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ライプニッツ通信II

第19回 追悼 福島清紀先生

第2巻『法学・神学・歴史学』の第2部「神学」のハイライトは、舌鋒の鋭さから「モーの鷲」と呼ばれたカトリックの司教・ボシュエとの往復書簡。ボシュエはルイ14世の宮廷説教師として王権神授説とガリカニスム(フランス・カトリック教会のローマ教皇からの独立)を唱え、絶対君主制の確立に寄与した中心人物でした。

1685年、ユグノー(フランスのカルヴァン派)の信仰の自由を認めたナントの勅令(ルイ14世の祖父・アンリ4世が発布)を廃し、改宗しないユグノーを国外追放とするフォンテーヌブロー勅令発布の背後にも、ボシュエがいました。

収載したのは、ライプニッツがエルンスト・アウグストに仕えていた1692年に交わした往復書簡。フランスからの亡命者が増えつづけ、社会が落ちつかない時期です。ハノーファーの先君ヨハン・フリードリヒも、その前に仕えたマインツ選帝侯シェーンボルンも、フランスの侵略を防ぐためにもカトリックとプロテスタント両教会の再合同への道を探るよう、ライプニッツに命じていました。同年はライプニッツによるヴェルフェン家史調査の成果の後押しで、エルンスト・アウグストがハノーファー選帝侯となった年でもあり、彼は公妃のゾフィーとともに、公国の安寧のためにもカトリック側と友好関係を結びたいと願っていたことでしょう。

紙幅の都合でライプニッツとボシュエ各2信ずつに絞ってはいますが、短信にもかかわらず当時46歳で働き盛りのライプニッツをとりまく豊富な情報が読み取れます。例えば、教会再合同はハノーファーの宮廷だけでなく、エルンスト・アウグストの兄、リューネブルク(ツェレ)侯ゲオルク・ヴィルヘルムの宮廷も関わっており、ツェレ公爵夫人エレオール・ドルブリューズもボシュエの著作『プロテスタント教会変異史』を読んでいることや、ボシュエもゾフィーやツェレ公爵夫人を意識してドイツの神学者モラヌスのラテン語の著作を自ら仏訳し、自分の考察を著した冊子とともに返信するなど、サロンの評価を気にかけていたことがうかがえます。また、ライプニッツは力学概念の精緻化にも尽力していたころで、さりげなくボシュエにアピールしています。

もちろん1年書簡を交わすだけで教会再合同が晴れて成立するわけもなく、翻訳者の福島清紀先生には、収載書簡を交わすにいたるドイツとフランスの緊張にみちた宗教的=世俗的時代背景と、交信後の経緯をコラムとしてまとめていただきました。

日本ライプニッツ協会の秋の大会も盛況のうちに終えて、本格的に第3巻『技術・医学・社会システム』の編集にかかろうとしていた矢先、谷川多佳子先生より福島先生が膵臓がんで11月18日に亡くなられたとのメールが届きました。谷川先生ご自身も奥様からの喪中ハガキで初めて訃報に接して驚き、落胆されているとのこと。

1日遅れで工作舎に届いた福島由美様からのハガキによると……
「十一月十八日に夫清紀が六十七歳にて永眠いたしました。今年六月に病が発見されてから五ヵ月間の闘病生活の末、とうとう力つきました」……

また献花の返信には……
「夫の一番の趣味は料理。家に誰かを呼んでは、シェフ顔負けの料理でもてなすのが何よりの楽しみでした。二番目に好きなことを職業とすると決め、選んだのは、物書きでした。三年前に六十五歳で富山国際大学を退職し、東京に帰って来てからは更に研究に余念がなく、精力的に執筆活動を続けて参りました」……

この4月には、福島先生から「科研費の交付を受けた共同研究の成果のひとつとして拙訳“ボシュエとの往復書簡”も記載したいので刊行時期と総頁数をお知らせいただけますでしょうか」とのメールを頂戴し、返事をさしあげました。Web で調べると該当するのは、「幸福概念の理論的基盤の再構築──その文化的多様性と歴史的重層性の批判的検討を通じて」と題した共同研究プロジェクト。富山国際大学を退官された後もご活躍のようすがうかがえました。

6月9日に訳者紹介のための略歴を依頼するメールをさしあげたところ、翌日文面とともに、「今日からネット環境の整っていない場所へ参りますので、何かご連絡をいただきましてもすぐにはご返事できないと思います」と返信がありました。旅行にでも出られるのかと深くは考えませんでしたが、今から思えば闘病生活のはじまりだったようです。

最後のメールは訳者紹介の校正依頼への返信。
「このままで結構です。刊行を鶴首しております」と結ばれていました。

第2巻を上梓して発送したのは9月30日だったので、ご覧いただけたとは思うのですが、その感想は頂戴できませんでした。日本ライプニッツ協会の秋大会でもお目にかかれず気がかりではありましたが、まさか大会前日に他界されていたとは想像もしませんでした。

福島先生とは第I期『ライプニッツ著作集』の第4・5巻『人間知性新論』の翻訳に尽力いただいた前世紀以来のおつきあい。読者の立場を配慮した明快にして味わいのある日本語を練るための努力を惜しまない方でした。

最近は研究論文や翻訳だけでなく、『高校倫理からの哲学』(全4巻・別巻1 岩波書店 2012)に「宗教戦争と寛容」(第3巻『正義とは』所収)と「神はなぜ悪を許すのか──リスボン地震と弁神論・啓蒙思想」(別巻『災害に向き合う』所収)を書下ろされ、直接次世代の読者に語りかけることも積極的にされていました。

ヴォルテール『寛容論』(斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫 2016)の解説は、不穏な時代を生きざるをえない私たちに平常心をうながす、福島先生ならではの語り口でした。

“今こそヴォルテール 寛容は「多様性への評価」 異端許さぬ時代に価値転換”との大見出しで朝日新聞朝刊を飾り、福島先生へのインタビューも紹介された同書に関する記事のインパクトは記憶に新しいところです(2016年7月10日)。

聖書をはじめあらゆる宗教にも通底するライプニッツの黄金律「他人からしてほしいことしか他人に為すべきではない」(『人間知性新論』第1部第2章4節)は、ヴォルテールの「自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない」とも響き合っており、ブレグジット・ショックやトランプ・ショック、頻発するテロ事件に動揺する私たちにとっても、基本軸とすべき寸言でしょう。

福島先生のバトンを後代につなぐため、第3巻の上梓にむけて、まずは足下の地面を耕すことにします。合掌。

(十川治江)


「モーの鷲」と呼ばれたジャック=ベニーニュ・ボシュエ (1627- 1704)
「モーの鷲」と呼ばれたジャック=ベニーニュ・ボシュエ (1627- 1704)







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