■本の話ができる書店
「白石一文の『一瞬の光』(*1)を知らない? うらやましい、この本をこれから読めるなんて」。うれしそうに勧める顔から、根っからの本好きが伝わってくる。お屋敷街、成城学園駅前にある江崎書店の店長、千葉さんだ。
「いちばんのサービスはお客さまと本の話をすること、これに尽きます。レジに出された本を『ぼくも読みましたよ』って声をかけると、お客さまの顔が輝いて会話がはじまるんです。本の話ができる書店って考えてみれば当たり前のことですよね」
最近クローズアップされているPOP(*2)もこの人の手にかかると、より濃いツールになる。「この本についてお勧めしますので店長千葉をお呼びください、と書いたんですよ。POPだけでは面白さを伝え切れないですからね」
野沢尚の『リミット』(*3)や『クラカトアの大噴火』(*4)など何度か試みたという。本によって反応はさまざま。『リミット』は反応が大きかったが、ちょっとハードな『クラカトアの大噴火』になると、さすがに反応が少ないものの、みな買ってくれたのがうれしい。なにしろ10分も熱弁を奮ったのだから。
しかし最近は千葉さんが店を留守にすることが多くなり中止しているという。なんとも残念な話だ。
■〈客感覚〉で売れ筋をつかむ
今の姿からは想像できないが、学生時代は太宰治にどっぷりはまったバリバリの文学青年だったという。「『人間テン失格マル、私は人間ではなくなりました』と、『人間失格』の一節を暗唱していました。『しょせん人間なんて』と思っているような下降指向で」
そういう千葉青年がアルバイトで働きはじめた本屋には本好きが集まっていた。もちろん文学好きばかりではない。ノンフィクション好き、新書好き、人文好き、児童書好き、いろんな好きがあった。仲間と接するうちに、エンタテインメントの面白さを教えられ、世界が広がっていった。
さらに書店は客商売ゆえ、人間嫌いとも言っていられなくなる。質問に対応してると、「こんなに知識のある本屋さんはいないね」って言われたり、「この本、面白いですよ」と声をかけると反応が返ってくる、そんなお客さまとのコミュニケーションが楽しいと思いはじめた。バイト先にそのまま就職して2〜3年も経つと、本屋が天職と思えるようになっていた。
「毎日何十冊と新刊が入ってくる中で、これはいけるなって思う瞬間があるんですよ。表紙デザイン、タイトル…なぜその本なのかと、コトバでは伝えられないですね。勘としか言いようがない。自分が客の立場でこの本を読みたいと思うかどうか、という感覚でしょうか」
「本好きじゃないと本屋は勤まらない」が持論だ。休みにはひとりの本好きに戻って他の書店に通う、それが〈客感覚〉を維持する秘訣なのだという。隣にどの本が置いてあるか、並べ方次第で本はその表情をがらりと変える。自店では売れると思わずに棚差しにしていた本を、他書店で思わず「欲しい」と思ったことも少なくない。
■自分の趣味と、売れ行き効率のジレンマ
だが、棚はこの店のお客さまのために作るもの。お客さまにもアルバイトにもわかりやすい棚を心掛ける。
「昔は文学潮流ごとに分類したこともありましたが、自分にしかわかりませんでした。クレームが多くて止めざるをえなかったんです。今思えば僕なりの棚編集だったんでしょうけど、その棚を喜んでくれたのは店全体のお客さまの何%だったんだろう。ごく一部のお客さまのための棚を作ることはできなかったですね」
自分の本好きの部分と売れ行き効率の最大公約数をどの時点で結ぶのか。店長になった今、ジレンマはさらに広がる。
だが、葛藤を繰り返し考え抜いた先には、やっぱり本が好きという強い思いだけが残る。本の楽しさを知ってほしい、商売抜きで紹介をしたいし、本の話をしたいという純粋な気持ちだ。
「僕たちは、かぼちゃでもなく豚肉でもなく電球でもなく、本を売っているんです。でも悲しいことに、本が好きじゃない本屋にとって豚肉といっしょ、モノなんです」。本好きにとって本は決してモノにはなり得ない。
「よく商品を床に置くなと言いますよね。僕も絶対に床には置かないですが、商品だからじゃない。本だからですよ」
註:
*1 白石一文…『一瞬の光』(現在、角川文庫)でデビュー。エリートサラリーマンと暗い過去を背負う短大生。社会的立場が正反対のふたりから生まれた日常の中の非日常世界。一見、恋愛小説だが、その根底にある「人は何のために生きるのか」という骨太のテーマに、熱烈なファン多し。
千葉さんの一言:あまたあふれる「お涙ちょうだい」の恋愛小説とは一線を画す作品。主人公が最後にする「選択」に注目。
*2 POP…『白い犬とワルツを』(新潮社文庫)の成功例が有名。この本に感動した千葉のBOOKS昭和堂スタッフによる手書きPOPがお客さまの共感を呼び異例のヒット。版元営業の目にとまりコピーを全国書店に配付したところ、2001年のミリオンセラーに。大きな話題を呼び、書店員の生の声を反映させたPOPの価値が高まった。
*3 野沢尚『リミット』…講談社文庫/523頁/税込み800円。2000年に人気脚本家・野沢尚が手掛けた同名テレビドラマの単行本。ドラマでは連続幼児誘拐事件の当事者になった婦人警官を安田成美が熱演。なお野沢尚は2004年6月自殺した。
千葉さんの一言:一気に読んでしまえるほど面白いが、それだけではなく「臓器売買」や「児童買春」などという問題につい深く考えさせられる作品でもある。野沢尚の死は惜しまれて仕方ない。
*4 『クラカトアの大噴火』…サイモン・ウィンチェスター著/早川書房/466頁/税込み2940円。ジャワ島とスマトラ島の間に位置するクラカトア火山。1883年の大噴火が直接の被害ばかりではなく、植民地支配や科学の発達の転機にもなったことを明かす歴史ノンフィクション。
千葉さんの一言:ぶ厚く長大な本だが、ノンフィクション好きなら絶対に見逃せない。まさかムンクの『叫び』すらこの噴火の影響で描かれたとは…!
2005.1.26 取材・文 岩下祐子
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