■「遊べる本屋」に現れたおしゃれ系店舗
ヴィレッジヴァンガードといえば、「遊べる本屋」をコンセプトに、おもちゃ、雑貨、お菓子などなど「面白ければなんでもあり」の異色の書店。直営店・フランチャイズ含めて全国に200店超に広がり、今やひとつのブランドとなった。
そんな中、2006年3月にオープンした横浜ルミネ店は、ちょっとおしゃれ系。入り口には木製マガジンラック、ゆったりした店内に絵本やおもちゃが配置され、すっきりした印象が漂う。
「若い女性客が多い立地を意識したこともありますけど、単に僕の好みです」と、店長の大八木さん。六本木、自由が丘などの店長を経て、ここ横浜ルミネ店で初のオープニングを任された。壁や床の色、什器など一から携わり、自分のこだわりがほぼ実現できたという。
「ヴィレッジヴァンガードは、個人の自由度がすごく高い。基本的に本部は口は出さないし、売上げが悪くても『どうしてだろうね』と、いっしょに考えてくれる人がいるだけ」。取次の配本もないから、自分の好きな本を自分で選び、仕入れて売る。「これが本来の本屋の姿」と語る大八木さんだが、自身の道のりは、決して平坦ではなかった。
■ベストセラーを売るために、棚を潰すなんて
「普通の本屋では思うようにできなかったから、2回辞めているんです」。大八木さんがはじめて働いた書店は、チェーン書店、いわゆる普通の書店だ。
「給料は安いし、いずれは辞めようと思い」ながらも、自分でセレクトした本を仕入れ、POPを書いてコーナーを作り、それなりに努力はしていた。ちょうどヘアヌードと郷ひろみの『ダディ』と飯島愛の『プラトニック・セックス』が流行った頃のことだ。ベストセラーを売るために、自分のコーナーを潰さなければならなくなり、「もういいかな」と辞めることにした。
別の業界で働きはじめたものの、いわゆるサラリーマンのルールが合わず、再び書店へ。だが、状況は変わらなかった。「やっぱり辞めよう」と思ったときに、同じビルに店を構えていたヴィレッジヴァンガードにふらりと入った。「そうだよね、ヴィレッジヴァンガードも本屋なんだよね、と思って、よーく見たら、自分がやりたいことが全部やれるんじゃないかなと気づいた」。
■来てくれるお客さまだけじゃなく、街を見た
そのとき大八木さんは28歳。面接した店長は20歳くらい。忙しくて、二人でレジに立ちながらの面接だった。時給680円のアルバイトでスタートし、働きが認められ、アルバイトのまま弘前店の店長へ。だが、「地方都市だから時給は620円に下がった。店長手当てが2万円付いて、ようやく前と同じ水準。この歳でこんなんやってちゃダメだ、早く社員になろうと思って、だから頑張れた」と振り返る。
社員になるためには売上げを上げるしかない。それまで、弘前店は子供向けの品揃えだった。若者は高校を卒業したら東京や仙台に出てしまう。しかもダイエーのインショップともなれば、毎日来てくれる子供に合わせた店になるのも当然だったが、大八木さんの視点は違った。
「見方が近眼なんだよ。他の雑貨屋も同じことを考えていたから、商品がかぶっていた。データを見ると、案外本が売れている。それに弘前って、仙台より北の東北で唯一、紀伊國屋書店さんがあるんだよね。国立大学もある。街をよーく見ると、周辺の都市に比べて意外と大人がいて、意外にセンスがいい。けれど、サブカルチャーという言葉でくくられる文化が好きな人が行く場所がなかった。そういう店は東京だったら何千何万ってあるけれど、弘前には1軒もなかったんだ」。
そして路線を大幅に変えた。コンセプトの軸となったのは、大八木さん自身の興味だった。28歳の男、まだ独身、一応もう働いている、既婚者に比べたらお金はちょっと自由になる、そういう人が店に来てくれて「この本いいですね」という話ができたら楽しいだろうな、と。結局「好きなものを売りたいだけ」というシンプルな姿勢が当たり、売上げは伸び、晴れて正社員になった。
■できないことはない、環境は自分で変える
だが、「好きなものを売る」ことは、一般書店ではなかなかできない。お客さまのベストセラー志向、流通の問題(*1)など、ハードルがあるからだ。「いや、できるんですよ。現に、自分の好きな棚ができないから僕は前の書店を辞めて、できるところに来たんじゃないですか。普通の本屋でできなかったら、できる環境に行けばいい。だってあったし、ヴィレッジヴァンガード。往来堂さん(*2)だって自分で変えちゃったじゃない」。
もちろん、ヴィレッジヴァンガードが天国なわけではない。店の立地を考えると自分のやりたいことができない、と嘆くスタッフもいる。「それもすごくわかる、僕も不利な立地でやってきたから。その店でできないなら、できるところまで自分で持っていくしかない」。
本は「売れている」のではなく、「自分が売っている」という自負があるからこそ、言えるコトバだ。実際、ルミネのこのフロアはカジュアルな洋服や雑貨の店が中心で、本を探しに来る人を期待できない。しかもワンフロア上には老舗、有隣堂がある。「有隣堂さんがあるってことは、本好きな人が来るビルなんだ。『下の雑貨屋みたいなところも本があるらしいよ』とちょっとのぞいてもらって、面白がってもらわないと」。
■本屋の仕事は、街の人のために本を選ぶこと
「社長の本(*3)の中でアメリカのえらい有名な本屋さんの言葉が紹介されていたんだけど、街の本屋っていうのは、いろいろなものの考え方や知識が詰まった本があるということ。それを読んだ人は多少なりとも影響を受けたり、考え方が変わったりするって。ああ、これで働くモチベーションが保てると思った」。
もともと大八木さんは映画志望だった。脚本を書きあげたものの、世間に発表するほどのものではないと諦めた過去を持っていた。「でも世の中には、他の人が書いた、みんなが読んだほうがいいと思う本があるんだよ。本屋はそれを街の人のために選ぶ仕事。いい仕事だなって、心底思えたから、続けていられる」。
大八木さんが個人的に愛してしまった『バルタザールの遍歴』(*4)や『香水』(*5) も、街の人に読んでほしいと大きく展開したからこそ、売上げ自己ベストを記録した。「あの本が文庫の定番に加わればいいなと思っている。僕はあの本に書かれていることを世の中にこっそり広めたい。だから、僕が死んだ後も文庫の定番でずっと売られていたら、間接的に後世の人々の生活に関われたことになる」
■本屋という美しい風景
大八木さんには忘れられない光景があるという。松山の道後温泉に行ったときのことだ。「歩いていてすごく気持ちいい街だった。『坊ちゃん』の舞台のせいか、地元の書店が頑張っている。ふと古本屋をのぞいたら、高校生くらいの女の子が制服姿で立ち読みをしているの。その姿がえらい美しくて」。
文芸書しかないような薄暗い古本屋。本好きの気配が漂った。そのとき、「本屋はいいな、風景としていいな」とごく自然に思えたという。「いやらしい意味じゃないよ」。立ち読みする人なら、自分の店でも何百人、何千人と見て来ている。街と本屋と本を読む人が、ひとつに溶け込んだ絵だった。そんな美しい風景を形作る書店が理想だ。
註:
*1 流通の問題…新刊・ベストセラーの配本は、書店・取次・出版社の力関係で決まるため、中小書店にはなかなか希望通りに配本されない。例えば、予約が10部あっても5部しか配本されず、隣の大手書店には山積みになっていたという泣くに泣けない話も聞く。
*2 往来堂書店…千駄木にある20坪の小さな書店ながら、取次の新刊配本は極力断り、自主仕入れで、街に根ざした独自の棚を作る。 本の仕事人#008参照
*3 社長の本…社長の菊地敬一氏の著書『ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を』(新風舎文庫)のこと。
大八木さんが引用したコトバはロバート・D・ヘイル氏の「本の真の実質は、思想にある。書店が売れるものは、情報であり、霊感であり、人とのかかわりあいである。本を売ることは、永久に伝わる一連の波紋を起こすことである。書店は、書棚に魔法を満たすことも、嵐を吹かせることもできる。書店人は、人々を日々の抑圧から解放し、楽しみ、希望、知識を人々に贈るのである。書店人が、特別の人間でなくてなんであろう。」
この本には文庫本化に際して加筆された「番外編:ぼくらのヴィレッジ・ヴァンガード」に自由が丘店店長時代の大八木さんの文章が収録されている。
なお、ヴィレッジヴァンガード初期については『菊地君の本屋』(永江朗著/地方小流通センター)、また『ブックマッププラス』(工作舎)に8店舗時代の菊地さんのインタビュー「私の棚組術」を収録。
*4 『バルタザールの遍歴』…佐藤亜紀著/文春文庫。第3回日本ファンタジーノベル大賞を受賞したデビュー作。ナチス台頭前夜のウィーン、ひとつの肉体を共有する双子バルタザールとメヒオールの、享楽と退廃に満ちた恋と冒険。大八木さんはPOPに「まずこの本が紹介できることに感謝!」と書き添えて、自己売上げベストNo.1を達成。
*5 『香水』…パトリック・ジュースキント著、池内紀訳/文春文庫。サブタイトル「ある人殺しの物語」。18世紀のフランス、香水づくりの天才が至高の香りを求めて殺人を。高貴な香りから悪臭まで、グロテスクで美しい嗅覚の世界。大八木さん売上げベストNo.2。
2006.11.7 文・岩下祐子 (取材 2006.7.25)
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