは 品切一覧へ。

*註2 遊塾:松岡正剛が「覚悟するもののみ、その存在を募集」という言葉とともにはじめた無料編集塾。1979年4月からスタートした(『遊』2期にあたる)。その後、工作舎スタッフに加わった者も多い。

*註3 Gチーム:工作舎スタッフを3チームに分類。出版編集主体のリアrear=Rチーム、企業への営業活動するフロントfront=Fチーム、書店営業、イベント「遊会」「遊撃展」などをしかけるゲリラguerrilla=Gチーム。工作舎スタッフはもとより、工作舎とともに諸活動を展開したい人「遊軍」も、このいずれかに所属。

*註4 『遊』に投稿:『遊』の読者投稿ページ「遊便局」には、読者の声が多数掲載された。その中には香山リカ(本名で投稿)や浅羽通明などもいたという。

*註5 遊線放送局:『遊』の編集後記的なページ。工作舎内の「土星の間」で繰り広げられるイベントをはじめ、制作時期に工作舎で起こった出来事を詳細に記録。制作の裏側がわかると、人気だった。

*註6 ティム・マクリーン、テレビ出演: C+F研究所 公式サイト参照。

*註7 吉福伸逸(よしふく・しんいち): 日本にニューサイエンスの思想潮流を紹介・翻訳。工作舎でも『タオ自然学』(1979年)『ターニング・ポイント』(1984年)などを翻訳。「ニューサイエンス 吉福伸逸さんと工作舎」参照。





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