■複雑系からネットワーク理論へ
『複雑な世界、単純な法則』(*1)『スモールワールド・ネットワーク』(*2)といえば、どこの書店でも平積み中の話題作。2冊の共通点は「ネットワーク理論」(*3)、今注目の科学理論である。
このネットワーク理論を、「複雑系」棚で展開しているのがジュンク堂書店新宿店だ。2棚にわたって、形態学からアフォーダンス(*4)へ連なる流れが一望できる。この見ごたえある棚を作った土井さんにお話をうかがった。
「複雑系はこのところ新刊が出ないので、ブームが去ったと思う人も多いでしょう」。ミッチェル・ワールドロップの『複雑系』(*5)の大ヒットを契機に、複雑系は1990年代の重要なキーワードになった。土井さんも「複雑系、カオス、アフォーダンスなど『現代思想』の特集や新書を拾い読みしましたが、書いてはる人はそれぞれの分野でしか語らないんで」と、年代ごとに流れを追う棚を作っていった。
「『新ネットワーク思考』(*6)が出たときに気になって調べたら、今まで数学棚に置いていたネットワーク理論が複雑系でもいけると確信できました。ただ、まだお客さまには早いかなと思っていたら、次々と一般向けの新刊が出てきましたね」。それが前述の2冊だ。ヒットの予感は当たった。
「書店員には毎日棚を整理して覚える人、欠本補充して覚える人、お客さまと話して覚える人などいろいろなタイプがいますが、僕は中身をちょっとだけかじって覚えたい、日々知識を更新したいんですね。昨日と同じ自分を維持するだけじゃつまらないですから」
■阪神大震災直後に本を探すお客さま
土井さんの書店人としてのスタートは、出身地、神戸にあったサンパル店(*7)。日本史専攻ながら理工書担当を任された。
「売れた本を補充するのは『棚戻し』。何もない真っ白な状態の棚に、一冊一冊本の並べ方を考えて入れることができて、はじめて棚の担当と言えると痛感しました。早く力をつけたい一心でしたね」
2度棚替えを経験して、なんとか自信がついてきたころだった、阪神大震災が襲ったのは。
「震災の翌日、自宅から車で三宮まで出たんですが、行けば行くほど、グチャグチャで平衡感覚を失うんですね。垂直なはずの電柱も、水平のはずの道路も全部斜めになってしまって…」
三宮駅前のサンパル店が再開できたのは2週間後のこと。しかも、棚から落ちた本がまだ床に散らばっているような状態だったという。
「スタッフはマスクして手袋して着の身着のままの格好で棚入れしているんですが、その横でお客さまも同じような格好して、本を探しているんですよ。こんな極限状態でも買いに来るんや、本はここまで真摯に求められている、本屋ってええなあ、と感動しました」
■千坪超の大型書店で棚づくりに遊ぶ
それまで兵庫県下でチェーン展開していたジュンク堂は、この震災を契機に、千坪級の超大型店舗で全国へ乗り出す。その出店ラッシュの渦中に土井さんもいた。まずは900坪の大阪・難波店へ。今でこそジュンク堂といえば高い書棚で知られるが、その第1号が難波店だった。
「これだけの棚を埋めようと思ったら、もう一回勉強せにゃあかんと身が引き締まりました。一方で、300坪程度のサンパル店ではスペースの制約でできなかったことも、ここなら何でもできるという期待も大きかったです」
「子どもがおもちゃをもらったようなもの」と喜んで棚を作った。その後、1400坪の大阪本店、1600坪の福岡店へと移り、おもちゃのレベルは最高に。そして2004年10月、1100坪の新宿店へ。開店準備のスタッフから引き継いだ棚を、徐々に土井さん色に染めている。まず手始めに複雑系、建築、土木を手掛けたばかり。本領発揮はこれからだ。
■絵巻のように棚で時間の流れを見せる
「話題の新刊をタイムリーに売っていくだけだったら他所さんと同じ。僕の場合、つねに次の展開を考えながら棚を作ります」。棚を白いキャンバスとしたら、絵巻のように時間の流れを追ったストーリーのある絵を描きたい。そこには史学出身の土井さんの身についた歴史的観点が生かされている。
「重要なのは本を分類することではなく、自分の中でどう解釈し、どうストーリーを語っていくかです。数学が美しいのは、解く人の世界観を表現しているから。同じように美しいと思える棚は、見せ方が美しいのではなく、書店員が把握した世界観が美しいからだと思います」
棚づくりは、数学の解のように何通りもある。その中でベターな解を求めて、試行錯誤をくり返す毎日だ。その苦労を微塵も感じさせず、「棚づくりは楽しい」と語る。「本人が楽しんで作った棚じゃなければ、お客さまにも伝わらない」が信条だ。これだけ多くの書店が競合する中で選ぶのはお客さま。この店では本格的に本を探すお客さまの要望に応えたい。
「こちらからお客さまに要求することはありません。こんな本屋があるんだから、いい新刊を作らなくてはと出版社が思ってくれ、そうした本を書店が真剣に売る。そうすれば受け取る読者はより真摯に本に接してくれるようになるんです」。そうでなければ出版業界は成立しない。
本屋が本屋らしく、出版社が出版社らしく、読者が読者らしくあること——。本離れの解決策のひとつがここにあるのかもしれない。
註:
*1 『複雑な世界、単純な法則』…サブタイトル:ネットワーク科学の最前線/マーク・ブキャナン著/草思社/2005.2月刊行。
著者はサイエンスライター。ダンカン・ワッツとスティーヴン・ストロガッツが築いた「スモールワールド・ネットワーク」についてわかりやすく解説する。
*2 『スモールワールド・ネットワーク』…サブタイトル:世界を知るための新科学的思考法/ダンカン・ワッツ著/阪急コミュニケーションズ/2004.10月刊行。著者は数学者にしてネットワーク理論の中心的研究者。
*3 ネットワーク理論…もともと数学でグラフ理論という名で存在した。「6人の仲介者がいれば世界中の誰とでもつながれる」という有名な学説「六次の隔たり」を、ワッツとストロガッツがグラフ理論で解き、「スモールワールド・ネットワーク」を発見した。表面的には無秩序で複雑な現象でもネットワークの視点でとらえれば、単純な規則が見えてくる。それは脳細胞、インターネット、経済活動などに存在するという。自己組織化のパターン出現に密接に関係し、複雑系の重要な研究分野となった。
*4 アフォーダンス…知覚心理学者ギブソンが1960年代に提唱し、80年代になってAIなどの認知科学者に注目されるようになった。椅子は座ることを、橋は渡ることをアフォードしている、というように、環境が動物(人間)に提供する情報のこと。複雑系の生態学研究にリンクする。
*5 『複雑系』…サブタイトル:科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち/M.ミッチェル・ワールドロップ著/新潮社/1996.6月刊行/2000.5月文庫化。 複雑系とは、生命の発現や生物の進化、経済や社会の動きなど、複雑な現象を共通の理論的枠組みでとらえようとする科学の潮流。その生みの親というべき「サンタフェ研究所」に集った科学者、経済学者たちのリポート。
*6 『新ネットワーク思考』…サブタイトル:世界のしくみを解く/アルバート・ラズロ・バラバシ著/NHK出版/2002.12月刊行。著者は物理学者にしてネットワーク理論研究者。ワッツ等とは別のネットワークを打ち出す。
*7 サンパル店… 三宮駅近くのサンパルビル3Fにあった。専門書に強いことで定評があったが、2000年、隣のサンシティビルへ移転し、名称を三宮駅前店と改称。
2005.6.8 取材・文 岩下祐子
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