原発危機の今こそ高木仁三郎さんを読む
在りし日の高木仁三郎さん(「高木仁三郎の部屋」より)
2011年3月11日、東日本を大地震、大津波、福島第一原発事故と、未曾有の災害が襲いました。被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
原発事故は、現場の懸命な復旧作業にもかかわらず、収まるどころか、不安は日増しに高まっています。このような時こそ、風評に惑わされることなく、専門家による科学的な情報が切望されます。
『鳥たちの舞うとき』を遺著として残され、2000年に他界された高木仁三郎さんは、脱原子力社会の実現のために尽力された市民科学者でした。3/19に放映されたTBS「報道特集」では、キャスターの金平茂紀さんが高木さんの写真を掲げながら『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書/品切)を紹介しました。
この『原発事故はなぜくりかえすのか』のように、高木さんは原子力発電とプルトニウムの危険を警告した本を多数執筆されました。
原発事故はなぜくりかえすのか 岩波新書 2000年12月(品切)→増刷原子力神話からの解放 カッパブックス 2000年8月(品切)
→講談社+アルファ文庫から復刊
市民科学者として生きる 岩波新書 1999年9月(品切)→増刷
市民の科学をめざして 朝日選書 1999年1月(品切)
いま自然をどうみるか 白水社 1998年
もんじゅ事故の行きつく先は? 岩波ブックレット 1996年
プルトニウムの未来—2041年からのメッセージ 岩波新書 1994年(品切)
原発をよむ (情報源をよむ) アテネ書房 1993年
食卓にあがった死の灰 講談社現代新書 1990年(品切)
→七つ森書館から『食卓にあがった放射能』として復刊
プルトニウムの恐怖 岩波新書 1981年(品切)→増刷
今こそ読みたい本なのに品切が多いのが残念ですが、『高木仁三郎著作集』(七つ森書館刊行)には、代表作『市民科学者として生きる』や『プルトーンの火』などが収録されています。
*『原発事故はなぜくりかえすのか』『市民科学者として生きる』(ともに岩波新書)は増刷出来、七つ森書館から『食卓にあがった死の灰』と『チェルノブイリ』をタイトルに手を加え出版準備中とのことです。
なお、小社の『鳥たちの舞うとき』は、脱原子力と並ぶ高木さんのテーマ脱ダムをめぐる小説です。モデル地は「八ッ場ダム」。高木さんの生き様が重なり、刊行10年後の2010年12月、福知山で市民劇として舞台化され感動を呼びました >>>。
高木さんについては、メッセージ、年譜、主要著作などを網羅した
「高木仁三郎の部屋」をどうぞご覧ください。
また、高木さんが設立に参画し代表を務めたNPO「原子力資料情報室」では、今回の事故についても活発に情報を発信しています。
高木さんの遺志によって設立されたNPO「高木仁三郎市民科学基金(高木基金)」では、事務局長の高木久仁子さんがメルマガにて、高木さんの最後のメッセージを伝えています。
高木仁三郎は、「友へ」と題した最後のメッセージに
『原子力時代の末期症状による大事故の危険と、結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません』
と書き残してこの世を去りました。いまこそ高木基金の存在価値が問われています。
*付記:
折しも、2011.3.30 朝日新聞 天声人語が高木さんについて触れています。
多くの学者が国策になびく中、脱原発を貫いた高木仁三郎氏がご健在ならばと思う。11年前、亡くなる年の講演で「私はそもそも、原子力は電力として使うには無理なエネルギーだと感じていました」と語った。…科学とは、市民の不安を共有し、その元を取り除き、人々の心の希望の火を灯すものであるべきだ、と氏は力説した。
*2011.5.24 追記:
高木仁三郎さんを再評価する記事が相次ぎます。
2011.5.7 共同通信で「「想定外」、16年前に警告 福島第1で故高木さん論文」と題する記事が配信され、反響を呼んでいます。
福島第1原発事故を受け、2000年に死去した「原子力資料情報室」元代表の高木仁三郎さんが阪神大震災後に発表した論文がネット上で話題となっている。政府や電力会社の決まり文句となっている「想定外」という姿勢に当時から警鐘を鳴らし、福島第1原発の危険性を指摘する“予言”のような内容。関係者は「今こそ読まれるべきだ」と話している。全文は47NEWSサイトへ
その論文とは、日本物理学会誌の1995年10月号に掲載された「核施設と非常事態—地震対策の検証を中心に」。論文はCiNiiにて検索すると、プレビューでpdfがご覧になれます。
2011.5.24発売 「朝日ジャーナル 原発と人間」にも、「故・高木仁三郎氏が25年前に予言していた原発の暴走」と題して、1986.5.16号に掲載された高木さんのチェルノブイリ記事が再録されています。
…今度(チェルノブイリ事故)のように、炉心溶融—水素爆発という事態に発展すれば、日本の原発のどの格納容器も破壊されてしまう。つまり、どんな原発も本格的なメルトダウンに対して守られようもない。メルトダウンを仮定すれば原発の安全審査など、ひとつも通らないのである。…
朝日ジャーナルサイトへ
2011.5.20 ブログ「里山のフクロウ」にて、
「市民科学者・故高木仁三郎さんの遺言」として、『鳥たちの舞うとき』の主人公・草野浩平すなわち、高木さんの反原発論旨を明快にまとめてくださいました。
1.ひとつの原発の建設は、その他の選択肢をすべて圧殺してしまう。
(1)漁民の漁業権や、他の手段によって生活する可能性をつぶしてしまう。
(2)巨大資本によって地域経済が支配される。
(3)電力産業が基幹となり、全エネルギーが電力に支配される、巨大権力集中型のエネルギー社会システムを生み出す。
2.人間と自然の関係も一方的になり、人間がなんの権利もないのに、動物や植物に対して絶大な危害をおよぼしていく。
(1)人間の設けた「許容量」は、「海に棲む魚たちや森に棲む鳥たちの了解をとったものではない」。
(2)原発のような巨大システムは、「人権だけでなく他の生物の生きる権利を圧殺する度合いが極限的である」。
最後に、……「人間と他の生物が共生すべき21世紀にむかっては、そういう人間の側の一方的な押しつけになる技術を減らしていくのが、われわれのなすべきことではないか、人間は自分の開発した巨大技術で自然界を支配する権利など、宇宙と自然界全体の名においてないのではないか」。
小説『鳥たちの舞うとき』の全編にわたり、通奏低音のように奏でられているのが、この「人間と他の生物との共生」という思想です。テーマや舞台が、原発であれダムであれ、そのことが変わることはありません。全文は「里山のフクロウ」へ。
『鳥たちの舞うとき』の視点と共通するであろう『いま自然をどうみるか』(白水社)が、2011.5.22 毎日新聞「今週の本棚」で、中村桂子氏に書評されています。「今多くの人が原子力を自分の問題とし始めていると思うのだが、一時の感情に動かされず、自然との向き合い方という基本から考える本書の姿勢は重要である」と。全文は毎日新聞サイトへ
毎日新聞では5.17夕刊「読書日和」にも『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)を、「<原子力最後の日>を願いつつ、科学技術と人間のあり方を問いかけてきた市民科学者の遺言に、いまこそ耳を傾けたい」と、紹介しています。全文は毎日新聞サイトへ
没後10年にもかかわらず、原発問題での高木さんの影響力がいかに大きいことか。推進派の加納時男氏さえも「反原発を訴える学者では、2000年に亡くなった高木仁三郎さん以外、尊敬できる人に会ったことがない」(2011.5.20 朝日新聞 耕論:原子力村より)と、論敵が一目置く存在だったことからもうかがわれます。
*2011.7.5 追記:
7/3のテレビ朝日番組「サンデー・フロントライン」にて高木さんの生涯が紹介され、注目度がさらに増しました。タイトルは、「発掘人物秘話 伝説の扉:高木仁三郎 市民科学者が貫いたもの」。高木さんは宮沢賢治の下記の言葉に触発されて、市民科学者になったと報じてました。
「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」
7/4発売のAERA 7.11号では、「高木仁三郎と宮沢賢治」の記事が掲載。『宮澤賢治をめぐる冒険』(社会思想社刊/品切)という著書もある高木さんと賢治の生涯を重ねています。
*2011.8.9 追記:
上野千鶴子さん 震災復興支援公開講演「生き延びるための思想」で、高木さんの言葉を引用されています。
「高木仁三郎さんが62歳の若さで亡くなられた時、次のメッセージを残されました。『残念ながら原子力の最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、もう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を覆う危険でしょう。原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」。高木さんは預言者の苦悩を味わっておられたと思います。見えている、知っているのに、手をつかねて見守るしかない。高木さんと違って私どもは、これだけ高くつく授業料を払っても、経験から学ぼうとしない。この現実の世界に対する無力さと非力さが、私の胸を噛みます。」(2011.8.5 週刊読書人より)
*2011.8.30 追記:
8/17毎日新聞「特集ワイド この夏に会いたい」に高木さん記事。その冒頭より
古びたテープレコーダーとカセットテープ十数個が2階書斎に残されていた。千葉県鴨川市の田園にある高木さんの自宅。出迎えてくれた妻の久仁子さんは晩年がんの闘病生活を送りながら原稿を書く高木さんの姿を語った。「仁さんはモーツァルトの音楽をかけながら、そのイスに座って、テープレコーダーに原稿を吹き込んでいました」
テープレコーダーに吹き込んだ原稿とは、モーツァルトの交響曲に包まれてクライマックスを迎える『鳥たちの舞うとき』のこと。その壮絶な原稿口述については「編集秘話」をぜひお読みください。
*2011.10.18 追記:
10/8更新の松岡正剛氏「千夜千冊」1433夜は、高木仁三郎さん『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)でした。その冒頭の文章には、「高木さんには最後の最後に口述した『鳥たちの舞うとき』(工作舎)という唯一のフィクションがある。十川治江が編集した。(中略)もう、時間はない。すべてを察知して最後の仕事に向かおうとしていた高木さんは、自身で酸素チューブをはずし、本書のゲラと『鳥たちの舞うとき』のゲラを遺して死んでいった。今日はその高木さんの祥月命日なのである。追悼したい。」全文は千夜千冊サイトへ>>>
10/3 福島みずほさんが高木久仁子さんと対談されました。
それがYouTubeに「福島みずほ対談35 高木久仁子さん「高木仁三郎を語る。」アップロードされています。
https://www.youtube.com/watch?v=PcBjsXq0hSM
また自身のブログ10/11更新分に「高木久仁子対談録「高木仁三郎を語る」概要」としてテキスト化されています。
https://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-1931.html
反原発運動へのいやがらせの生々しさや、高木仁三郎さんが生きていたら福島第一原発の事故にどう対応したかという問い対する久仁子さんの答えが印象的でした。
「私が一番思うのは、被災者の方たちとおろおろしていたと思うんです。それ以上に、専門家だからできるとかいうことは少ないわけですよね。こうやってこれから健康被害やいろんな被害が目に見えているわけですが、そういう被害を少しでも広げないというか、努力しても、マスとしての健康が損なわれるというのは断言できると思うんですね。そういう時代に私たちは生きているので、これからどうやって明日の希望を生み出していくか、それは一人一人では大変なので、みなで力を合わせていくしかないかなと思いますね」。久仁子さんは最初は絶句し、対談終盤になってやっと語った言葉です。
*2011.11.4 追記:
11/4 19:30〜NHK総合「特報首都圏」で高木学校が特集されます。
特報首都圏「“科学不信” 動き出した市民たち」
放射能汚染への不安を抱えた市民の駆け込み寺になっている民間の研究者集団「高木学校」。“科学不信”を乗り越えようと動き出した市民を追う。ゲスト内橋克人氏(評論家)
https://www.nhk.or.jp/tokuho/
NHKサイトより
「放射能汚染への不安が広がるなか、市民の駆け込み寺になっている民間の研究者集団がある。東京・新宿の小さな事務所で活動する、ボランティアのグループ「高木学校」だ。在野の科学者・高木仁三郎が、政府や産業界から独立した研究者を養成しようと設立。行政やその意を受けた専門家の説明では安心できない、という市民が頼って来る。背景にある科学への不信を見つめ、私たちが信頼できる情報を得るには、何が必要なのかを考える。」
放送日時:NHK総合 2011年11月4日(金)19時30分より(28分間)
再放送:11月7日(月)午後3時15分より関西以外で再放送
*2012.6.12 追記:
2012.6.1 朝日新聞朝刊 連載「プロメテウスの罠」
反原発の科学者、高木仁三郎がとりわけ危険視していたのが、原発の老朽化の問題だ。
「2010年にかけて運転開始から30年を超える原発が2基、5基、10基というふうに増えてきます」
「それまでに原発を止めないと、40年くらいの寿命をもった原発がますます増えてしまいます」
「そういう時代に大きな原発事故が起こる可能性を、私は本当に心配しています」
これは高木が死去する直前に書いた「原子力神話からの解放」の一節だ。がんと闘いながらの警告だった。…
高木さんの死は2000年。今まさに高木さんの予言が的中したことを明確に伝えた記事でした。
*2012.7.24 追記:
2012.7.20 毎日新聞 見つめなおす夏「仁さんの願い 受け継ぎ」
反原発運動のうねりが高まる中、広島から反原発を発信する木原省治さんをとりあげています。その運動の支えとなったのが高木仁三郎さん。40年前からの交流でした。
昨年3月の福島原発事故。高木さんが地震や津波で炉心溶融に至る可能性を指摘していたことを思い出した。無力感に襲われている時、海外メディアの取材が殺到した。どの社からも受けた質問があった。
「ヒロシマからフクシマにどんなメッセージを送りますか」
母や多くの被爆者の顔が浮かんだ。放射能への不安を、また新たに背負う人たちが生まれてしまった。「心の痛みを共有し、連携したい」と答えながら、高木さんが語っていた「広島の役割」を改めて思った。
今年、高木さんの享年を越えた。これほどの事故が起きても、また原発が稼働する。仁さんがいたら、この国を憂えるだろうか。いや、いつも希望を語った人だから、こう言うに違いなお。「省ちゃん、一緒に進もう」
毎日新聞webサイト
*2012.10.2 追記:
2012.9.25 朝日新聞<ニッポン人脈記>石をうがつ
朝日新聞夕刊のロング連載<ニッポン人脈記>。「石をうがつ」シリーズは反原発運動にたずさわる人々、最終回に高木仁三郎さんをとりあげています。
原発が出す放射性廃棄物は、何万年にもわたる管理が必要だ。そんなものの責任を取れる人間は存在しない。それを認識することが真の知性であり、理性ではないかと高木は訴え続けた。著著にこう書いている。「反原発というのは何かに反対したいという要求でなく、よりよく生きたいという意欲と希望の表現である」
そして高木さんの言葉を妻、久仁子さんが振り返って、コラムが締めくくられます。
「しかたない」や「あきらめ」からは何も生まれてこない。あきらめずにやってみなきゃ。人々の心の中に希望の種をまき、一緒に助け合いながら育てていこう——。
「未来は一人ひとりの選択と行動にかかっています」
朝日新聞webサイト
*原発をめぐっては、2007年の特集「ガイアの時代——ラヴロック博士のガイア理論と、エコロジストたちのガイア」には、星川淳さんの反原発意見を掲載しています。あわせてお読みいただけると幸いです。
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