工作舎ロゴ

連載読み物 Planetalogue



ライプニッツ通信II

第40回(最終回) 知は交歓するほど面白い


秋分の日(9.24)の午後、紀伊國屋書店新宿本店にて第II期『ライプニッツ著作集』全3巻と第I期『ライプニッツ著作集』全10巻の新装復刊を記念して、第II期の監修者・酒井潔氏とゲーム作家・文筆家・山本貴光氏のトークイベントが開催されました。

対談者お二人は来場者とライブ感を共にするため、当日が初対面。おりしも酒井氏が精緻な訳注を付した「アルノーとの往復書簡」を収載した第I期『ライプニッツ著作集』8『前期哲学』新装復刊と、このトークイベントのことも記された山本氏のブックガイド『投壜通信』(本の雑誌社)刊行が重なり、申し分ないタイミングとなりました。

対話は「ライプニッツを読むと元気が出る」という山本氏のリードのもと、「ライプニッツのことならいつまで話しても楽しい」という酒井氏が応じて進められました(以下は対談の正確な再現というより、若干連想もふくんだ概要報告です)。

タイトルは「Theoria cum praxi ライプニッツは私たちに縁遠い天才か?」。
まず最初の切口は精力的に手紙を書いたライプニッツについて。多いときには1日に5通もの手紙を書き、総計1300人もの相手と2万通におよぶ書簡を交わしていたライプニッツ。必ず写しを手元に残し、長期にわたったり中断されたりした相手とも議論を積み重ねることができたし、また先方で手紙が回覧されて別の人物から論争がしかけられても応じることができるようにした情報保管術が紹介されました。

当時、ロンドンの『哲学紀要』やパリの『学術雑誌』、ライプニッツが創刊に関与した『ライプツィヒ学報』など、学術雑誌が刊行されはじめてはいたものの、印刷物の刊行には時間がかかるため、書簡は新しい知見の発表や論争のための重要なメディアでした。 A・アルノー( I - 8)、デ・ボスやデ・フォルダー( I - 9)、ドニ・パパン( II - 3)との往復書簡などは、こうした学問的なやりとりを主な目的とはしていましたが、ライプニッツは自分の立場は主張しても、必ずしも論破しつくそうとはせず、コミュニケーションを続けることじたいに意義を見出していたことが強調されました。

また宮廷顧問官ライプニッツは、実社会を動かす戦略的メディアとしても書簡をおおいに活用しました。イギリスの神学者にして地質学者トマス・バーネット宛のものや『ライプツィヒ学報』の創刊を相談してきたオット—・メンケ宛のもの、教会再合同をめぐるボシュエとの往復書簡( II - 2)はこの類いですし、ハルツ鉱山開発( II - 3)などのさまざまな施策も君主やしかるべき責任者宛の書簡で提案されました。

さらにライプニッツは、書簡の交信網により知のネットワークをつくりあげ、自らがそのハブの役割を果たすことも積極的に行っていました。手紙本文の後に第3者に渡す文書として「追伸」や「覚書」を付して、議論の参加者の輪をひろげていったことも示されました。

第2の切口は仕事人としてのライプニッツ。第II期著作集のキイワードでもあるTheoria cum praxi (理論×実践)をモットーとしたライプニッツの壮烈な仕事ぶりが紹介されました。
生涯単身をつらぬいたライプニッツは、時間経済を最優先してハノーファー公の図書館に住み込んで通勤時間ゼロの職住一致、食事もケータリングですませ、椅子で眠るというのが普段の生活スタイル。
ロンドン、パリ、ウィーン、オランダ、ローマなど、旅に出ている日も多かったのですが、ほとんどが宮廷顧問官として秘書や従者を伴った公式の任務であったので、旅先でも本を取り寄せて読むことができたそうです。ニュートンの『プリンキピア』も、イタリア旅行中に入手して読み込み、メモを入れていました。

記憶力も抜群なので、旅先でも執筆をやめたりはしません。どこに身を置こうと手紙を発信しており、パリで新知識の吸収に多忙な時期でも『哲学者の告白』( II - 2)のようなフィクション仕立ての神学論をまとめていましたし、珠玉の名編『モナドロジー』( I - 9)は、ウィーン滞在中に書下ろされたものでした。

第3の切口は、並はずれた仕事ぶりや記憶力の背景にある普遍学について。ライプニッツは森羅万象への好奇心を生涯たやさず、さまざまな個別事象に関する情報更新をしながら、たえず全体像をも更新しつづけ、おりおりの見解をしかるべき筋と交換していました。知や学問はあまねく共有すればするほど人を幸福にするという実体験に裏づけられた信念をつらぬきました。

図書館司書でもあったライプニッツは、文字どおり「生きた図書館」でした。人類の知的財産を一望のもとに見渡すことのできる理想の図書館の一例をヴォルフェンビュッテル公爵のために提案しています( II - 3)。屋上に地球儀をかかげ、楕円形の内部空間の1・2階の周囲の壁一面に書籍を並べ、検索システムもそれまでの著者別索引に加えて世界で初めてアルファベット順の索引を載せたカタログをつくりました。

また『奇想百科』( II - 3)で列挙したように、解剖学劇場や驚異の部屋など公開実験や現物の展示により珍しいモノやコトへの関心を幅広く喚起して普遍学への入口をひろげようとしました。
視覚情報も重視して、ハルツ鉱山計画ではジオラマのように鉱山の主な装置が一望できるスケッチを残していますし、『王子の教育についての書簡』( II - 2)では、未来の君主のための教育ツールとして、ある学問や技芸や職業が一目でわかる図鑑『普遍アトラス』を推奨しています。

さらにライプニッツはさまざまな入力情報に喚起される想像力も新たな発見のエンジンとなることを熟知していて、微積分法の発見に活用し、それを優れた記号で定着させたことで、ニュートンの流率法ではなくライプニッツの微積分法こそが今日のわれわれも共有できるツールとなったと酒井氏は示唆しました。

最後はライプニッツ育成計画。いかにしたらライプニッツのような人が育つのか。酒井氏はいささかシニカルに、今日の学術界・教育界で否定されがちの独学や暗記、理系/文系、基礎(理論)/応用(実践)、プロフェッショナル/アマチュアといった二分法の逆をいって、ライプニッツのように独学(多方面から自在に知識を吸収する)、暗記(その人なりの情報整理術をもつ)、一体型の知(普遍知)を求めることがたいせつであると対照表を示しました。
山本氏は他人が証明済みの物理学の問題もすべて自分でやり直したファインマンを例にひいて、独学で発見した喜びや楽しさは『ファインマン物理学』を読んでわかるように、他人にも感染するとさらに重ねました。

予定では、相手によって文体を自在に変えたライプニッツの文章術にもふれるはずでしたが、時間が足らず、ライプニッツもファインマンも、独学で得た知を人に示してワクワク感を共有することに意義を見出したというあたりで大団円となりました。

酒井氏はヴォルフェンビュッテル図書館の画像や、ご自身が撮影した2011年に特別公開されたライプニッツの頭蓋骨の写真なども披露されるサービスぶり。

山本氏は第II期3巻『技術・医学・社会システム』のハルツ計画やゲーム論をいかに面白く読んだか再三アピールのうえ、付録の“『ライプニッツ著作集』第I期・第II期収録全著作・書簡年譜”を読み解く楽しみまで強調され、さらに入門書として当日販売しなかった酒井氏の『ライプニッツ』(清水書院)、佐々木能章『ライプニッツ術』、酒井・佐々木・長綱啓典編『ライプニッツ読本』(法政大学出版局)なども念入りに紹介されました。

フロアからの最後の質問は「ライプニッツにはなれなくても、酒井さんや山本さんのようになるにはどうしたらいいですか?」という直球。
山本氏は興味がわいたことは我慢しないで飛びつき、若いうちから乱読し、書店やレコードショップなど情報がたくさんある場所に足繁く通っていると体験談を披露。
酒井氏は図鑑や地図などを見るのが好きで、行ったこともない場所に想像を馳せるのが楽しく、人に聞いてもらうことが好き。好きなことをやりつづけてきたとのことでした。

山本氏の熱弁のおかげで会場に用意した第II期3巻はすぐに売り切れてしまい、倉庫から急遽追加するじたいとなりました。
ライプニッツを語りつくすにはとても短い時間でしたが、参会者一同、幸せな時間を共有することができました。対談者ご両人の知へのあくなき好奇心は居合わせた皆に感染したようです。

今回のイベントの依頼のため、山本氏のメールアドレスを入力しようとしたら、PCが記憶していたので驚いて検索したところ、2002年に『ライプニッツ術』の書評を掲載してくれたウェブサイト『哲学の劇場』の主宰者のお一人、八雲出氏が山本貴光氏ご当人であり、当時メールを交わしていたことが明らかになりました。

山本氏には、『文字と書の消息』の著者・古賀弘幸氏との東京堂でのトークイベントでもお目にかかっていたのですが、その折には八雲氏が山本氏にほかならないことには、まったく気づきませんでした。

初対面のお二人がこれほど意気投合して楽しく対話できたのはライプニッツのおかげですし、酒井氏と山本氏に私が出会えたのもイベントの参会者同士が出会えたのも、ライプニッツのおかげ。天界に還ってもなおライプニッツは人と人を結びつけるハブの役割を果たしているようです。

(十川治江)


地球儀を載せた図書館ヴォルフェンビュッテル図書館内部
ヴォルフェンビュッテル公爵ルドルフ・アウグストに
ライプニッツが提案した地球儀を載せた図書館





ALL RIGHTS RESERVED. © 工作舎 kousakusha