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ライプニッツ通信II

第31回 奇想の百科全書派


残念ながら、第3巻『技術・医学・社会システム』の上梓は年を越すことになってしまいました。本巻はこれまで言及されることの少なかったライプニッツの本職、宮廷人としての諸活動に焦点を当てており、いたるところの細部にライプニッツの息づかいを感得できる心地がします。

とくに第3巻冒頭の『奇想百科:新趣向博覧会開催案』(1675, 佐々木能章訳)を精読すると、パリに出て綴った論考とはいえ、ライプニッツがすでに知悉していた奇想あふれる発明発見の数々に圧倒される思いです。ライプニッツの育った環境は、30年戦争で荒廃したドイツであったことに違いありませんが、荒廃からの復興のエネルギーとアイディアに満ちあふれたドイツでもありました。

アタナシウス・キルヒャー(1601 - 1680)とカスパー・ショット(1608 - 1666)を両雄として、イエナ大学数学教授にして建築家のエアハルト・ヴァイゲル(1625 - 1699)も、民衆を魅了する復興を推進したバロック的偉才のひとりでした(26回)。

真空実験の一大イベントやお天気小僧による天気予報を試みた、マクデブルク市長オットー・フォン・ゲーリケ(1602 - 1686)も、時代に先駆けたベンチャー精神の持主でした(27回) 。ゲーリケは晩年には、静電気実験まで試みていたということです。

ライプニッツをパリに送りだしてくれた最初の主君、マインツ選帝侯ヨハン・ヨハン・フィリップ・フォン・シェーンボルンの宮廷にも、ライプニッツの先任者として、際立った人物が勤務していました。医師であり化学者にして錬金術師、ヨハン・ヨアヒム・ベッヒャー(1635 - 1682)です。ベッヒャーこそ『教授法』(1668)において「自然と人工の劇場」の設立を主張した当人。ライプニッツは同書をメモをとりながら精読して、「自然と人工の劇場」を自らの普遍学推進のためのキイコンセプトにしたのでした(ホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓:ライプニッツの「自然と人工の劇場」』原研二訳、産業図書)。

またベッヒャーは、第3巻2部4「シュタール医学論への反論」(松田毅訳)でライプニッツが批判した相手、ゲオルク・エルンスト・シュタール(1659 - 1734)のフロギストン説の元になる燃焼理論の提供者でもありました。

さらに、ライプニッツは、建築家にしてエンジニアのゲオルク・アンドレアス・ベックラー(1617 - 1687)の『新しい機械の劇場』(1661)を熟読して高く評価していました。同書の扉絵はアルキメデスとその後継者としての機械工(エンジニア)が幕を開け、水力によって動かされる巨大装置を示しています。

ベックラーは、ヴュルテンベルク公エバーハルト3世やブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨハン・フリードリヒの宮廷建築家として、30年戦争後の復興に尽力した人物。このヨハン・フリードリヒの娘カロリーネがベルリンの宮廷でゾフィーの目にとまり、彼女の孫のゲオルク・アウグスト(後のジョージ2世)夫人として迎えられ、後年ライプニッツとニュートンの仲介役を果たしたのでした(11回)。

同書で紹介されているハンス・ハウチュ(1595 - 1670)の消火ポンプについて、ライプニッツは第3巻第1部5-6「パパンへの書簡」(1707池田真治訳)や第3部4「公営保険」(1680? 佐々木能章訳)、同11「諸学と諸技芸の協会を設立する構想」(1700 酒井潔訳)で言及しています。ニュルンベルクのコンパス職人・ハウチュが1650年に発明した消火ポンプは、14人がかりで水平ロッドを前後に動かし、20メートルの高さまで連続的に放水できたという優れものでした。

このハウチュがまた隅に置けない異才で、1664年、デンマーク王に100体の自動人形(オートマタ)の館を贈り、その翌年にはフランス国王ルイ14世に、王子の教育のために462体の銀製の兵士による戦闘模型のオートマタを贈ったそうです。

ライプニッツは、上記の晩年に綴ったパパン宛の書簡ではHautsch と正しく彼の名を綴っているのですが、パリで綴った『奇想百科』では、Hauz としたため、ブレーデカンプもこの異才を同定できなかったようです。でも「模造の騎兵と歩兵が闘うHauzの機械」と紹介しているので、同一人物とみてまちがいないと訳者の佐々木氏が判断を下しました。 おかげでささやかながら、第3巻でこの痛快なコンパス職人の復権がかないました。

ライプニッツは職人や技術者が社会を活性化する力の大きさと、彼らが体得した知識の重要性をよく理解していました。ライプニッツ自身が、愉快な発明品の数々に鼓舞されたからでしょう。このような書き記されることのまれな現場に蓄積された知識を共有財産にすることは、普遍学確立のための重要な柱となりました。

何らかの注目すべき所見や考察をもたらしえないほど矮小で軽蔑すべき機械技術などというものはない。……あらゆる職業や天職は、ある種の巧妙な技巧を持っており、それは簡単に思いつきうるものではないが、……かなり高尚な結果をもたらすのに役立ちうるものである(第I期10『確実性の方法と発見術に関する序論』)

(十川治江)


ゲオルク・アンドレアス・ベックラー『新しい機械の劇場』(1661)の扉絵
ゲオルク・アンドレアス・ベックラー『新しい機械の劇場』(1661)の扉絵





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