■船員バッジまで揃う、海の専門書店
「海文堂でサイン会を」——。『気まぐれ古書店紀行』の著者、岡崎武志さんのご指名以来、海文堂書店は気になる存在だった。『sumus』(*1)を兵庫県下で唯一置き、同人の南陀楼綾繁さんや林哲夫さんのサイン会も開催しているという。7月下旬、関西に行く好機を得、神戸は元町商店街に店を構える海文堂書店にうかがった。
「やはり海文堂といえば海の本ですので、まずは2階へ」と、人文社会・ビジネス書担当の平野さんがご案内くださる。階段の踊り場には廃船からもらい受けたという舵、大漁旗、そして2階では、船員バッジや客船で販売されているお土産・Tシャツなどが出迎えてくれる。海の専門書店の名に恥じない品揃えだ。JR西日本の旅行パンフにも紹介されているせいか、海グッズ目当ての観光客も少なくないという。さらには海事専門書の数々も。「うちの会社の本です。海文堂出版(*2)といって、海の本の出版から始まりました。海事六法など法律関係や問題集が売れますね」と、2F担当のベテラン後藤正照さん。
通常の流通にはない本も意欲的に置く。東京の船の科学館、横浜の日本郵船歴史博物館など、全国の海洋博物館の図録やグッズを集めたフェアが好調だ。こうした試みも、後藤さんが次々と開発されたというからすごい。
■「石井桃子さんの書斎が紹介されています」
海文堂書店のもうひとつの屋台骨が1Fの児童書だ。「大人の読書に耐える児童書です」と平野さんが太鼓判を押すように、児童書らしからぬ一般書も並ぶ。その中の一冊『センセイの書斎』をよく見ると、「石井桃子さん(*3)の書斎が紹介されています」という栞風POPが挟まれていた。なるほど、ファンなら手をのばすだろう。この一手間をかけた担当の田中智美さんは、「いいお客さまが良書を求めてくださるから、流行に捕われずにやっていけるんでしょうね」
品切のはずの『石井桃子集』も置いてある。「全部は揃わないんですけど、版元の岩波さんに頼んで探してもらっています。お客さまは傷んでいても欲しいという方もいらっしゃるので、なるべく応えたいです」。田中さんの丁寧な棚づくりにしっかりファンがついている。
他にも店内にはオリジナルの仕掛けがたっぷりとある。地元の古書店「ちんき堂」(*4)に間借りさせているかと思えば、シネ・リーブル神戸とタイアップして上映映画の原作本を並べ、ミニシアターならではの異彩を放つ。さらに2Fのフリースペース「Sea
Space」は、さまざまな作品展を開催する一方、7月には林哲夫さんの『文字力100』刊行記念「神戸の古本力トークショー」を行い、50人以上の古本好きが集まったそうだ。「こうした試みはすべて店長がアイデアを出します」と、平野さんが教えてくれた店長こそ、福岡宏泰さん、岡崎さんのサイン会を二つ返事で引き受けてくださった恩人だ。
■毎週の新刊紹介が目にとまり、ビジネス誌で書評も
かくいう平野さんも、人文社会・ビジネスでユニークな試みをしている。「新刊紹介」を毎週、原稿用紙に直筆で書いて貼り出しているのだ。「好きな人文書にネタは尽きませんが、ビジネス書は困るんです」と週刊の苦労を打ち明けてくれた。地元企業優先、次に有名人などお客さまの関心を呼びそうな本を選ぶが、「しゃあないなというときもあります。今週はなんもないけどこれにしておこうというのもあります(笑)」。とはいえ、続けることに意義がある。はじめて3年近くが経ち、この新刊紹介が目に留まってビジネス誌で書評も執筆した。「なにせ111号になりましたんで、見てくれている方に編集者がいらして執筆のお話をいただいたんです。他の書評の方と違って、私はしょせん色モノですから」。お笑いのボケとツッコミふうの軽快な文章は読みやすく、その後も執筆の依頼が続く。
平野さんの文章は、海文堂通信=月刊「Cahier(カイエ)」の連載「本屋の眼」でも精彩を放っている。インディペンデント書店の気概もほんのり漂わせながら、ユーモアたっぷりに本屋の日常を報告中。今年の年末には単行本になる。「もともと本にするつもりで書いたわけではないですが、去年秋に突然、みずのわ出版(*5)の社主が思いついたんです。私ら『はあ?』という感じで」と未だにとまどいは隠せない。
■どこを見ても本があるから、仕事はいつも嬉しい
平野さんが本屋に入ろうと思ったのは、本が好きだったからだ。だが、20代で一度他業界に「転び」、そして戻った。「若気の至りというか。でも好きでもない仕事をしたってね。この仕事がいいことは、どこ見ても本があることですよ。だから、仕事をしているときはいつでも嬉しいんです」。売れたスリップの書名を見ていくと、傾向が発見できる。「何人か目利きのお客さまがいらっしゃるようなんです。顔はわからないですけどね」。
話題の本コーナーでは、売りたい本を贔屓する。「もちろん商売ですから嫌いな本も並べますが、なるべく売りたい本をまん中に。私が店にきた3年前は工作舎さんの本がなかったものですから、売行きベスト10でフェアをさせていただきました」とありがたいお言葉。今のいち押しは『旅する巨人 宮本常一にっぽんの記憶』に鶴見俊輔『日米交換船』。硬派な面々に、平野さんの生真面目な一面がのぞく。
近頃、書店員が雑誌やメディアに登場する機会が増えた。平野さんの本もその中に入るわけだが、「僕のことはともかく、頑張っている書店員のみなさんは、えらい! 『配達あかずきん』(*6)も書店出身の人のミステリー。『暴れん坊本屋さん』(*7)も書店でバイトしているマンガ家の話。他の書店員の本が出ると、みな、よう頑張っているなと、嬉しくて、嬉しくて」。平野さんの言葉からは、本と本屋への純粋な想いが伝わってくる。
こうした個性派スタッフの力がこの店の原動力となり、今日も本好きの常連客でにぎわっている。
註:
*1 sumus…(スムース)本を散歩する雑誌。購読者は筋金入りの本好きが多い。林哲夫、岡崎武志、南陀楼綾繁、山本善行らが参画。https://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/5180/
*2 海文堂出版…『海事六法』や海技試験関連図書を柱に、理工書を出版する。https://www.kaibundo.jp/
*3 石井桃子…日本を代表する児童文学作家。1907年生まれ。「クマのプーさん」、ブルーナの「うさこちゃん」シリーズ、「ピーターラビット」シリーズなど、児童書の名作を多数翻訳し、戦後日本の児童文学を牽引。初の創作童話『ノンちゃん雲にのる』は、戦後すぐのベストセラーとなり、51年第一回文部大臣賞受賞。『石井桃子集』(全7巻/岩波書店)は初の著作集。『ノンちゃん雲にのる』は松岡正剛の千夜千冊にも取り上げられている。
*4 ちんき堂…古本・中古レコードコレクター戸川昌士さんが、神戸元町に開いた古本・中古レコード店。戸川さんは『猟盤日記』シリーズの著者としても知られている。
*5 みずのわ出版…神戸のひとり出版社。佐野眞一『宮本常一のまなざし』、読売新聞西部本社編『旅する巨人 宮本常一にっぽんの記憶』、林哲夫『文字力100』など、良書を刊行する。https://www.mizunowa.com/
社主のブログも面白い。https://d.hatena.ne.jp/mizunowa/
*6 『配達あかずきん』…著者・大崎梢は元書店員。駅ビルの書店を舞台に、しっかり者の書店員・杏子と勘のいいアルバイト多絵のコンビが謎に取り組む、初の本格書店ミステリー。東京創元社刊行。
*7 『暴れん坊本屋さん』…マンガ家兼書店員の久世番子が、書店の本音や裏話を描いた赤裸々エッセイコミック。2巻も出ている。新書館刊行。
2006.7.23 取材・文 岩下祐子
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