第17回
ジョン・マンデヴィル『東方旅行記』
大場正史=訳◉平凡社・1964年・310頁
人間は好奇心のかたまりだ。驚くべきものを求めたがる。とはいえ、自分たちの身近な場所で驚異をみつけることは難しい。それらは未知なる地域へとおいやられる。中世ヨーロッパの人びとにとって、そうした驚異の地こそが「東方」であった。そこにはインドや中央アジア、中国はもとより、アフリカまでもが含められた。ヨーロッパ以外はすべてが東方なのだ。
こうした中世人の夢想は旅行記のなかで具体化された。モンゴル帝国によりユーラシア大陸の交通網が整備されると、マルコ・ポーロ(Marco Polo, 1254-1324)を筆頭に多くの旅行者が東方へと旅立った。ある者は通商のため、ある者は国王や教皇の任を受け、ある者は伝説のキリスト教国「プレスター・ジョンの王国」を探し求めて。彼らは帰国すると旅行記を著した。これが最新の海外情報となる。記述の多くは正確だったものの、自らが立ち寄った場所にかぎられた。未訪の場所は、いまだ驚異で満ちていた。実際の旅行者でさえ、驚異の夢想から逃れられなかった。ジョン・マンデヴィル(John Mandeville)によるいわくつきの書『東方旅行記』は、このような夢想の決定版といえる。
なによりも著者のマンデヴィル卿が怪しい。彼は1322年頃にイギリスを旅立つと、コンスタンティノープルやキプロス、バビロン、イェルサレムを経て、インドや中国へと達し、1356年頃に帰国したとされる。しかし、マンデヴィルという人物が実在したというたしかな記録はない。現在では、『東方旅行記』は当時の旅行記や東方伝をまとめた剽窃本とみなされている。『コロンブスをペテンにかけた男』を著したJ・ミルトンによれば、『東方旅行記』はイェルサレムまでの前半とそれ以降の後半にわけられ、前半は著者が実際に旅をした巡礼の記録であり、同時に一種の旅行ガイドとなっているという。しかし後半の未踏地の記述において、本書の威力が否応なく発揮される。頭が犬の種族、頭のない種族、一つ目の巨人族、大きな一本足の種族など、古代から中世にかけてお馴染みの怪物たちが勢ぞろいする。この荒唐無稽な後半こそが、当時の人びとがそうあってほしいと望んだ「東方」の姿なのだ。コロンブス(Cristoforo Colombo, 1451-1506)ら後世の探検家を冒険へと駆りたてるほど、『東方旅行記』の魅力は絶大だった。
(菊地原洋平)
[目次より]
・イングランドからコンスタンティノープルへ行く道
・コンスタンティノープル市。ギリシャ人の信仰。かわいた空気
・キプロスのいろいろ。キプロスからエルサレムへの道。砂利の多い墓穴の不思議な働き
・五つの王国を支配するスルタン。バビロンの塔
・シチリア島。バビロンからシナイ山へ出る道。聖カタリナ教会。同地のあらゆる奇跡
・エルサレム参り。ゴルゴタの山。十字架と釘。付近の聖地
・ヨブの土地。彼の年齢。カルデアの住民の装い。男のいない、女だけの国。ダイヤモンドの知識と効能
・ジャヴァ島の王宮。あら粉と蜜と酒と毒がなる樹。その付近の島々のふしぎな話や異習
・シナの大汗。豪華な王宮。大汗の食事。彼に仕える多数の役人
・プレスター・ジョンの王国。ふしぎな城を作って、楽園と名づけたある富豪の話
ほか
右より、頭が犬の種族、頭のない種族、頭が二つの種族、
一つ目の巨人族、大きな一本足の種族
[執筆者プロフィール]
菊地原洋平(きくちはら・ようへい): 科学技術史。九州工業大学非常勤。主著に『パラケルススと魔術的ルネサンス』(勁草書房)がある。科学史学会学術奨励賞(2014年)、第1回ミクロコスモス大賞(2010年)。おもに博物学の歴史を研究。
◉占星術、錬金術、魔術が興隆し、近代科学・哲学が胎動したルネサンス・バロック時代。その知のコスモスを紹介する『ルネサンス・バロックのブックガイド(仮)』の刊行に先立ち、一部を連載にて紹介します。