第29回 「寛容とは何か」を問いつづけて
9月30日(土)の昼下がり、〈福島清紀氏を偲ぶ会@東京〉の第1部として、「社会における思想の役割」と題したアカデミックカンファレンスが大妻女子大学千代田キャンパスで開催されました。
開会の辞は、〈福島清紀氏を偲ぶ会@東京〉の発起人代表にして、福島清紀論文集刊行委員代表の南山大学教授・奥田太郎氏。ドーナツの穴制作プロデューサーとして、本に穴の穿たれた若手研究者の論集『失われたドーナツの穴を求めて』(さいはて社)を7月に上梓したばかりの奥田氏は、思想や哲学・倫理学といったとかく重くなりがちなテーマを、現実の社会のなかで共に考える層がひろがるように論じていくことを旨とした福島清紀氏にも通じる颯爽とした風貌の持主で、語り口もさわやか。
講演1は、立教大学教授・澤田直氏による「法政哲学会と思想研究をめぐって」。
法政大学大学院で哲学を学んだ福島氏の後輩にあたる澤田氏は、1922年に設立以来、錚々たる哲学者が教授として在籍した法政大学哲学科の系譜に福島氏を位置づけて紹介。
戦前は安倍能成、和辻哲郎、河野與一、三木清、谷川徹三、戸坂潤といった巨峰がそびえ、福島氏が在籍した1970 – 80年代にかけては、斎藤哲郎(分析哲学)、矢内原伊作(フランス哲学)、加藤彰俊(ギリシア哲学)、浜田義文(カント哲学)、山崎正一(西洋近代哲学)らが居並ぶなか、福島氏は山崎教授のもとで研鑽を積んだとのこと。臨済宗の僧侶にしてヒュームやカントなど英独の哲学や道元の研究者でもあった師についたことで、福島氏の知層はいちだんと幅と深みを増したことと推察されます。
修士1年(1976)には、紀要『哲学年誌』に「《事実》と《論理》:西田哲学について」を寄稿。翌年には「ライプニッツ哲学研究」、博士課程に進んで「ライプニッツにおける「信仰」と「理性」」を同誌に寄稿し、ライプニッツ研究をスタート。
福島氏が法政大学博士課程を履修退学後、同大学に非常勤講師として勤務しはじめた翌年(1981)、大学院生や卒業生の発表および哲学教授の交流の場として法政哲学会が発足(初代会長・山崎正一)。1990年、富山国際大学人文学部助教授となって富山に赴任後も福島氏は同学会に関わりつづけ、『人間知性新論』を上梓した1993年には「ライプニッツの『人間知性新論』について」と題して発表。
1999年から2001年にかけて、福島氏は澤田氏とともに同学会の役員をつとめ、2003年から2005年にかけては、福島氏自らが会長として法政哲学会の興隆に尽力し、同会発足時以来の会誌『法政哲学会会報』を改称・ヴァージョンアップし、『法政哲学』を創刊。
パリでシャルリー・エブド襲撃事件の起こった2015年、福島氏は同学会で「寛容思想の現代的意義 比較思想的考察の試み」と題した特別講演を行い、その内容は翌年の『法政哲学』に収載されたとのことです。
講演2は、筑波大学名誉教授・谷川多佳子氏による「ライプニッツ研究をめぐって」。
東京外国語大学外国語学部フランス語学科で同期生として福島氏に出会った谷川氏は、福島氏の宮川透教授のもとでの学的スタート以来の友人として、折にふれて論文の抜刷を送ってもらっていたそうですが、福島氏の二大テーマとなったライプニッツと寛容論についての学業に絞って紹介。
『人間知性新論』の谷川氏との共訳プロセスでは、福島氏はロックの『人間知性論』を仏訳した亡命ユグノーでマサム家の家庭教師となったピエール・コスト(第21回)の介在を重視して、ロック、コスト、ライプニッツ各人の「意識」のニュアンスのずれをめぐって丁寧な訳注を執筆。
ボシュエとライプニッツの新旧教会再合同については、福島氏は日本ライプニッツ協会大会での発表や『富山国際大学紀要』への寄稿などを重ね、第II期第2巻の『ボシュエとの往復書簡』の訳業およびコラム執筆に集大成。
新旧教会再合同の中心テーマでもある寛容論については、福島氏はピエール・ベールの複雑な立場やロックの『寛容についての書簡』についての論考を執筆し、谷川氏に最後に送られてきた抜刷は、「不寛容は不幸をもたらす」と題したヴォルテール『寛容論』に関する論考であったとのことでした(『社会と倫理』31号2016)。
講演3は、東北大学教授・直江清隆氏による「《岩波シリーズ本》をめぐって」。 『高校倫理からの哲学』(全4巻・別巻1 岩波書店 2012)編集プロセスにおける柔軟な福島氏の対応を紹介。
休憩をはさんで、会場の雰囲気は一転。 福島氏の奥様でフルート奏者の三浦(福島)由美さん、娘で役者・ダンサーの福島梓さん、ピアニストの松本康子さんによる、モーツァルト『レクイエム』ラクリモーサ(涙の日)などの深く心にしみわたるパフォーマンスが披露されました。
講演4は、京都大学教授・森川輝一/南山大学准教授・佐藤啓介両氏による「福島清紀論文集をめぐって」。
工作舎HPでも紹介してきた福島清紀著『寛容とは何か──思想史的考察』の刊行委員五人のうちのお二人により、Web で募った刊行賛助金がみごと目標額を越え、晴れて刊行の運びとなる旨報告されました。
目下、堤靖彦編集で着々進行中ですので、乞期待。
第2部の懇親会「ホモ=ルーデンスの宴」では、谷川氏とともにたまたま同席することになった東京外国語大学サッカー部OBの方々から、福島氏のサッカー部員時代の動静をうかがえたことも新鮮でした。幼い頃からサッカーに親しんできた連中がほとんどのなか、福島氏は大学から始めたにもかかわらず、じつにみごとなシュートを決めていたとのこと。また苦しい練習に音を上げたり厳しい闘いにいきりたったりすることもなく、つねにダンディだったそうです。
(十川治江)
ライプニッツと福島清紀氏が思想のシャドーボクシングの相手とした
ジョン・ロック(1632-1704)