ネットワーカー ばるぼらさんに聞く
デザインから知った『遊』と工作舎
『遊』と工作舎をめぐるインタビュー第2弾は、
『20世紀エディトリアル・オデッセイ—時代を創った雑誌たち』の
もうひとりの著者、ばるぼらさん。
『遊』休刊後に『遊』を知った世代にもかかわらず、
同書掲載の『遊』コラムを執筆してくださいました。
—— 『遊』と工作舎の出会いについてお話しください。
『遊 野尻抱影+稲垣足穂追悼号』をいちばん最初に買ったんです。もちろん古本屋で。羽良多平吉さんのファンで、この号が羽良多さんデザインだと知り、中身をよく知らずに買いました。
—— そもそも羽良多さんのことはどこで知ったのですか?
何かの本に載っていた『HEAVEN』創刊号のサムネールがあまりにカッコよすぎて、これは何なんだろうって。どうしても欲しくて古本屋を探して、羽良多さんのデザインだと知りました。ワタシは完全にデザインから入っているんです。『足穂追悼号』を手に入れたのは、90年代の後半くらいだったと思います。稲垣足穂の名前は知っているけれど、野尻抱影は全然知らない、そんな程度の知識で。
この本に「ねえ、口で伝えられる物語のように移ろい行き…」(*1)と、「オルドーヴル」という足穂作品からの一節が引用されているんですが、これがあまりにもカッコよかったから、自分の最初の本(『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』翔泳社)のいちばん最初のページに引用しました。稲垣足穂の本からじゃなくて『追悼号』からの引用。松岡正剛さんの『自然学曼陀羅』にも足穂の同じ言葉が引用されていますが、でもそっちから発想したわけではない。
—— ばるぼらさんは『遊』をリアルタイムに知らない若い世代ですが、『20世紀エディトリアル・オデッセイ』でのコラムを執筆してくださいました。
古本の力もあるんでしょうね。羽良多さんから入っているので『遊』第2期を見て、『遊 創刊号』をその後で見つけて買って、次に買ったのが現代音楽特集がある『7号』。だからこの『20世紀エディトリアル・オデッセイ』に載せた『遊』の写真はワタシが買った順。次のも音楽特集の『1008号』。2004年にネット上の松岡正剛さんの「千夜千冊」が千冊目に達しているんですよ。その頃、ネットに「読む(1023/24号 1981年8/9月)」特集であがった本をリストにして、ばぁっと載せたことがあります。
—— 反応はどうでしたか?
千冊目はこの本かもしれない、あの本かもしれないと、何を採り上げるかで盛り上がりました。ネット上には松岡さんを好きな人が結構いるんです。松岡さんの昔の活動を知らなくても「編集」という切り口から入る人もいます。
—— 『遊』はばるぼらさん世代から見てどうですか?
最初、何が書いてあるのか全くわからなかったんです。ワタシは第2期が好きだから、第2期の話になりますが、「disclippin'」という音楽ページを連載当初は羽良多さんがデザインしています。阿木譲さんと間章さんと秋山邦晴さんが持ちまわりでレコード紹介をしているページです。こうした音楽関係から先に読んでいきました。
『HEAVEN』や『Jam』を調べていると、どうもそこの編集者たちは『遊』という雑誌に影響を受けていたらしいと気づきました。『HEAVEN』のルーツのひとつとしても『遊』に辿り着きました。
■ 羽良多平吉の文字組
—— 『HEAVEN』のデザインは羽良多さん。羽良多さんの魅力って何でしょう?
羽良多さんは杉浦康平さんから影響を受けている文字組なのに、全く違うところにいってしまっています。色もいいし、文字の使い方もいい。文字の選び方がまた違う。デザイナーはみんなわりと冒険しないんですね。でも羽良多さんが選ぶ書体は平凡じゃない。どこから持ってきたのかわからないフリーフォントを使って、しかもそれがちゃんとはまっているようにしか見えない。しかもああいう書き文字みたいなのも入れて(と、工作舎会議室の遊撃展ポスターを指す)。
羽良多平吉デザイン・遊撃展ポスター
—— あのポスター、羽良多さんだったんですか!? 全く気づかなかった。書き文字は羽良多さんならではですか?
そう、構成の仕方が全然違う。工作舎から育ったり工作舎の影響を受けたデザイナーはたくさんいると思いますが、みな杉浦さんの影響がうかがえます。
—— 戸田ツトムさんもそうでしょうし、松田行正さんも祖父江慎さんも。
そう。なんですけれど、羽良多さんは全く違うところに辿り着いてしまった。
—— 羽良多さんのデザインの変遷はどうですか? 『遊』時代から含めて、ここ30年くらい変わりましたか? それとも基本はそんなに変わっていないでしょうか?
だいぶ変わっていますね。もちろん使う書体は活字に由来するような伝統的な書体がまずあって、その後、80年代に入ると紙自体に光るメタリックな紙。インクだと蛍光インクというように光るほうに向かいます。90年代にはDTP時代になりデジタルフォントを使うんですよ。欧文のEmigre、T.26、GarageFontsとか、当時出てきた有名なフォントを使いはじめています。伝統的な日本語の書体と、欧文の海外でいちばん先端とされるグチャッとした書体を使う、そういうデザインってその時点では羽良多さんしかやっていないんじゃないでしょうか。伝統と先端が一体化したんです。
—— 『HEAVEN』の中にありますか?
今の話は『HEAVEN』の後のことで、『HEAVEN』の時代は写植の見本帳に載っている書体を使っていましたが、見本帳に載らない書体にずっと関心があったようです。
山崎春美さんの『天國のをりものが』(河出書房新社)も羽良多さんのデザインですが、表紙上部に使われている模様みたいなバーコードもデジタルフォントだし、ここのHEAVENの文字は昔のカッサンドルがデザインした書体「Bifur」をデジタルで復刻したもの。日本語タイトルも書体が混ざってて、たとえば「天國の」と「をりもの」の「の」が違う。混植がさりげなく美しい。
—— 羽良多さんの装幀でいちばん好きなのは?
やっぱり『HEAVEN』が最初だから『HEAVEN』になっちゃうのかな。
—— 羽良多さんは稲垣足穂がお好きで、書籍もいろいろ装幀されていますよね?
最近では『ユリイカ増刊号 稲垣足穂特集』(2006年9月臨時増刊号/青土社)、『足穂拾遺物語』(2008年/青土社)をやっていますね。『ユリイカ』ではワタシは松岡さんにインタビューをしました。『遊』の第1期に入っている「タルホニウム放射圏」という松岡さんと足穂の会話の連載があって、それは単行本になっていないんですよ。「単行本にならないんですか?」と聞いたら、「そうだったねえ、あれはテープがどっかにいっちゃったんだよねえ」って。あれ、いいと思うんですけど。
—— テープが工作舎に残っているかどうか。引っ越しを重ねていますから。
組本「ち組」「は組」「へ組」も、『遊』を知った初期に買いました。中にピンク色とオレンジ色で、羽良多さんがグラフィックをつくっている号があるんです(ち組)。不思議なページでかっこいい。ちょうど蛍光ピンクと特色イエローを重ねれば独特なオレンジになる。それにちょっと金色が入るデザインが多かった。今はホログラムにはまっているみたいですね。
『遊 組本ち組』と同書より羽良多平吉デザイン「永遠癖 URANISM」
—— 羽良多さんはつねに進化しているんですね。
羽良多さん経由で杉浦さんも追っています。だから最初の本(『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』)の表紙も23.5度に文字を傾けてみて、とりあえず杉浦さんのマネをしてみました(笑)。地軸の傾きですね。
■ 松岡×十川対談で明かされた『遊』デザインの秘密
—— 『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』を見ると年表がぎっしり掲載されていますが、これは松岡さんの『情報の歴史』(NTT出版)の影響があるのでは?
影響はありますよ。奥付のいちばん最後に影響を受けた本をリストにして載せたんですが、そこに『追悼号』と『情報の歴史』の名前も出してます。
2001年に出た30周年記念出版の『オデッセイ1971-2001』の松岡正剛・十川治江対談で、松岡さんがパソコン・サブカル・歴史は工作舎に足りないというような発言をしています。「エヴァンゲリオン」が流行ったときも出版企画は出たけれど、スピードが足りなくてできなかったという返事を受けて、さらに松岡さんが、工作舎は個別の歴史をテーマにすることは得意だけれど、もっと全体的な歴史の企画を最近出していないよね、と。
その「パソコン・サブカル・歴史」だけが入ったのがこの本。『情報の歴史』ですら載っていないものを扱っています。ああいうふうな同時代の他分野も同時に俯瞰できる年表にできたらいいなと思うんですけど、一人では無理だ。
『オデッセイ』の対談には面白い話がたくさん出てきますね。『遊』のデザインで象徴的に使われる子持ち罫(太罫と細罫のセット)の話が出ていて、あれは杉浦さんではなく、松岡正剛のセンスだったと書いてある。そういうところは面白かったですね。いろいろな人が工作舎のデザインとしてマネをした、あの罫線は杉浦さんじゃなかったんだという驚き。
—— 第1期では杉浦さんは表紙のデザインと巻頭のオブジェコレクションの大筋のディレクションをされ、中はスタッフが担当したそうです。
それは松岡さんの実家が京都の呉服屋さんで、昔から日本の伝統が身近な存在だったから、そういうセンスが表われたのかもしれないというような話も載っていましたね。ああ、なるほどなあと思いました。こんな罫線が出てくるデザインって日本にしかないと思います。海外でこういう過剰な線をデザインで扱うと、単なる表組に見えるらしいですよ。だから罫線は日本にしか突出して出てこない要素です。
—— 『遊』はもちろん、工作舎のデザインは罫線をかなり活かしていますね。『遊』が休刊になって松岡さんが工作舎を出てから、書籍路線を歩んできましたが、デザインからみて『遊』との連続性は見えますか?
工作舎の本に頻出する秀英体が象徴的だと思います。これを杉浦さんがまず使って、工作舎周辺のデザイナーも頻繁に使うようになってきて、1981年に写植で使えるようになってからいろいろな人が使うようになった。それは杉浦さんが写研に気軽に使えるようにしてくれよ、と頼んだからだと言われていますね。やっとここ5年くらいにモリサワからデジタルフォントで秀英書体が出しましたが、その前はDTPで秀英書体を使うこと自体が珍しかった。工作舎は秀英体の仮名文字だけ独自にデジタル化して使っていたそうですね。
—— 杉浦さんの影響は強いでしょうね。
杉浦さんの使う書体はシンプルです。ルール、デザインフォーマットをがっちりつくっているから、フォロワーはどうしても杉浦さんっぽくなってしまう。このルールを叩き込んだ上で自分なりに別のことをやろうとしたのが、羽良多さんであるし、戸田さんであるし、鈴木一誌さん、祖父江さんもそうだし、松田さんもそう。そういう印象はあります。工作舎はいまだ杉浦さんの影響下にあると思います。
■ 2014年秋の新刊 杉浦康平の本・松岡正剛の本
—— 言い換えれば、杉浦デザイン、遊デザインを継承しているとも言えるのでは。先日、デザインで賞をいただきました(*2)。杉浦さんの著書「デザインの言葉」シリーズ第3弾『文字の霊力』は遅れているのですが、ようやく秋刊行の予定となり、松岡さんとの対談も収録されます。さらに10月に工作舎から松岡さんの本を久々に出す予定です。日本に関する著書からのアンソロジーになります。
それは楽しみ。『遊』の最後のほうで『ジャパネスク』(臨時増刊号)や特集「日本する」(1036号)がありましたね。70年代のディスカバー・ジャパンというキャンペーンでは日本を旅しようというものでしたが、1980年代初頭に松岡さんがやっていた、日本文化とか、日本的な美や感性を掘り下げていくことが、結果的に今、一般に広がっているんだと思います。
—— クールジャパンなんてそうですよね。
当時のスタッフは海外に眼が向いていて日本文化を本当にわかっていなかったから慌てて勉強させたという話も、『オデッセイ』に書いてあります。編集という視点から松岡さんを知る人と、日本的なものを松岡さんを通して見直す人もいると思います。
■ タイガー立石と横尾忠則
—— 『遊』以後の工作舎の本はどうですか?
工作舎の本の中で読んでいるのは音楽ものと、そしてタイガー立石さん。
—— タイガーさんの本は『虎の巻』と『TRA』を出しましたが、『虎の巻』は品切。両方とも漫画です。
タイガーさんを知ったのは漫画じゃなくてポスターでした。『TRA』の表紙にあるような旭表現というか、放射線状の朝日がありますね。横尾忠則さんも放射線を使うんですけど、いったいどっちが早いんだろうという興味があったんです。
—— それはとてもマニアックですね。
知り合いに聞いたのですが、生前タイガーさんが講演会で「僕のほうが早い」と言っていたそうです。横尾さんの赤青旭のイメージが強いですから、本当にタイガーさんが先だったらすごい。自分では検証できないけれど。
—— 検証しようと思えば作品の年代によってできるんじゃないですか?
タイガーさんはいくつか図録(*3)はあるものの、全集が出てないですからね。作品が膨大でどれがいちばん最初かわからない。横尾さんの旭は『日本民話グラフィック』(1964年/美術出版社)が最初かなと思うんですけど。
タイガーさんにはそういう興味から入って、デジタルコミックのカクカクな感じも好きです。デジタルコミックのドット表現はそうとう早いのではないですか。それをわざわざ紙でやっている。不思議な人ですよね。全貌がみえない。だって『TRA』はコミックをまとめただけなのに、こんなに厚い本になってしまう。他の作品ならどうなるんだろう。
—— 工作舎からは近日「コマ割マンガ」という絵画シリーズの作品集『MOONTRAX』を刊行する予定です。
—— ところで、ばるぼらさんに書いていただいた『メディア・アート創世記』の書評が評判いいですよ。
『アイデア』344号(誠文堂新光社)の書評欄ですね。著者の坂根厳夫さんはメディア・アートをずっと紹介してきたけれど、一歩引いた感じで自分の体験も含めて書いているのが興味深い本だと思いました。カタい本もいいけれど、これはこれで別の歴史的な面もわかって体験的で、入門書としていいかもしれない。
—— 入門書として読んで、ここからメディア・アートを知ってもらいたいですね。
80年代くらいのビデオアートまでだと面白くなかったかもしれない。アルスエレクトロニカなどにも触れているからいいですね。今の人にも「これは知っている」となるんじゃないですか。実際に作品を観に行くとき、作品をここから探していけばいいだろうし。そういう場にうってつけの本だなあと思います。
■ 今も感じる松岡編集術の影響
—— 他に気になった本はありますか?
『にほんのかたちをよむ事典』。こんな視点があるとは驚きました。形のわからないものも載っています。形と言っているのに、水とか風呂敷とか。あっこんな本が出たんだとびっくりして、ページをめくってまたびっくりしました。
—— 切り口が斬新ですよね。さらに凝ったことに、ページの下に川柳が配置されていて、ページごとに全部違うんです。なんでそこまでやるんだろうと思ってしまうほど凝った本です。
面白いですよね。この本で賞をとったんですか?
—— はい、造本装幀コンクールの日本図書館協会賞をとりました。東京国際ブックフェアで展示もされました。編集担当は編集長の米澤敬ですが、10年がかりでつくりました。
—— ばるぼらさんにとって残したい本とはどういうものでしょうか? 羽良多さんのファンですから、デザイン性が優れたものですか?
デザインが三次元的に残しておかないと伝わらないものはデザインで残さないと。一方でペーパーバックのような本は電子書籍にしても変わらない。孔をあけた『人間人形時代』を電子書籍にしてしまったら何の意味もない。
—— 『人間人形時代』は目次にいたるまでの冒頭の展開もつくりこまれています。工作舎は目次はゆったり組むんですよ。ふつうだと見開きくらいなのを、6ページはとるように言われます。
非常に贅沢ですね。いちばん最初に読むときはそれがいいんですが、2回目以降は読みたいところだけ読むので、そうなるとね、あまり意味がないんですよ。工作舎が目次にこだわるというのは松岡さんの影響があるんじゃないですか。松岡さんは目次を読みこむと言っていましたね。本を読むときはまず目次をじっと読むと。
—— 今の工作舎の本で松岡さんの編集術をうかがわせるものはありますか?
『オデッセイ』の引用方法などに松岡編集術を感じました。この本のように1ページに文章を2つか3つ引用するときは、2つは内容が似ているものを、1つは少し離れているものを、というルールがあったと思います。全部同じ話は載せないところに感じますね。工作舎らしいです。
—— では、せっかくなので『オデッセイ』を編集した米澤編集長に直接聞いてみましょうか。(#005に続く >>>)
『全宇宙誌』を手に取る ばるぼらさん |
ばるぼら |
*註1 「ねえ、口で伝えられる物語のように移ろい行き…」:「「ねえ、口で伝えられる物語のように移ろい行き、溶けて幻に似た無に近づく物質の将来について語ろうじゃありませんか」。『遊 野尻抱影+稲垣足穂追悼号』では松岡正剛へのインタビュー記事タイトル。
*註2 賞:2014年、日本タイポグラフィ協会 第13回佐藤敬之輔賞 企業・団体部門を受賞。受賞理由は、『遊』でのこだわった文字組み、デザインスタイルを、堅持し発展させ続ける功績に対して。詳しくはこちら。
*註3 タイガー立石展の図録: 主なものにO美術館「メタモルフォーゼ・タイガー…立石大河亞と迷宮を歩く」1999年、田川市美術館「立石大河亞展THE ENDRESS TIGER」1999年など。