◉ トルヴァルセン美術館
1828年にはトルヴァルセン自身、自分の作品とコレクションを収める個人美術館をコペンハーゲンにもつ希望を述べている。そして、1838年12月5日の最後の遺書で、トルヴァルセンは自分の作品の雛形と複製およびコレクションをコペンハーゲン市に寄贈することを正式に表明した。この寄贈には、トルヴァルセンの作品とコレクションのみを収める独立した美術館を建て、トルヴァルセン美術館と命名するという条件が付き、所蔵品を減らすことも追加することも禁じられている。
この美術館は、建築家ミケール・ゴトリプ・ビネスブル(1800〜56)の設計で、コペンハーゲンの中心スロッツホルメン島のクリスティアンスボー城の隣りに国王が提供した建物を全面改築して用意されることになり、1839年、着工した。それは、古典主義様式を基調とし、広い中庭を囲む四翼からなる建築として完成した。ファサードをはじめ各壁面において、トルヴァルセンのイニシャルAT(トルヴァルセンはイタリアで、アルベルトとも名乗っていた)が建築の基本的要素の中に組みこまれている。
美術館の中庭にはトルヴァルセンの墓所がつくられた。1839年の最終的な設計図にはいまだ墓所がなく、いつ計画されたのかはよくわからない。しかし、トルヴァルセンが1842年、最後のイタリア滞在からコペンハーゲンに戻ったときには、墓の建築がすでに始まっていた。
トルヴァルセンは1844年3月24日、心臓発作のために没した。棺はコペンハーゲンの聖母聖堂に安置され、1848年9月6日、トルヴァルセン美術館中庭の墓所に移された。このとき美術館は9月18日の開館を直前に控えていた。
トルヴァルセンは、自分の作品とコレクションに囲まれて眠っている。そして、墓所を中心として、作品とコレクションを収蔵する美術館全体が美術家モニュメントになっている。
トルヴァルセンのための美術館と墓所も、この美術家の永遠の生命や不滅性の確信に結びついている。例えばトルヴァルセンの伝記を書いたユスト・マティーアス・ティーレ(1795〜1874)は、トルヴァルセンの死後、次のように述べている。
「そこに今、彼の不滅の精神の肖像が保存されるだろう。そのため、そこでは彼が死ぬことはけっしてない。美術家のあいだで、美術のために、彼はそこで永遠の巨匠として生きるだろう」。
上)《トルヴァルセン美術館》 1839-48 コペンハーゲン
下)《トルヴァルセンの墓》 1842頃 コペンハーゲン、トルヴァルセン美術館
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