◉ フリードリヒ《海辺の僧侶》とロスコ・チャペル
ロスコはチャペルの完成を待つことなく、1970年2月25日、ニューヨークのアトリエで自殺を遂げた。ロスコ・チャペルに、この美術家の遺体が埋葬されているわけではない。しかし、ロスコは晩年、渾身の力を込めてそれにとりくみ、献堂直前に亡くなっている。そのため、このチャペルは、その名前が冠されているこの美術家を記念するモニュメントで、遺体のない墓廟になった。
ロスコ・チャペルの絵画はくりかえし、フリードリヒの《海辺の僧侶》(ベルリン、アルテ・ナツィオナールガレリー 1809)と比較されている。例えば批評家ロバート・ヒューズは次のように述べている。
「感情を揺さぶられることなく、ロスコ・チャペルに入ることは難しい。というのも、その[…]大きな曖昧な絵は、ロスコの死によって墓碑としての尊厳を得たからである。これらの絵画は主題もかたちもなく[…]、ほとんど互いの内的つながりも[…]ないが、驚くばかりの自己排斥を表している。世界全体がそれらから流れだし、空虚のみが残った。[…]
実際、ロスコ・チャペルはロマン主義の最後の沈黙である。カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵画の中で海を眺めている虚構の観者が自然に立ち向かっているように見えるのと同様に、観者がこれらの絵に立ち向かうよう目論まれている。強烈な悲観的内向性の中で、芸術が世界に置きかわるよう意図されている」。
オーセンティックな宗教経験を疑惑に満ちた近代世界に喚起するという、ロマン主義のジレンマの遅れた余韻として、ロスコ・チャペルとその絵画は、世俗的な現代に宗教性を求めている。
自分の大型絵画が観者を巻きこみ、自分がその中に吸収されるというロスコの主張に関係づけて、フリードリヒの絵画の海辺の僧侶が現実の空間を離れて、絵の中にはいっていったように見えたのだろう。この想像は、死のメタファとして、自分の作品の中に消えながらもそこで生き続ける中国の伝説の画家を想起させる。ロスコも、この最後の傑作の中にはいって生き続けているのである。
フリードリヒ《海辺の僧侶》
1809 ベルリン、アルテ・ナツィオナールガレリー
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